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 “岡田以蔵”の名前の横にはとても似ていない肖像画。
 驚く間もなく“土佐 脱潘浪人”とあればふいに驚きを殺すのも癖だった。

 見出しには“池内大学殺害容疑”とある。

 部屋で指を手当てをした日を思い出す。わからなくもない。

「…そりゃあ、えらいこっちゃね…」
「この儒学者は尊攘派で…この男には他にも公家の重鎮、幕臣の殺害容疑が掛かっているのですが、…最早無差別で思想も見えず難航していまして。町に潜伏していると思われますが…。
 我々私用にて数日は訪問も出来ませんが、何かありましたらいつでも」
「あい、わかりました」

 …そうなってしまったのか。
 斎藤が数人を連れて「では、」と立ち去るのに翡翠は頭を下げた。

 …あれも手練れに見えたが。
 深読みかもしれないが、こういう人間には少なからず自分は敏感であろうと思っている。

 斎藤は、彼らがこちらに来る前の事を知っているだろうか。最も、特に自分達は何事もないが、顔を見知った相手というのは少々気が悪い。

 あの日坂本に渡したお守りを思い出す。
 あの三人は一体今、どういう関係なのだろうか…。

 少し気落ちしそうになっていると、戻ろうとしたとき「知り合いか」と真横で掛かった声に一瞬で気が張り詰めた。

 充分に聞き覚えがあったが、忘れかけていた声。

 確認すればやはりそう。藤門の黒い羽織。
 義兄だった男が斎藤の背中を眺め、「何番隊やあれ」と呟いた。

「…若、」
「なんやえらい他人行儀やなぁ。久しぶりやね水鶏くいな

 斎藤を眺めながら「あんなんおったんやな」と、鷹は少し声を落とす。

「身ボロの壬生浪がボロ寺になんの用や?」
「……」

 何も言わずに睨むだけになった翡翠の手元を見て「あぁ、それか」と鷹は嫌な笑いをした。

「どーせ仲良ぅなったんなら、早うして欲しいもんやな、こんな畜生、」
「…あんさん、壬生浪をつけて来たんかえ?」
「違うねん。あんなチンピラ願い下げや。あいつらウチのお得意さんと揉めやがってなぁ、吹っ掛けたったらあのボロや」
「…は?」
「あそこの芹沢せりざわっちゅー大将に力士が何人か吹っ掛けられてなぁ。あろうことか大相撲力士が斬られたんよ。そりゃ事やないか、まぁ、俺が示談で納めたってとこや。
 あれに岡田を売り飛ばしたってもええなぁ。金もないんにいくらくれるんやろか。
 あの田舎モン、そろそろ潮時やし遣えへん。今思い付いたわ」
「…何言ってるか」
「はぁ?」

 色々と話についていけない。

「知っとるやろ、それ。あの勤王党の鉄砲玉や」
「…なんて?」
「しかし飼い主さんも餌のやり方知らんようでなぁ、こうもなったらただの廃人やねん。可哀想に」
「…ちょっと、待って、」

 過った。
 だがしかし何を言おうというのか。

「…義兄あにさん、何を、」
「わからんか?」
「わからんよ、何言っとるか」
「ウチには飛び道具、あったよなぁと。お前にも用があってな」

 初めから自分に用があったのか?
 いや、それは後で良い、が…。

「どうや数年遊ばしたんや。そろそろ暇やろ?お家に帰らんとあかんで水鶏。
 いつまで待っても使いから帰らんでなんや?忘れてもうたんか?」
「わてはあんさんとこのもんやない、」
「藤嶋はんもなんや帰らんなぁと、ボケそうやったであの変態」
「そんなわけない。義兄さん、悪いけど今忙しいねん。元気で」
「あーあ、」

 鷹が急に声を大きく出したのにびくっとした。

 本堂に帰ろうかとしたが、鷹が更に「あれは捨てたんやないで、水鶏」とわざわざ言ってくる。

「いつまで拗ねとるん?坊主んときはハイハイと」
「あれはしつこかったから、」
「はは、宿には相当に金蒔いたやないか。顔真っ青にして怒ってたなぁ、お前」

 鷹は文字通り、金や、その他をその場で撒き散らしやがったのだ。
 そりゃぁ自分の落ち目、弱味といった劣等感と、何より迷惑が掛かると働くのが人ではないか。

「人でなしやなぁ、お前は。あの非道に染まったか。
 んじゃ、可哀想やけどあの鉄砲には消えて貰いましょ。飼い主も手放しや、はは、その方がええかもな」

 あの時、切なそうに土佐の話をした彼の顔すら当たり前に浮かんでくる。

「…非道はどっちや、あんさん、一体何をしようとしとるん、わてには関係ない、」

 声が荒くなるのは最早構わなかった。
 勿論、騒ぎは朱鷺貴も気付くことで。

「言うてること滅茶苦茶やな、まぁ俺は知っとるで、お前は優しい子やからな」

 いちいち人が気にするところを啄んでくる。
 しかし嘲笑っていた鷹は急に表情を変え「笑かすなや、」と吐き捨てた。

「お前、ホンマにのんびり暮らせると思っとんのか?こんな場所で、平和ボケしたんやないか?忘れるなよ死に損ないが。
 お前が一番無理やろうて。抜けた腰叩いてやらな立てへんなら兄ちゃんがやったるで」

 「来いや」こちらが抵抗する間もなくいつも、まるで食い散らかす。
 少しだけいた坊主達が困惑しているように見えた。

「はは、お前は神さんなんて高尚なもんにはなれへんよな、水鶏。何人やったか、俺ももう覚えてへん。そうやって生き長らえたんに、恥晒しやなぁ、えぇ?綺麗な水は腹壊すで」

 沸々と奥底を煽られる、腹を探ってぐちゃぐちゃと、これがこの男の常套手段だとわかっているくせに「このっ、」と、腹が立って懐刀に手を掛けたが「待たんかーい!」と、背中から朱鷺貴の声がした。

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