7
「馬も女も連れてねーし、こっからならぁ、不動ノ滝に向かうといー。あの、あれなんですよ、負傷兵なんかが傷を癒したもんでね。
奥日光のあたりはねぇ、女人禁制って言われてたもんでしてね、上野の方じゃぁ男体山っつー山があるんですね、あれが噴火した時にぃ、中禅寺湖っつーのが出来て、こーなってるんですよ。
奥は家康公が建てた東照宮もあるしぃ、そっから宇都宮、壬生と…当時は」
「壬生…」
矢継ぎ早で情報が多い…。
朱鷺貴がふいに呟いても、継ぎ宿主は責務とばかりに説明を続ける。随分生真面目な仕事っぷり…気になる話も確かにあったが、時間に限りがある。
あらかたの話は聞き流し「ふどうのたき!」とだけ頭に叩き込む。正直あまり休めていない。
そもそも、宇都宮には寄る予定だ。
会津程ではないが、どうやら幕府軍は宇都宮城を半壊させたらしい。
被害があった地区であり、何より日光街道は幕府軍の恩恵と言うべきか、あれから西洋との交易も栄えている。
土方と榎本は北陸で出会ったようだ。奥州街道が幕府非公認になったのは、そこから幕府軍が活発化したからだろう。
朱鷺貴は上官から渡された地図を眺める。
日光街道…不思議なものだ、先は中山道へ合流するのか。
北海道、東北と、分岐点である日光街道を通れば日本橋まで一直線。そこから、中山道か東海道が京まで繋がっている。
因果というやつか……。
繰り返している。
それに縋ることを悪とする気にはなれない。事実こうして何か、誰かが綴っても人は変わらなく繰り返すに決まっているけれど。
ただ。
ただ、同じく残った者たちは苦しいと感じているかもしれない。それを責めることを「違う」と思うのは客観視してもそうで、何も自分の面を立てる理由では無かった。
立てずに済む体裁、面であるならば、自分は堂々と彼らを尊敬したかった。生きるには少なからず責務があることだ、と。
背負う重みが違うからと言って、人の上下を決めるべきではない。
ましてや、覆してみる。今の世では「身分制度」はなくなった、それは目に見える結果だ。
「不動ノ滝!」と意気込んだ後の山道は酷かった。
山は目標を決めない方がいいんだよな…と辿り着いたが、それもどうでもよくなった。
なるほど、絶景。
栄えるわけだ、自然の力故に自然災害もないように地盤が支えられている。因果だ。
そもそも、人には出来ないことが多い。
見える景色に滝行でもしようかと考えたが、やめた。自分は今神職に就いていない。
…等と、不動ノ滝の温泉宿で考えた。ゆっくり考えた気がする。
それでも逆上せることがないほど、まわりは寒い。
充分に疲れが取れた。一晩泊まって日光街道から上る。
多分説明を聞いた、徳川家康が葬られたという日光東照宮の門を軽く眺める。天台宗の祖、天海の指導により建設されたらしい。
門すらも絢爛豪華だが、やけに勧めてくる町人たちはここはまだ「未完」だと言う。
「創造は破壊の始まりっていう考えだそうです。だから、完成はしないんですって」
…なるほど、と感心した。智慧の完成は…空である。
意図してなかっただろうが、江戸幕府が300年続いたという実績は、確かにある。
聞いてはいたがなるほど。参勤交代で使われた大通りの側に堀があり、そこにびっしりと木々が生えている。
この死角になる堀を使って進軍したのだろう。
西洋の文献をいくつか読んだ。西洋では戦の際に、最早盾などではなく堀を作ると。
日本にも城壁というものがある。それに近いのだろう。
日本はこうして「何か」を対象物にして平和を守る。本当に「空」ならそんなことはしなくていいんだけどなと、東照宮の桟橋を渡り考えた。
家康は「空」を望んだのだろうか。
少なくとも大名から…とにかく将軍以外はそうではなかった。だから「壁」があるのだ。
現に、側を流れる…この穏やかな、空のように澄んだ川、鬼が怒ると書き鬼怒川と呼ぶそうだ。
山間部という地形が幸いしているのか、人の歩く道と川には高低差がある。あまりに氾濫するため、こうして城壁のようになったらしい。人の無力さを痛感する。しかし、上手く廻っているものだ。
鬼が怒る川…そんな風には見えないけれどと、更に上ってゆく。
なるほど、日光あたりの町人達はこの大河に対して余裕がある。見るだけでわかった。
宇都宮に向かうまで、橋を補強している。
最早この地は殆どが山だ。水源も豊かで、しかし滋賀のように湖と山が中心な生活、というわけでもない。
京も栃木のように盆地ではあったが、それはそうか、滋賀は隣だ、京に流れる水流はすでに穏やかな方なのだろう。
違いとしたら、関東の川は広い。
鬼怒川は渡良瀬川か荒川に繋がるそうだ。
荒川は、坊主時代に江戸へ留学した際に目にしている。確かに京より橋は高く、これから向かう日本橋もそのうちの一つだ。
江戸では浮世絵なっている。同じく行商人ばかりが通る町だったが、水害に関してピンと来てなかったな、自分も。ずっと山にいたからかもしれないが。栃木の地形は非常に農耕に向いていた。
半壊した宇都宮城を見て思う。山だ。山でしかない。
きっと武家はあっさりと農民に転じることが出来たのだろう。
- 116 -
*前次#
ページ: