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紙がやけに湿った。そろそろ秋が近い。
そんな折り、そうだな、ここで二人だけになったとしたらと朱鷺貴は考えてみたけれど、想像が付かない。それは、翡翠には知れないこと。
声なき声か。この先の事を考えられないのは、何かひとつを置き去りに出来ないのは、自分も同じなのだと思う。
いつでも、誰かが見ていて何も見ていない。最後の知恵の完成は、これなのではないかと思えた。
壮士とは挨拶すら交わさなくなったが、ある日の夜、「ようやりや」といつもの調子で言った後の朝には居なくなっていた。
本格的に寺が広く感じ、さて、そろそろどうするべきかなと朱鷺貴が考えていた頃合いだった。
いつも通り、残された墓石を磨いていた最中、大名行列、よりはこじんまりとした集団の中に藤嶋が居た。
だんだら羽織も一人いる。
そうもなればなんとなくわかる。
厄介だなと掃除を止め門へ行くと…どこかで見覚えがあるような、ないようなというミブロに頭を捻る。じっとこちらをにやけ面で眺めているのだ。
「……?」
「どうも」
そう言ったミブロに振り向く輩一同。
それを了承としたらしい本人はぐいっと前に出て来ては急に右手を出し「Let's shake hands.」と言ってくる。
完全に思い出した。
「……あっ!」
「その節はどうも」
その節?
取り敢えず、こいつは…何年か前、旅に出てすぐだ。清水の高台寺で出会った。
当時は意味がわからなかった「なんちゃら派」だの(結局覚えていない)言っていた…高台寺!?記憶が徐々に目の前にまで来る。
もしかして手紙の相手、こいつか?
朱鷺貴がぐるぐるしていると、藤嶋がミブロをぐいっと避け、「ほれ」と、懐から何かを押し付けるように渡してきた。
ぱっとみれば組紐で結ばれた6文と、紙で包まれた…恐らく金一枚だろう。
何事だと思い眺めれば見上げて「布施だ」と言ってくる。
…感情は意思ではなく反射で身体を動かすらしい。聞いた瞬間にぱっと、こちらも押し付けて返し、しかし教えも過る、施しと聞いてしまえば受け取らなければならない。
僅かな抵抗とばかりに「…こんなにはいりませんが、」と心中を察しかねる。
烏合の衆を眺めた。
藤嶋、ミブロと…十字家紋の入った背の高い上等な着物の武士、それの付き人か何かが二名。
トサキンと比べれば大分小規模、つまりは“お忍び”と見えるが。
いつもはバタバタとしているこの寺。
よくわからない問答を誰かに聞くのか見掛けるだけなのか、こういう時には「トキさん」と翡翠がやって来るのだが、もしかするとただ、いつも忠実に忙しく働いているだけなのかもしれない。今日はまだ来ないようだ。
「戒名代と石代とじゃ足りないか?」
「……尚更だ」
「改めてどーぞと」
「あんたな、」
藤嶋の胸ぐらをついつい掴んでしまったが、藤嶋はゴミでも払うように朱鷺貴の手を払い、「ここじゃダメなら壬生寺に頼むが」と言ってくる。
…墓に挨拶すらないけどな。
やるせないまま金を握ると、お構いなしで「堂を借りる」と押し入って来た。
「堂を借りるって、別にここ、宿じゃないんだが」
「すもはん」
すると、烏合の一人、十字家紋の男がもさもさと間に入るように申し出た。
「おいどんは、サヅマのセゴ隆盛と申す。藤嶋はんとはぁ、ハンス、島津久光の密命でここにと。もして会津の、新撰組ば連れて来」
それに「待った!」を掛ける。
「…申し訳ない、少々聞き取れなかった。えっと…セゴタカモリさん、つまり」
「幕命であり、俺がいるからには朝廷、つまり国からの密命でここにいるということだ。だから新撰組がいる。この人は薩摩の西郷さんね。
が、こっちはどうやらお前にも用があるらしいぞ朱鷺貴」
藤嶋はちらっと、高台寺(仮)を見た。
「すもはん、薩摩の言葉はわからんとよく、言われもす…」
「んんあぁ、そうかそれは仕方がないですね」
じゃ、と進もうとする藤嶋の背を引っ張り「えっとじゃあまず自己紹介をしますが、この條徳寺の…坊主の南條朱鷺貴です」とセゴこと西郷さんに名乗る。
不満そうな視線が藤嶋から送られるが、恐らく話の主はこの、西郷だろうから、関係ない。
どうもどうもと互いに頭を下げる中「もういいか、」とイライラしている藤嶋を見た西郷は困り顔。
「あんのぉ、こん寺どうも忙しのぅ見え」
「寺はいつも忙しいんだよ。国に帰る前にって話しじゃなかったのか西郷」
「……えっと、取り敢えずミブロさん、あんたらなんでウチに用事が?」
「高台寺から文を送りましたよね。人員が」
「…ミブロ入隊なら俺は顔を曇らせるしかないがじゃあ、あんたが勝手に残っている坊主へ聞きまわってくれ。
そんで、藤嶋さんは」
「ミブロは護衛だ。お前な、この西郷は今京都にいたら何があるかわからんが、いなけりゃこの先ヤバイんだわ」
「…あんたはなんで?情報多すぎない?公家っつったってあんたは鷹つ…」
「いいから。というか客だぞ?まず茶を出せアホだなお前は」
イラッとしたので「はいはいはいはい、」と、しかし客間に通すのも癪なので、適当に空いた小坊主の部屋でもいいんじゃないかと考えていれば「あんりゃぁ、」と、廊下で西郷が声を出した。
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