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「…兄弟って、」

 最後の足掻きのように田野倉は吐き捨てる。
 出て行こうと立ったのを止めるには充分な単語だった。

 田野倉を見る陽一の濁ったような空虚な表情に、概ね田野倉は満足した。

「…どこもかしこも、似るもんだね」

 …この男は何が言いたいのか。
 自尊心ばかりのその表情から溢れるように出る、「雪と」。
 陽一の胸にゆっくり、ゆっくりと、少し粘着質な感情が流れ始めた。

「知ってるかい?あいつはさあ、」

 陽一の顔の前に田野倉は掌を突きつける。
 掌の向こう側には歪んだ笑みで面白そうに見る田野倉がいた。

「自分の存在を消すかのように、この手についた自分の痕跡すら舐め取ってな、それで後腐れないつもりだろうが気付かないんだ、自分が腹残りするタイプだって。
 だから客も離れていかない、いつまでも絡み付いて、お前みたいに搾り取っていくんだよ。テキーラみたいに、胃にずっと熱が籠ってんだろうなぁと思うと吐き気がしそうだが、平気な顔して女抱いたところでその酔いが後腐れなんだって、教えてやったつもりだったよ、」

 陽一はその田野倉の手を取っていた。殴る勢いの陽一に「陽一さん、」と坂上は声を掛け制する。

「お兄ちゃんには刺激が強かったか、」

 特に暴力を止める気もないようだが坂上はまだ嘲笑う田野倉に「下品なやつ」と吐き捨てた。

 陽一はそれに殴る勢いが少し覚め「あぁ、そう」と拳は握ったままにした。
 軽蔑に冷たく田野倉を見下げて前髪を引き千切らん勢いで鷲掴み、「気持ち悪いんだよ、この変態、」と陽一は言い捨てた。

「なんならもう少し毟り取ってやっても良いけど?あと5万くらいは後回しにしたんだけど、後腐れがお嫌いなようなんでいかがですかっ?」

 「痛い」、と痛がるその田野倉を掴んだ拳の傷から血はもう、出ていない。じっとり、粘着質で悪臭を放つこの潰した感情に、何故かふと姉の笑顔が浮かんでくる気がした。

 勘弁してくれと腕を掴む田野倉から手を離し、「いくぞ坂上」と陽一は振り向いた。

 店を出るまで息を止めるかのように肩を怒らせていた陽一の、やり場のない拳を見て坂上は「なんだかなぁ」と漏らした。

 息を枯らせる勢いで坂上を見る陽一を横目で見ながら坂上は少し下を見る。

「印象、少し変わりましたよ」
「…ぁにが、」

 押し潰された声に漸く陽一は自分の予想以上の感情に気が付いて、少し動揺した。

 これは果たしてどんな感情なんだろうか。
 どろっと、後味は悪い。

「…雪さん。
 思ったより、生きたいように生きれてないんだなって」
「…何が…」
「怖いんっすけど。
 思ったようにいかねぇのが人生ってよく言いますけど、なんかそうじゃない。下手すぎて真っ直ぐじゃねぇなと」

どいつもこいつも。

「…知った気になってんじゃねぇよ」

 じゃぁ俺は知っているのか。
 雪のことも、知子のことも、浩のことも…姉のことすら。
 知った気になってんじゃねぇよなんて、誰に言えるという。ただ、

「…坂上。お前もう余計なこと喋んな」

 …バカにされた気がした。
 
 被害者はどこまで流れても一生被害者で、加害者はどこまで流れても死ぬまで加害者。一過性のものではない。
 
 何とも共有し得ない、何とも混じり合うことのない、この底に溜まる重い憂鬱は、なんなんだろう。流れるくせに沈んでいく、白くも黒くもないこの腐りかけの化膿したような物は、一体なんなんだろう。

 これはいつか眠りにつくように落ち着くことが出来るのだろうか。流れ着く先はどこだろう、鎮まればそこは晴れて透度を取り戻すことが出来るのだろうか。この、飲み物ではない、何か。

 「はいはい…」と言った坂上は来たエレベーターに陽一を促した。
 まだもう一件仕事があると、一度現実を捕まえてみる。まずはそれが、この身体の流れを塞き止めるだろうと陽一は息を整えた。

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