6
ここから立ち去ろう。
後ろから亀ちゃんの「つうかこれゲロ臭ぇけど…」という一言が聞こえる。
すぐ目の前の階段は白く薄暗い。排他的だ。この寒い、都会とも街とも違う、狭くて白く長い下りに、ふと、判官の白襦袢が頭をよぎった。
孤独な気がする、ここは不思議だ。
「エレベーターじゃなくて大丈夫?」
階段を降りているとのんちゃんの、心配そうな声が反響して降ってきた。
振り向けばギターを背負ったのんちゃん。黒髪が真っ直ぐで綺麗だ。しかし前髪の先にあるその視点は微妙。
のんちゃん、もしかしたら酔っているかもしれない。
「あ、でも確かに表情は蒼いけど意外と酔ってなさそうだね、ジャグジー」
「はい、さっき出しちゃったんで」
ふふっ、とのんちゃんが笑った。
「のんちゃんは、大丈夫ですか?」
「ん?うん」
「家まで送りますよ」
「いや、今はスタジオがいい」
そうか。
「スタジオって?」
「あぁ、曲作ったりするところ。
程よく酔ってるから飲みながらやったら良い曲書ける気がする」
そんなもんなのか。
「いやぁ、ジャグジーのやつ聞いたらね、なんだかインスピレーション。だから誘ったんだー」
いんすぴれーしょん…。
「あの曲、昔あの師匠が作曲したんです。
天変斯止《テンペスト》嵐后晴《あらしのちはれ》。『暴風雨』って曲で。再演するのでアレンジが欲しいと師匠に言われて。勇咲くんが、最早バンドだよねって言って、閃いてのんちゃんを呼んだんです」
「なるほどね」
「のんちゃんの、入り込んできたギターを聴いて、やっぱかっこいいなぁ、楽しいなって、思いました」
「ありがとう。
俺も楽しかった。俺もなんだか良い刺激でさぁ…かっこいいなぁって思っちゃった。人をハマり込ませる音楽、凄いね。いいなぁ…」
にこっと笑って言うのんちゃんに、それでもなんだか、哀愁を少し感じた。
「のんちゃんだってかっこいいじゃないですか。いつでも明るくなれる」
「…そう言ってくれて嬉しい。
最近なんかさ、嘘臭い気がしちゃってて。音楽で人を楽しませよう、でもそれって、俺、ホントにポジティブだっけ?って、思っててさ」
ぽじてぃぶ…。
「俺は楽しいですよ。のんちゃんの曲。嘘とかじゃなく、なんだろう、のんちゃんのその気持ちだって心地よく届いてる」
「そっかぁ、ならよかった」
のんちゃん、何か悲しいことでもあったんだろうか。
「ジャグジー面白いね。やっぱ少し付き合ってよ。俺の庭、|中野《なかの》だけど」
距離があるな。
しかしまぁ、電車はまだあるし。
「のんちゃん、何か不安でもあるんですか?」
「いや、ううん。
単純にセッションしたくなったの」
せっしょん?
のんちゃんの笑顔が優しくなった。
外に出てみても路地裏のような見た目。六本木の喧騒が遠目のような気がして。
しかしのんちゃんが俺の先を歩いて喧騒に歩み出すから、着いていって。
タクシーを拾った。
街の光が流れていって。
この都会の景色は嫌いじゃない。流れていく景色は安定なんてしないけど。
「You say hello.I don't know why」
いーせぃへろっ、あんどんのわぁぁい。
のんちゃんの、舌足らずで口ずさむ唄が聴こえる。きっと英語だ。一斉遍路、行灯の舞。確かにいまそんな気分。妙な共鳴。
幼稚なような、それでいて耳に残る色気のある声はタクシーの中で、街の喧騒に流れ。
どうやら俺はまだ、英語は得意になれていないが、のんちゃんとお近付きにはなったようだ。
「さよならと、君はそう言ったぁ、So stay gold」
甘い甘い哀愁を感じる、だけど明るい歌声に酔いしれるように。
そして行こう、清廉を感じる唄が、耳に絡み付くようで。
気付いたらタクシーで眠ってしまっていた。
- 25 -
*前次#
ページ: