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味噌ラーメンに落とした卵は崩れてしまった。
少しがっかりしたが、そもそもこれ自体が大分贅沢だ。我ながら心が広いなと満足気味に食べ終える。
高級品もジャンク品も、旨いと感じるシチュエーションがあるものだ。
きっと春夏は飯を食ってくる。寿司かどうかは知らないが。
なんなら酒も飲んでくるし下手すりゃ泊まりか…社長様は明日の勤務、大丈夫なんだろうか、社長だからいいんだろうか。
共に過ごして見て知った。春夏は意外と神経質なやつで、熱中症の知らない女の子を助けてしまうようなやつでもある。
あの条件でセフレか恋人かと言われたら、自分達はなんだか不明だ。しかし、なんとなくどちらも当てはまらない。
異性だからか?いや、由紀子だって最早半同棲だろう。
でも由紀子はきっと春夏が拾ってこなければ、未だに全然興味もない子なんだろうと思う。あれやこれやと春夏が世話を焼くから、なのだ。
タバコを吸おうと思い立った。
空いたどんぶりを見て、昔は大体こればっかりだったんだけどなと過る。
不思議だ、あれほど乾燥麺なんてうんざりしていたのに。今は好きだ。この食べ物だけはふいに食べたくなる。
タバコもそう、灰皿なのか空き缶なのか足の踏み場もなかった。
まだ三本しかない灰皿、でも、捨てようかという気になる。俺、いつからこうして生きているんだっけな。人生の大半な気がする、錯覚。
ニコチンがドーパミンを放出し終え、ふと眠くなった。
ふいに側のスマホが振動して目覚める。未登録の番号だった。
ぼんやり、春夏かもしれないなと反射で通話ボタンを押すと、「もしもしすみません」が、完全に知らない男の声だった。
「………はい?」
「こちら、救急隊員のアクツと申します。こちら様の番号は…瀬戸修介さまの番号でお間違いはないでしょうか?」
滅菌された、清潔感のある声。覚醒した。
救急隊員とは、どういうことか。
「えっと、」
「えっと…先程お父様の瀬戸義行様がですね、腹痛を訴えられまして」
奥から、しゃがれた声が聞こえる。
何を言っているかは聞き取れない、早くしろとかそういうことかもしれないが、なのにハッキリわかる。それは確かに、10年も縁を絶っていた父親のものだった。
奥の声は徐々にハッキリする、「しゅ〜すけぇ、しゅ〜すけぇ」と呼んでいる。
おかげで側の救急隊員の説明は全く聞き取れなかった。
「は?えっと…」
「只今受け入れ先の病院を探しているところで…お先にお父様の生年月日と」
「いや、」
そんなときだった。
「ただいま」と、春夏がドアを開けた音がした。
あれ、今何時だと確認しようにも、字が小さくて読めない。
あ、メガネしてねぇじゃんと思う間に「ご住所などを」と話が進んでいる。
「いや、知りませんけどそんなヤツ」
うわ。“そんな人”が適切だったな、雰囲気。
相手が「あれ?」と混乱した間にも修介…早くしろよとクソ親父が叫んでいる。
相手を、しかも公共機関を混乱させた、とつい気弱になり「あ、すみません」と口走っていた。
「もう知らないんです、その人の住所とか。暫く会ってなくて。生年月日も元から知りません」
「え、」
「すみません」
後ろで春夏が冷蔵庫を開け、水か何かを飲む音がする。
「…えっと、いま病院が決まりました。坂下総合病院というところなんですが、お越し頂くことは」
「いや、わからないし、知らないんで」
ひょいっとスマホが奪われた。
春夏が暑そうにネクタイを緩めながら「もしもし」と取って変わってしまった。
「ちょ、」
「…はい。そうです、瀬戸修介です。場所はどこなんですかね………何県ですか?
あ、わかりました。うーん、どれくらいかわかりませんけど、調べて行くんで。まぁ県内住みなんで、県なんて端から端でもこの時間ならせいぜい3時間でしょ。多分近いとは思いますが。はい、はーい」
勝手に通話を切った春夏はケータイを返してきては、自分のケータイに持ち替え、「あ、一徹?」と連絡を取り始めた。
「帰りがけ悪いけど、坂下総合病院まで連れてって、隣の。悪いね」
スムーズに済ませた春夏にまず、あんな野郎、と急性的に悪意が沸いてきて「おいハル、」と怒ってしまった。
しかし春夏がまるで見下し「ただいま」と再び言うのでおぅ、そうかと「お…かえり」と辿々しくなる。
「ほら行くぞしゅう」
「…いや、」
そしてガシッと腕を掴み立たされ、「早く」と急かされる。
「…ちょい待てちょい待て」
「なんで、緊急だぞ」
「いいって、」
「何が」
「ちょ………痛い痛い痛い!離せよ」
「離したら俺だけじゃんヤだわつーか無理だわ」
「はぁ!?」
「いーから」
てゆうか酒臭かった。
ついでにうっすら甘い香水の匂いもして。
「…何時、」
「21時」
「早っ」
「味噌ラーメン食いたかったんだよ」
思ったより、……今日じゃん。
ぐいぐい、ぐいぐい。どたばたと、外に連れ出されてしまった。
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