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 ここから立ち去ろう。

 後ろから亀ちゃんの「つうかこれゲロ臭ぇけど…」という一言が聞こえる。

 すぐ目の前の階段は白く薄暗い。排他的だ。この寒い、都会とも街とも違う、狭くて白く長い下りに、ふと、判官の白襦袢が頭をよぎった。

 孤独な気がする、ここは不思議だ。

「エレベーターじゃなくて大丈夫?」

 階段を降りているとのんちゃんの、心配そうな声が反響して降ってきた。
 振り向けばギターを背負ったのんちゃん。黒髪が真っ直ぐで綺麗だ。しかし前髪の先にあるその視点は微妙。

 のんちゃん、もしかしたら酔っているかもしれない。

「あ、でも確かに表情は蒼いけど意外と酔ってなさそうだね、ジャグジー」
「はい、さっき出しちゃったんで」

 ふふっ、とのんちゃんが笑った。

「のんちゃんは、大丈夫ですか?」
「ん?うん」
「家まで送りますよ」
「いや、今はスタジオがいい」

 そうか。

「スタジオって?」
「あぁ、曲作ったりするところ。
 程よく酔ってるから飲みながらやったら良い曲書ける気がする」

 そんなもんなのか。

「いやぁ、ジャグジーのやつ聞いたらね、なんだかインスピレーション。だから誘ったんだー」

 いんすぴれーしょん…。

「あの曲、昔あの師匠が作曲したんです。
 天変斯止《テンペスト》嵐后晴《あらしのちはれ》。『暴風雨』って曲で。再演するのでアレンジが欲しいと師匠に言われて。勇咲くんが、最早バンドだよねって言って、閃いてのんちゃんを呼んだんです」
「なるほどね」
「のんちゃんの、入り込んできたギターを聴いて、やっぱかっこいいなぁ、楽しいなって、思いました」
「ありがとう。
 俺も楽しかった。俺もなんだか良い刺激でさぁ…かっこいいなぁって思っちゃった。人をハマり込ませる音楽、凄いね。いいなぁ…」

 にこっと笑って言うのんちゃんに、それでもなんだか、哀愁を少し感じた。

「のんちゃんだってかっこいいじゃないですか。いつでも明るくなれる」
「…そう言ってくれて嬉しい。
 最近なんかさ、嘘臭い気がしちゃってて。音楽で人を楽しませよう、でもそれって、俺、ホントにポジティブだっけ?って、思っててさ」

 ぽじてぃぶ…。

「俺は楽しいですよ。のんちゃんの曲。嘘とかじゃなく、なんだろう、のんちゃんのその気持ちだって心地よく届いてる」
「そっかぁ、ならよかった」

 のんちゃん、何か悲しいことでもあったんだろうか。

「ジャグジー面白いね。やっぱ少し付き合ってよ。俺の庭、|中野《なかの》だけど」

 距離があるな。
 しかしまぁ、電車はまだあるし。

「のんちゃん、何か不安でもあるんですか?」
「いや、ううん。
 単純にセッションしたくなったの」

 せっしょん?

 のんちゃんの笑顔が優しくなった。

 外に出てみても路地裏のような見た目。六本木の喧騒が遠目のような気がして。
 しかしのんちゃんが俺の先を歩いて喧騒に歩み出すから、着いていって。

 タクシーを拾った。
 街の光が流れていって。

 この都会の景色は嫌いじゃない。流れていく景色は安定なんてしないけど。

「You say hello.I don't know why」

 いーせぃへろっ、あんどんのわぁぁい。

 のんちゃんの、舌足らずで口ずさむ唄が聴こえる。きっと英語だ。一斉遍路、行灯の舞。確かにいまそんな気分。妙な共鳴。

 幼稚なような、それでいて耳に残る色気のある声はタクシーの中で、街の喧騒に流れ。

 どうやら俺はまだ、英語は得意になれていないが、のんちゃんとお近付きにはなったようだ。

「さよならと、君はそう言ったぁ、So stay gold」

 甘い甘い哀愁を感じる、だけど明るい歌声に酔いしれるように。
 そして行こう、清廉を感じる唄が、耳に絡み付くようで。

 気付いたらタクシーで眠ってしまっていた。

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