零の結


『大丈夫だよ』

 父の、笑顔で振り返ったあの砂浜を思い出す。
 両手に持ったあの瓶の、無機物になったそれをあの海へ持っていったとき、俺はきっと泣きもしなかった。

 何も言わずに沈めた空気に入り込んだ「良い奴だったよな」と、魂が抜けたような呟きと、

「家に来なさい」

 その父親は目の前で、いまは頬杖をついている。

「なんか、悲しいことでも思い出したんでしょ、樹実」

どうかなぁ…。
どうなんだろうなぁ。

「高田さん、俺はね、」

 あの日からずっと忘れられないんだよ。けど、それはきっと俺だけじゃないと、

「良いやつだったよなぁ、君も」

 その一言に雷を撃たれた気がした。
そうか、きっと、そうだったんだ。

「父さん、俺はきっと」
「正義って、一体なんなんだろうね」

そうか。

「…田さん、俺はきっとそんなものどうだってよくなったんだよ、」
「…そうか。
 君はきっと、良い奴なんだろうね」

だけど。

「俺の正義はきっとこうでしかないんだよ」

そう。
俺は今サブマシンガンを背負っているんだから。

 父親、高田創太は「やれやれ」と、ゆっくりデスクから立ち上がる。
 その蛇のような視線から目を逸らすことはない。だけど逸らす気持ちでデザートイーグルを向けるが、すれ違い様に肩に手をぽんと置かれ「お疲れ様」と言われて振り向いた。

 高田創太の背は悠々と扉へ向かい、さっき俺の肩に置いた手は降られている。

「君の正義は純粋かもね。
 じゃぁまた、戦場で会おうね」

あぁそうか。

 トリガーは引けない。

「大丈夫」
「この海はねぇ、どこへだって繋がってるんだよ」

そうか。

背中は語っている。
背負ったものはなんだったんだろう。
トリガーは引けない。

無機物は身体に残る。

ヒーローって、なんなんだろうかとたまに考えるよ。

 俺は少し、ここにはない海を見たいだなんて、そう、思ったんだ。

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