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「依田ちゃーん」

 国立劇場、密会場にて。

 聞き覚えあるその、間の抜けたような嬉しそうな声に、相方、竹垣穂咲太夫《たけがきほさきたゆう》が顔をしかめ、俺は三味線を弾いたまま引き戸を見た。

 長身、しかし短髪の黒浴衣をバッチリ決めたのこの男。姿を確認した瞬間に穂咲兄さんが溜め息を吐き、苦言を呈そうとしたのがわかる。

「勇咲《いさき》、お前」
「あ、勇咲くーん、いらっしゃい」

 転調してみて気付いた勇咲は、ちゃらん、後に「あぁぁ…お金が欲しいなぁ…」ちゃんちゃん。

「いやちゃうねんちゃうねん、」

 仕方なく弾き止める。
 なんだろ勇咲。

「どうしたの勇咲くん」
「お前さぁ、いま稽古中なんですけど」
「まぁまぁ穂咲兄さんお黙りお黙り」

 ちゃらん。
 にっこりと、というかニヤリと笑った勇咲に送る。

「なに、にっこりと笑いましたかぁ…」
「やらんでええわ!全くなんなの!
 雀次、お前もだわ!」
「えなんでぇ?今の勇咲くんの寺子屋よかったじゃない」
「うるさいなぁ、俺いま切腹じゃん!子供斬られて気ぃ狂う親の心境とかマジわからんの!」
「えぇ兄さん、俺わりと珍しくあんたと似た演目かなぁと思っていま乗っちゃいましたけど」
「うるさいわぁ!何、なんで来たのお前!」
「依田ちゃん渾身の三味線が聞こえたんでね」
「うわぁ、優男みたいなこと言ってるけど様になるねぇ勇咲くん」

 ちゃらん。

「あぁぁ、お金がって、これさっきやったやつやん!ちゃうねんちゃうねん!お馬の誘いじゃないねんパシりで来たんだよ依田ちゃん」
「え?なに?」

 勇咲はそれからとても自然な動作で袖から紙を出し、ひらひらさせる。

 なんだろ、床本?にしちゃぁペラいな。

「我が師匠、竹垣花太夫《たけがきはなたゆう》から御達しでぃーす。読もうか?はい、師匠の演目は?」

 ちゃーんちゃんちゃん。

「ゆくぅー空ぁぁのおぉう、
塩冶判官《えんやはんがん》切腹ご苦労様です。我が愛弟子、穂咲は順調でしょうか。
私は君の為に君のお父上を拝みに行きます。君の破天荒さは君の師匠、雀生譲りだとは思います。期待しています。君の為に空いた穴、帰ってきたらじっくりと眺めさせて頂きたく候」
「なっ、」

 マジか。
 三味線を弾き止める。というかいくら弾いても冒頭以外は勇咲くん、乗ってくれなかった。

「あぁほらぁ…。こいつが来るとろくでもない」
「兄さん、まぁそれは認めますぜ。
 いやろくでもない弟弟子としてはね、兄弟子夫妻が可哀想だなぁと、面白がってここに来たんですよ穂咲兄さん」
「稽古中にふいに爆弾落とすなって俺お前の研修時代から言ってるよね勇咲」
「爆弾だなんてやだなぁ兄さん。それ抱えさせられた俺の気持ちわかりますぅ?」
「…うんまぁありがとう勇咲くん。流石だわぁ…」
「でしょでしょ?疲れちゃったし依田ちゃん、飲み行こうよ、SM姐ちゃんとこ。今から師匠迎えに行くからさぁ。でもその前に風呂入ろっ。俺あの演目めちゃくちゃ汗かいた。なんなの日高川。でも依田ちゃん仕込んだでしょ、雀三めちゃくちゃ切れっ切れよ。俺もあんたとやりてぇなー!」
「ダメ絶対。お前のような不良野郎にウチの雀次はやらんわ!」
「あらあらまたムキになっちゃって兄さん。最近飲みすぎて血糖値ヤバいんだからやめなさいよー。切腹シーンでぶっ倒れちゃうんじゃない?そろそろ気ぃ使った方が良い歳でしょ43歳伊坂初音さん。いやぁでもあんたの鼻血モン濡れ場はマジ称賛。足すりすりしたいねぇ」
「バカにしてんのかクソ野郎」
「そんなそんなぁ。俺にはあんな艶めいた切腹出来ないっすー」

 この二人、竹垣一門、なんなら文楽座みんな知っている程に、仲が悪い。まさしく犬猿だ。

「大体依田ちゃんとはなんだお前!」
「いやいや兄さんそれはねぇ、俺の1個下なのよ勇咲くん」
「知っとるわこの猫背野郎!お前がんな緩いから俺までこいつに顔立たないんだけどバカ雀次ぃ!」

 しかも最近。
 更年期なのか、はたまた師匠代役が不満なのか、穂咲兄さんの機嫌が最悪である。

「あーはいはい。兄さんも行きます?つやっつやにして来ますか風呂場で。俺、勇咲の名に恥じず勇ましく咲いてまっせ兄さん」
「行かないよバカ!溺死してしまえ!」
「ふっ、」

 笑ってしまった。
 犬と猿だが、なんだかんだで仲良いよなぁ、この二人。

「何笑ってんの雀次!」
「ひぇぇ、怖いわぁ。あとで血圧の薬持ってきますね兄さん。まぁクソ花じじいが3日いなかったんで、血圧の薬余ってるんですよ」
「師匠だろ師匠!」
「はいは〜い。根詰めてないで行こー依田ちゃん」
「はーい、お馬?」
「違ぇよ風呂とSMだよ。お馬はまた今度ね」

 なにそのパワーワード。
 全部下ネタやん。

「ひっ、ひっひっひ」
「うわぁ、依田ちゃん気持ち悪っ。
 じゃぁね〜兄さんまた明日師匠のとこで〜」

 忘れていた。
 三味線を持って立ち上がり、穂咲兄さんを置いて密会場を出た。

 稽古場の引き戸を閉めて思わず俺は勇咲に聞いてしまった。

「…俺と兄さん殺されるかな?」
「んな殺生な。いくらハイパー花じいでも流石に弟子に大役やらせたんだ、んなんないでしょ。
 …殺されたら花飾ってやるからさ」
「マジか、んな感じか」

 楽屋から出て、まずタバコを咥え始めた勇咲。流石に敷地内禁煙。早歩きで劇場外まで連れ出した。

「勇咲くん、一応禁煙になったんだよ?」
「知ってるよ。良いじゃん近くだし」
「千代田区《ちよだく》は路上喫煙禁止だよ?」
「良いじゃん近くだし」

 しかし仕方なさそうに勇咲はケータイ灰皿にタバコを捨てる。

 もう、師匠に殺される確定やん。師匠が留守だからってまたタバコ吸っちゃってこの子ったら全く。

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