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 それからなんとなくポロ、ポロと話しながらダラっと寺での一日を過ごした。

 清生もなんとなく「休暇!」と言わんばかりにこちらへ来ることもなく、部屋の襖が開くこともなかった。
 ただ、帰りの朝に見た清生の表現からは、自分が訪れた時よりも安心感が見えた。

 距離感は前と変わらない、不思議な感覚ではあるが自然だ。

「トキさん、これからどうするんです?」

 ひとつ変わったとしたら、京での最後ではしなかった…避けた話題を振られたことだ。

「まだあんまり決まってない、多分」
「南條殿は、これから京へ?」
「いえ、」
「そうですか」

 ふと清生が満面の笑みで「私はね」と言ってくる。

「…この子がこうも…幸福そうなのが…なんというか、貴方に感謝でしてね」

 まあそれは、祈り、利己に近い物だ。きっと清生にはわからない。
 ここはまだ、空では無いのだから。

「暫くこちらにいるのでしたら、ここの僧に」
「あー、いえ、もう僧にはならないと決めてます」
「…そうですか…。いや、この縁は切りたくなくて」
「……」

 遠慮がちな翡翠に、ふと笑いかけてみる。

「そう言って貰えるのは、嬉しい限りです。
 ええっと、この辺の水源や田畑は…。
 ここまで山や…土地が拓けてしまうと、水源も危ぶまれるし…」

 そういえば土地の法案のひとつに「有形、無形」と分ける、というのも上がっていたな。

「…学制が進んでいるのはご存知ですか?」

 ここで、寺子屋もどきをやっていたことも思い出す。

「学制…確か、この辺に学び場を作るんでしたっけ。話は聞いてますよ。
 ふふ、本当になんだか…、昔のようですね」

 本当ならば巡礼したいものではあるが、生まれ故郷には本当に、絶対に帰らない。

「…西郷隆盛と申していましたよね」

 ふいに、さっきから黙っていた翡翠が言う。
 意外な人物から意外な一言が出、「戦争になりますから、貴方はせめて、こちらに残ることを勧めます」と、珍しく助言までしてきた。

「…え、」

 確かに西郷は「薩摩に帰る」と言っていた…。

 ハッキリした目でこちらを見る翡翠は「…内藤の小姓さんから文が来ましてな」と俯き清生に「すまへん」とボソボソ謝る。

内藤ないとう隼人はやとは昔の……まどろっこしく隠さず言うと土方歳三の変名で…」

 清生が、少しだけキリッとした気がする。多分、翡翠は隠していたのだろう。

 内藤隼人は、大久保大和、つまり近藤勇と共に現れ鎮撫隊の副隊長を勤めていたとあった。だから、自分は知っている。
 しかし僧侶は知らない筈だ。

 なるほど。

 自分が役人でなければこいつは墓場までこの話をしなかっただろう。

「……翡翠住職、それは、」

 まるで守るかのように清生がふと翡翠に腕を伸ばすが「まあま、」と翡翠自身はやんわりとした表情。

「内藤の最後の小姓は…昔から繋がりがあり、たまに手紙が来ていたんです。
 死を知る罪は重いです。私の片腕では背負えまへん。
 …だなんて、この人のせいやね、思い出しました」

 意味を含んだ目でこちらを見る翡翠に、そうか、知り合いかと…思いつく人物はいる。だが、あまりに意外で声は出なかった。

 …だけど。

「彼とは少し前から連絡が取れません。遅かったかも。すません、こんな最中。せやけどたまにはきっちり言う人生もと…私が勝手に言うたのみです、すません。
 北海道と聞いてすぐにわかりました。あの子も少し前、遺品を返しに行き、そうして……薩摩の徴収でそちらに向かった事でしょう…」

 俯き、左手の拳を震わせ「すません…私は、」とポツリと言ったが。

「相変わらず治ってないな、バカかお前は。彼の選んだ道だろう?」

 誰がどうであれ、それが道ならば。

「ここだけの話にするよ、イマイチわからないし」

 それだけ言って去ろうとすれば「待って、」と弱々しい左手と、こつんと背中に当たる額に立ち止まってやった。

「…俺には、世の中に生きるが地獄か天国かなんて、考えてもわからんし、」

 ぐっと握る手。
 震える翡翠に、お前は今泣ける男になったんだよとただ、立ち止まるまま。

 だけど。
 振り向けば見上げてくる顔。

 …どうにも感情的すぎた。
 朱鷺貴はバシン、と両手で頬を挟むように叩いてやった。
 
 …初めて見たな、こんなにくっしゃくしゃなこいつは。

「………い゛っだぁ゛、」
「お返しだ、はっ……!」

 ついに笑ってしまった。
 驚きなんだか悲しいんだが、わからん顔をしてやがる…!

 しかし、綺麗な感情の証だ。
 その涙を拭いてやり「俺は目の前の、自分が届く現実に向き合うと決めた」と告げる。

「俺は情けないからな」
「いや……、」

 どうやら翡翠は「舌、噛んだっ」らしい。

「ただそれだけでいい。良くも悪くも、飲み込むことにした。
 逃げずに…」

 これがもし利己なのだとしたら、どこまでも許せなくなる。先がないから良い、その通りだ。だからこそ。

 空を眺めて目を閉じる。

「…よくここまで来たよなぁ」

 先が無いから終わりが来ないのだとしたら。

 …そういえば昔だ、なんか、同じようなことを考えた気がする。

 破壊と創造が同じ、捨てるために拾うという輪廻を勝手だと感じるのなら。

 不思議な顔をする翡翠の頭巾を取りガシガシ頭を撫で、ぐっと抱擁をしてすぐに離し、「宿もないし」と事情を告げる。

「さっきの案もあるから、一回舎に戻って……もしかすると今日の遅い時間か、明日の早朝かな。
 出来るだけ早く戻る。暫く、世話になります」

 こくっと頭を下げ、石段を降りる。

「…わかりました」

 待ちます、と言ったような。
 伝えられたら幸いだけど、本当はわからない。

 決めたんだよ、一歩ずつ終わろうかなと。
 身ひとつで、確かにここにいると、地に足を付けながら。

[完]

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