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 ケータイに予定を高速で打ち込んでゆく平原さんに、感心した。
 爪がカチカチいう。指紋認証とか、どうしてるんだろう。

 つい、悪いと思いつつ「平原さん」と横槍を入れてしまった。

 「はい?」と返事をしながらも打ち込み続けられる彼女に、うん素質はあるかもしれないなとは、思えた。

「あと…爪って剥がせたりするのかな?」

 聞き方が悪かった。

 平原さんは物凄く驚いた、まるでウサギのような顔で「え?」と顔を上げた。

 社長はそれに少し肩を震わせて「ヤクザじゃないんだから」と、こんな時ばかり突っ込んでくる。

「あ、えっとごめん。そういう痛いやつじゃなくて…」
「…やっぱり切らないとダメですかね?実は…これ、つけ爪じゃないんです」

 えっ。

「えっ、そうなの!?」
「はい…」
「凄い…何年掛かるのそれ」
「え?」
「あ、いや、初めて見て」
「ふっ……、あはは!面白いコマゴメさん!」

 あ、えっと…コマゴエです…。

「コマゴ、くんだよ平原さん」
「えっ!
 あ、ごめんなさい!」
「あ、いや、よく間違われるから、ダイジョブです…」

 大体が最初、コマゴメ。それからコマゴメ、コマゴヘェ…コマゴェ…コマゴエに進化してゆくのだ。

「…でも、シャチョーさんの、側にいるなら…」
「…そうですね」
「わかりました……ちょっとここまでくると勇気はいりますが…ガンバリマス、」

 おぉぉ、悪い子ではマジでないな。多分。なんだか申し訳ない、何年物なんだろう…。

 確かに研修さえすれば…ホントに大丈夫かもしれない人材だ。
 正直「そんな、容姿に自由もないんですかこの会社は!」とヒステリックを起こされたらどうしようかと思っていた。

 …別にいいんだろうけれども。社長は。

 でも、相手方がどうとか、結局気は遣わなければならないのだ、協調性というのは。どんなに形だけで「容認」したとしても。自分は自分だ!と開き直ったとしても。

「ありがとう、ごめんね平原さん」
「いえ、ありがとうございます。恥かいちゃうところでしたよね」

 賢いし…充分第二の社畜をやっていける。

 実はあまり教えることもなかったりして…と律が思っているうちに「駒越さんって、面倒見がいいですね」と、やっぱりちょっとだけズレた答えは返ってくるけど。

「初めて言われた……」

 いや。
 晃彦に言われたことあるな、「器用貧乏だね」の後に、と思い出し、「かも…」だなんて曖昧になる。

 そのうち自然に「モテそうですね」と他愛のない話が始まってしまった。

「…全然ですよ」

 あ、そうなんです?と彼女は明るい。
 しかしそんな時に社長が「もう着くけど」と不機嫌そうにボソッと言った。

「…クライアントの前だから、悪いけど考え事したいんだよね、俺。必要最低限にしてくれない?」

 すみません、と彼女もボソッと不機嫌になり一気に場の雰囲気が変わってしまった。

 三日で教えなきゃならないわりに、言ってることなんか、矛盾してない?

 しかし社長はマイペースに、それから本当に何か考え事を始めた雰囲気を醸し出す。

 …まぁ、社長のその真剣な感じ、皮肉にも嫌いじゃないんだけども。

 そんな調子で午後までの仕事が終わった。少しだけ新人を意識し、過剰にメモを取ったりして。

 しかし本当は自分とでなく、社長には平原さんと打ち解けて欲しい。

「えっと…お昼はこの辺りだと、どうしましょう、和食で宜しいでしょうか」

 社長は不機嫌だった。
 目線が来るのみで、うんともすんとも言わない。

 そんな中、「あ!私この辺だと、良いお店ありますよ」と変な日本語で言ってきた平原さんに、変だけどいいぞ!頑張れ!と応援したくなったのだが。

「これです!」

 ケータイ画面を見せてくる。
 めちゃくちゃコテコテしておじさんには優しくなさそうな見た目の「パフェ」、か何かの写真だった。

「………」

 社長の「昼飯だっつってんだろ」という視線が痛い。
 だがすぐに「まぁカフェ?いいけど探す?」と、こちらも変な日本語で応戦してくる。

 …もしかして、あれ?俺と開拓した店は行きたくないけどこの女のセンスも嫌だ、みたいな我が儘が発動されていたりする?

 しかし平原さんは良い意味で空気が読めなかった。
 「やった!じゃあ行きましょ!」と、まさかのそれで進もうとしている。

 でもまぁこの人にはこれくらいがいいのかもな、たまには騎乗位でバシバシ攻める、みたいな。
 と、律は密かに主導権を握った気になったのだけど、社長が「…ごめん時間ないからそこのファストフードね」と、珍しくうるさいジャンクを提示してきたので少々驚いた。

 それはそれでそう言えば仕事の話もあったしな、うどん屋じゃ無理だわと、律は出そうになった溜め息を引っ込め、勝機は我にありと勇んだ。

 ファストフードで平原さんに買い物を頼んだうちにパソコンを広げたが、「なんなの一体」と、社長から漸く不満を引き出した。

「…君、随分女の子と…なんか上手く出来るじゃん」
「え?」
「あの子ああ見えて、一応弟の若嫁になるからやめて欲しいんだけど」
「……は?」
「言ってなかったっけ?だから研修なんだよわかる?」
「…そぉいうのは先に言ってくださいよ〜…」
「ま、別に良いんだそこは。何?ムカつくんだけど」

 え、何?何急にギャルになってるのこの人。

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