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 下水に流れ去るような紅い血。
 地面に倒れる彼女を、夕陽は唖然も驚愕もすっ飛んだような表情を浮かべて見下ろしていた。

 それを見たのも、たまたまだったのかもしれないな太一。
 そんな皮肉な視線を彼女の向こう側にいた太一に向ける。

「ゴムくらいちゃんとしろよ、お前」

 その、レプリカントのように無感情な夕陽の口から吐かれたセリフを今でも太一は忘れない。時々発狂しそうになる。

 倒れた彼女の腹からは血が流れ、夕陽は太一に漸く笑顔を向ける。

 夕陽は呆然と立った太一の手から、その血塗れたナイフをするりと奪い彼女の、下水に流れる黒い髪を目の前に、へたりこんでは「ふ、ははは…」と漏らした。

「うっはははぁ!笑えるなこのザマぁ」

ぶっ壊れたのは、
ぶっ壊したのは、
どうやら夕陽だったようだと、初めて太一は己を見つめた、冷えた心境になった。

 見上げた夕陽の手には、何があるか。

 彼女はそう。
 妊娠したようだった。
 正直、太一の子なのか夕陽の子なのかは知らない。
 ただ、夕陽は彼女と寄り添うように、産婦人科から出てきた。
 太一の頭にはその時すでに、殺意しかなかった。

 どんな夕陽も太一には想像が及ばなかったのだ。子供に困惑する夕陽も、喜びながらも彼女を励ます夕陽も、
ましてや、その子供をその腕に抱いて彼女と幸せそうにする夕陽なんて、太一には想像が出来なかった。

 悲観した様子もなかった二人に太一は、直前まで揺れていた心境を振り切ってしまった。
 後ろから刺してしまった、これが現実だった。

 本当は、夕陽を刺してやるつもりだった。苦悶に歪むその綺麗な顔を、あれから何度想像したかわからない。
 太一にはこれが愛か憎しみかわからなくなっていたのだ。

 そんな夕陽はいまや太一を見上げ、薄笑いすら浮かべてその目に何を見るか、その手に何があるか。

 苦悶に歪んだのは太一の方だった。

 泣きもしない夕陽は無惨なまでに皮肉な表情を浮かべて太一に言ったのだ。

「殺したかったのは僕だろ、太一」

 歪められた口元と、
デッサン画の美青年から発せられた醜悪に、太一には背徳と後悔が襲った。

「ちがう」
「何が違うんだい?君は前から、僕を嫌いだっただろう?」
「違う、」
「じゃぁなんでいままで、僕の女と寝てきたのさ」

焦燥が訪れた。
そうか。
バレていたのか、この密かな背徳は。

 この女がどうやって夕陽を満たすのか。それだけが太一が女を抱く理由だった。

 太一の初めては、所謂夕陽の「お古のレプリカント」で、何の感情も沸かず、大体は一度で終わる。

いつか。
君の愛情はここにあったと、言いたかったが。
皮肉もあったのは事実だった。

 項垂れた夕陽はしかし「ぼくはね」と、力なく語る。

「子供の頃に見た母親の、満ち足りた笑顔でここまで、来たんだ」
「…は?」
「僕には向けられなかった。まだ幼い僕はそこから飛び立てず、落ちて行くばかりで」
「…取り敢えず、きゅ、救急車を」

なんて場違いを口にする。

「痛い、」とも口に出来ない彼女を眺め、「だから、」と夕陽は続けた。

「自分の血を別つ子供は愛せないと思うんだ」

酷く淡々と言う夕陽に、太一はただ、黙り混んだ。

「だけど、君を愛したことに罪があったかな?僕には、愛される何かが足りないのかもしれないね、キキ」

女の名前を口にしたのか、女に向かって神のような穏やかな表情で言う夕陽から、確かに太一には夕陽の迸る無償の愛を感じたが、
何に対してその愛が向けられているのか、理解が出来なかった。

ふと、穏やかな諦めに似た表情を浮かべた夕陽は手にして地面についていたナイフを目にし、柄を握った。

人も集まりそうな頃、夕陽はそのナイフを自分の手首に当て、苦悶の表情を浮かべて何本も切りつけ始めた。

「…夕陽、お前、」
「血が流れるのは何故か、僕にはよくわからない」
「は?」
「混じり、あって、下水に、流れる、僕はこれに、興奮すら、ある」
「やめろって、夕陽、」

 止めようとすれば夕陽はふらっと立ち上がり、
陸橋の手摺りを掴み、流れる川を見下ろしていた。

太一は別の恐怖すら覚えていた。
デッサン画の美青年は、
住む世界が、見える景色が俺とは違う。
そんなこと、今更になって気付くだなんて。

「女は川のようだね太一」
「…なに、」
「全て、包んでくれそうだ」

 彼女は最早、息をしているかわからず足元にいる。
 夕陽はふと、その手摺りに乗るように半身を投げ出そうとする。

そうか。
会ったときからもしかするとぶっ壊れてたんだ、こいつ。

 いつからだろうか。こんなに心に穴が開いてしまったのは。死んだ魚のようだったと夕陽は自分を思い返した。

「ただ、愛されたい」

 だなんて。どの口がほざいたんだろう。母親にも、誰にも愛されず、自分もこうして誰も愛さなかった僕は。

ねぇ、でも。
愛されたいなんて。

狂っている。
しかしどうやら美学、共鳴はある気がして。
太一はその、腕から血を流す友人の、地面から浮いた足を持ち上げる。

ゆっくり、スローモーションのように、
しかしあっと言う間に夕陽は川に落ちた。

穴が開いたレプリカントのような女も、もう動かない。

 人が集まりそうだな、それだけ考え、太一は黙ってその場を立ち去った。

 本当はその場で叫びだしそうな、声にならない声にも、君はいないのかと無念に変わり、心の穴へ叫び出す。

君に愛されたかった。
どの口がほざける。

それから1年。
太一と夕陽は病院で、認識もなく側にいる。

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