2019年3月お題「文字書きになった理由」


 とある猫が隣で本調子奏法のように訪ねた、「君は一体何をしているのか」と。
 私はそれに掠れた三音下げに息を吐いてみて「例えばね」と相対調弦と考える。

「例えば三味線は爪を隠すようなものであり、撥は叩く、滑りに手を濡らさないというものがありまして、正座は腹に力が入るものなのですが」

 猫にはその腹があると見え。
 事象は垣間見える喉元の動きとすれば。
 私は膝に空洞を抱え庭を見やるは斜陽と皮の内側の響きに目を伏せる、それは白い、真っ白い空のようなものであり。

「この音色には腹の皮が2面が必要であるがその内側には1本の樹木が漆に塗られて通っている、私はそれについて、考えてみるのだが渋味も綺麗さも思いは付かないのだ。
 音色とは呼吸のようなもので、穏やか、激しさ、使い込まずと腹の皮を破くような仕組みであると考える」
「それはまたどのような事柄でしょう」
「私は一体何をしているのか、音色のようなものでこれは呼吸、されど腹の皮が破かれ、爪も飛び血が流れたとしてこの音は湿るかも知れず噎せ返るかも知れず、されど3本で調弦はいくつあるのか、48かもしれない、だが音の作りは喉元の声と合わせる程の音感でしかないのだから曖昧で違うものが出来る。腹の力加減その日の日照りと湿度でまた違い途方にくれることがあるのもまた、事実」
「三味線の話でしょうか」
「自分の話なのかもしれない。私の中に眠る物が空洞であり音を放つのならこれに越したことはないものだ。
 私は私の呼吸の調子で爪を隠しているのだけど、爪を削ぎ縺れた指を落とし、三本組のように解体され発したものがそれぞれ散らばり、粉々になることが音色と捕らえればそれはなんて滑稽な皮なのだろうと考える。
 それは自己満足、自己顕示、よりはもう少し明朗ではない、これが私の振動とすれば霧散しバラされ跡形もなく空中に散ってしまうのだから破壊衝動に近いと感じるのだよ」
「三味線の話でしょうか」
「…そうだねぇ」
「君は何をしているのかと訪ねたのですが」
「いつか音に取り憑かれ殺され息の根を止めたとしたらそれはどんな物なのか、漸く自分は跡形もなくなって殺されたのかと思うだろう。
 私は誰でもなく、ここにいなくなったのだと、息を吸って解放するのだと思っているよ」
「難しい話ですか?」
「そうでもないよ。ただ、世界平和を望む一面がありながら世界の終わりを静かに待っている節があるのだ」

 猫は欠伸をして「眠くなってまいりました」と告げる。
 私はそれに満足をした。

「一音一音、その場で吐き捨てるように私は息をし、その音を止めるのは私なのだから、殺されるまでここにいようと思うのだよ」

 人嫌いな私が語る相手の猫は、縁側で丸くなるように寝始めた、そう、平和に死んでいくようだと気分がよかった。

 糸を叩く振動は霧散していく。

 私はその呼吸を吐き捨てたのだと、止まりそうな発作に心が白く穏やかになるような気がして、きた。

 これも爪弾く戯れ言。

 過呼吸発作の情動は今日も、捨てられる。

 恐らく気は確かでない。

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