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 父親が奉行だった頃も、そういう面はあった。

 身分を少しでも緩和できたという点に至っても人によりけりで、役人は平民から得た金を持て余している。

 …もしも江戸幕府のように、あと300年同じ世界が続いたら?
 
 結局、「夷狄いてき」と、異人を嫌っていた長州派はその異国へ回遊中。
 現在を見ることもなく死んだ坂本や高杉…久坂がこれを眺めたらどう感じるのだろう。
 
 自分が生きているこの世界は、ただただ巡るのみ。蜃気楼のようなものを眺めている、ずっと。

 人は結局、変わらない。しかし時代は変わる。だが波にも漣というものがある。

 何より現状、朱鷺貴自身がそうだ。
 何の因果か、実の父親が就いていた“寺社奉行”よろしく、各地域の調査をすることになった。これは勿論「坊主だったから」という安直な物だった。

 ならばと思い付くのは自然と「寺」だ。寺が一番地域格差、人口を把握していたのだから。

 東北の事情は北海道に渡る前、多少齧った。

 すぐに辿り着く青森、旧陸奥むつあたりも、土方や榎本が率いた「奥羽越おううえつ列藩同盟れっぱんどうめい」の影響があり、寺院はあの頃の京と変わらない。
 軍の本丸に使われ廃寺になった場所が未だに多々ある現状だ。

 敗戦した会津、つまり東北地方は戦争によりかなりの痛手を食っているが、この辺の元武家の多くは屯田兵として北海道へ移住した。

 今回の令は曖昧に「東京府近郊」となっている。
 確かに、幕府軍の多くは東北や関東地方から出ている。
 これもまた江戸幕府の初代将軍、家康の策略からなる根強い歴史だ。だからこそ江戸は幕臣、かつ海舟かいしゅうと薩摩の西郷隆盛により無血開城が成立した。

 西郷隆盛の大業として他に知ることは、「薩長同盟さっちょうどうめい」という、現政府の基盤となったものだ。

 犬猿な薩摩と長州を体裁上仲良くするのに一役買ったのが坂本竜馬だというのも今や誰もが知る政治事情であり、当時から混乱し続け今が出来上がっている。

 この同盟が時勢を覆すなどと想像出来た庶民がどれだけいただろうか。

 確かに、あの場で死ぬ人物ではなかったらしい、西郷は。これが真に、“成るべくして”ということだろう。

 逆賊へと転落した旧友、土方にも感心したことがある。
 あの、京の大火災とは違い、北海道では庶民に敬愛されていたところだ。

 人なんて、本当にそんなもん。そんなもんでも、それは偉大なこと。

 この大きな事変は他に類を見ないだろう。未だに俄信じ難いが現在こうなっているのが事実なのだから、信じるも何もないのだ。

 つまりあの大きな事変の後押しをしたのは、当時は問題児とされた坂本の暗躍であり、いまの政府の人員まで書き残していたと知れば…全く、己も大変恐ろしい場所にいたものだ。

 結局生き残れば皆、刀は懐に持ち、しまっていない。
 だから変わらないのかもれないが、自分も今生きながらえている。その原理と同じかもしれないと最近は思えてきている。

 捨てた柵は計り知れず大きかった。自分の身ひとつは、だからここにあるし、だからひとつしかない。

 坊主心は昔からなかったが、これも皮肉なことに自分がかつて師としていた者と似たような道を歩む孤独さに、「これが悟りだと言うのか」と憤るほどの若さすら、どうやらなくなったらしい。

 師に手を引かれ夜道を歩いた、子供の頃の景色。

 自分の場合は、どこでどうしようかと過ぎったところで期が無いだけだと納得するくらいには、丸くなった。当時なら絶対に自害していただろう。

 先人の教え。

 まぁ、確かに死に場所は探したくなるものだなと、友人の墓参り後だからか、数日東北の寺を見てまわり考えた。
 全く休まる場所ではなかった。寺でなんて眠れもしない。眠る際に一日を振り返る、考える。坊主の頃の習慣が戻りつつある。

 ……そういえば。
 いや、そういえば、ではなく。ずっと心のどこかにある。

 あの、従者だ。

 何も言わず寺に置いてきた。それも、なんとなくあの日、互いに柵を吹っ切ったと感じたからだ。

 柵を捨てたと自覚したら、ずるずると振り向いては行けない。それは当時の、自分だけの経験則でそうした。
 肉親という柵が跡形もなくなった少しの間、何もしないでダラダラと、廃人のように過ごした時期があったからだ。

 …後悔と言えば、その事をもう少し打ち明け、理由を明確にしてから去ればよかった。

 当時、彼はすぐに自分の役目を探し自分を追い込むように忙しなく動き始めていた。
 それは自分とは違う強い生き方だと感じ…本当はどういう心境だったかわからないまま自分の経験と当て嵌めて決めつけ、語らないまま野放しにしてしまった。

 あれから彼がどうなったのかを知らない。
 想像だけなら、恐らく新撰組へ向かったのだと思う。
 だとしたら、いまはもう……。

 それもあって、まずは早く彼らの故郷である江戸へ顔を出したい、そんな利己くらいは湧くようになった。

 詮のなく。
 徳川幕府の終わりを背に地図を行く。東京府はまだまだ、遠かった。

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