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「うぉぉ、うぉぉ、」
本日、俺、鷹沢雀次こと依田紅葉は。
「依田ちゃん、じゃねぇ、雀次兄さん!いい加減にしてくんねぇ?」
今回の講演の相方、竹垣勇咲太夫の前で。
「ああ゛〜っ、あぁ゛〜っ」凄い音した、てか「痛っ、痛っぁ!」。
稽古場の壁に頭を間違えて打ち付けてぶっ倒れるくらい。
「ちょ、依田ちゃん、ねぇ大丈夫なの、おい!」
悶えていた。
「痛ぃ〜、ダメだ救急車もう無理出来ないよぅ〜!」
「ちょっとバカ言ってないで起きてよマジで!」
頭を押さえながら悶えている俺に勇咲は困惑した様子だった。当たり前だ。相方の俺がいま大変中で稽古が頓挫している。
「感心するよ、ちゃんと指は守るんだねこんな時。変態だね最早依田ちゃん」
「どうしようどうしようマジでマジでぇ!」
「だからさっきからそればっかりで全然意味わかんないんだけど。ちょっ、穂咲兄さんいつもこれに耐えてたの!?最早お宅らなんなのっ!」
「だってぇ、だってぇ…!」
この朝からの悶えの原因、ケータイを渡して見せてみる。
「ん?なに…」
しばらく勇咲は眺めて黙ったかと思いきや「知るかぁぁ!」と、俺のケータイをぶん投げてきた。
「確かに今日は無理だろうねぇ!」
「だよねぇ、だよねぇ、」
グラシア解散(仮)ツアー大阪編。
開店19時、開始が19時半なのだ。
どう頑張ってもその時間、ギリギリ間に合わない。
「はい、今の気持ちを弾いて〜」
しかしこう相方に言われてしまえば三味線に手を伸ばす自分。「早くして」とか言われちゃってもうどっちが兄弟子かわからん状況。しかし弾く。
奥庭狐火《おくにわきつねび》の段、入りだし。
「思ひにや、焦がれて燃ゆる、野辺の狐火、小夜更けて、狐火や、狐火野辺の野辺の狐火、小夜更けて」
あぁぁ。会いたいよぅのんちゃん会いたいよぅ。
「アレあの奥の間で検校が歌ふ唱歌も今身の上、おいとしいは勝頼様って音が早いよ依田ちゃんん!」
「はい、すみませんすみません早く会いたいよぅ」
「大体ね、対バンあるんでしょこれぇ!なら多分ダッシュすれば見れるからマジぃ!」
「じゃ早く弾こう…」
「ちゃう、そうじゃない!」
ちゃん、
「かゝる巧みのあるぞとも知らずはからぬ御身の上、別れとなるもつれない父上ぇだからぁぁ!早いっつってんだよ合わせてねぇぇ!」
「うぅう…文楽って長いんだよぅ…」
ホントなんなんさ。んなぺらっぺらの床本で30分とかなんなんさ。のんちゃんだったら5分未満で一曲終わるやん。
「それ言うたらね、終わりやろがぁ!」
「そうなんだけど!」
「どうせ今回大して弾けてないしあんたマジで大丈夫かよっ!」
「ダメだ〜、救急車ぁ〜」
「ダメ今日こそ帰さねぇ。マジでダメ!」
「あんたのが変態臭いじゃんそれ〜!」
「うるさいやるよ、マジやるよ!」
「やだ〜!貞操の危機じゃん〜!」
「違うよまぁ確かに俺亀甲縛ってるけど!演目!」
しかも案外勇咲はこんなやつだった。
確かに今回はちょっと言い訳をする。俺、ガチ過ぎる大曲をやりまくって若干腱鞘炎になってたらいいなってくらいに弾けない。マジでムズい。
やっぱ一人で弾くのと全然ちゃう。なんなの腕折れたの?何回2の糸ぶち切れたの?
「てか多分さぁ、構えすぎだよ依田ちゃん、普通んな3回で糸2本ぶち切れないわ、しかも2の糸!ゴリラ並みの握力でやってない!?ねぇ!」
「はい、はい、」
「ほらほらまさしく「泣いてはいられぬところ」だよ!」
一息吐いたあと勇咲はイライラしたように姿勢を崩し、胡座をかいて睨んできた。
うぅ、芸道の鬼の称号を彼に譲りたい。
「…この演目久しぶりなんだっけ、依田ちゃん」
「うん、まぁ…」
「昔はどうしてたのさ」
「いやぁ…」
昔、かぁ。
「…昔の相方はわりと滑らかに語るタイプだったから…その…なんだろ、ノリで行けちゃったんだよね」
しかもあれ。稽古なしの公開処刑じみたやつだったし、正直。俺もつっぱっててヤケになって多分ドヤ顔で弾いて師匠に「辞めてまえ貴様」と本気の冷たい叱咤を受けたやつやし。
大体師匠なんか奥火でCD出しちゃう国宝だ。というかそんな曲だ。萎縮するに決まっている。
「昔マジで叱咤受けたんだよ勇咲くん」
「あぁ?で?」
「もうだから亀甲縛りとか解けるくらいに俺萎縮してるのかもしれない…」
しかしあの時。
「でも…この曲で相方ゲッツしたんよ、実は」
「はぁ〜、あんたさぁ」
今度は粗野ながら、しかし心配そうな表情で俺を見て勇咲は言った。
「あんただから、ウチの穂咲があぁやって追っかけちゃうんだよ、あんたを」
「…なにそれ」
「昔に拘りすぎじゃないかって言ってんの。あのねぇ、こっち語ってんのに別の相方のことをどっか捨ててくれないから、だから躍起になっちゃうんだよ語りは。
自信なくしてきたよ俺も。まぁ穂咲兄さんほどヤル気はねぇけど、なんだよそんなにダメかってね」
「え、」
確かに。
「でも…」
仕方ないじゃん。
捨てられるわけないじゃん。そんなの。
「よーやく俺はいま八重垣姫の気持ちがわかった。と言うかあんたの気持ちがわかった。
たつた今この水に映つた影は狐の姿、今また見ればわが面影、幻といふものか、
だよ今の依田ちゃん」
なんかそれって。
「…恋心やないわ、」
ちょっといじけてきた。こっちもイラッと対応してしまう。
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