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 控え室にはいつの間にか、研修生全員が揃っていた。
 最終日、皆レポートを必死にまとめているのが現実らしい。

 俺も今日の分をまとめようかと起き上がったタイミングで「皆さんお揃いですね」と、中年で胸がデカイ副院長が呼びに来た。

 皆ぞろぞろと診察室に連れて行かれ、MRIとCT、レントゲンの画像をそれぞれ見せられた。

「これはシベリアンハスキーのナナちゃんと、レトリーバーのマロンちゃんの比較画像ですが、ナナちゃんは椎間板ついかんばん椎間板《ついかんばん》ヘルニア、マロンちゃんは突発性とっぱつせい癲癇てんかんで、二匹とも年齢は12歳と10歳です」

 椎間板ヘルニアと突発性癲癇、それぞれどちらかは異状なしの状態で、違いを事細かく解説された。

 確かに、骨が微妙に疎らで圧迫部位というのも見比べてはっきりわかったし、脳の傷、隙間というのはなるほど、俺たちのレベルでは画像を並べてもらわないと分からない。

 研修最終日、俺はダメ元で副委員長にMRIの比較を貰えないかと訪ねた。
 案外あっさりと、「患者さんには研修生に見せると伝えてありますので」とOKを貰った。

 これはとてもおもしろかったし、画像付きでレポートは埋まった。効率が良い。
 手術や忙しさの兼ね合いで、最終日はあっさり早めの帰宅となった。

 家でレポートをまとめようと思ったのに、帰ったら母親の靴がありしまった、と思った。
 こっそり戻ろうという頃には遅く、「晃彦、」と母親に捕まってしまった。

 母親は顔をしかめ「獣臭い」と言い捨てる。
 医務衣なんてその場の回収だし、それほどないはずだけど。犬並みの嗅覚だな全く。

「…ただいま」

 どうせ良い気持ちはしないと母親に構わず横を通り部屋へ戻ろうとも、「待ちなさい」と腕を取られてはすぐに嫌そうに払われる。

 母親は自身ではない変な思念に基づき、動物を嫌っている。

「なんだよ」
「…学校は行ってるの?」
「帰りだよ今。早く終わっ」
「あんた、家畜の医者になりたいって正気なの!?」

 …あぁ、うっぜぇな。

「心配しなくてもなれないから大丈夫」
「……ちょっと来なさい」
「ヤダ。疲れてんだよ、」

 予防線を張らねばというぞわぞわが胸を締め付ける。

 家族思いだねと言われた、そうかもしれない。こうやって思い切りぶちのめす前に壁を作ること。

 だがこんなものは経験則だ、一度経験してしまっている。

 この一線がないと自分は信じられないほど相手を攻撃するということ。人間でよかったという低俗な思いさえ頭に流れるのに。

 頼むから今日は、いや、そろそろ良い加減にしてくれと、構わないフリで部屋に行こうとするのにまた腕を掴まれてしまった。

 「待って、」と言う切羽が詰まった声色につい振り向いてしまうけれど、母親は感情も読めない表情で突っ立っていた。

「夜遊びをやめたなら考えてあげる」
「…は?」
「昔のお坊さんだって医者はやったもんだし家畜も育てていたから」

 …やっぱり噛み合わない。
 何言ってっか全然わかんねぇんだよ。

「…悪いけど、あれ、嘘だから。4年で卒業する。
 聞いてくれるかわからないけど学科選択の時点でアウトなの。ホントにやりたいことじゃ」
「ホントに!?」

 それに母親は嬉しそうな表情をした。
 …なんだっつうんだよ、それ。

「でもね。お母さんそれ聞いて見てみたの。貴方、6年…そう、24の歳に大成するのよ。だからお母さん、止めない」

 …はぁ?

「何言ってんの?よくわかんないんだけど」
「うん、だからちょっと来なさ」
「違ぇよそういうことは、」

 つい怒鳴ってしまい、「…言ってないから」と無理矢理自分を抑えつける。

 本当は。
 本当はこんな、紙ほどに薄い壁なんて、ぶち破っちまった方が楽なのに。それを分かっているからやめて欲しい。
 多分そうなれば修復は無理だ、なんせ破れている、今もこうして破れた紙が透けて見えるんだから。

「…自分でやりたいから」
「晃彦。24では転職もするのよ。だから医者にもなれるかもしれないけど、同時に」
「関係ないよ。悪いけどレポート書いて昼寝するから呼ばないでくんない?
 母さんが何を信じたって構わない。それと同じで俺はもう少し自分を信じたいんだ。悪いけどここまでで」

 そうね、貴方はそういう性格なのよ、そういう星のなんちゃらかんちゃらと、浮かれきった何教だかわからない言葉に振り向こうか、止めた。
 当たるかどうかの問題じゃない。

 じゃあ仮にその通りだったとしよう、俺の支配欲はそんなものじゃ空き足らないよ、それを越えたいと多分思うんだ。
 これっぽっちも信じてないからそうならない。それだけがわかる。

 …これは自分が蒔いた悪い種かもしれないと思わないと、母さんのことが「生理的に無理」になりそうなんだよ。

 多分、小さい頃のあれだ、あれが悪い。拾った猫が飯を食わなくて死んでしまったやつ。そう、それでいいのに。もうこれにだって無理がある。

 …二人目が欲しかったんだと俺が知っていると母親は知らない。病気なら仕方ないよと言っていればよかったのかもしれないけど、俺は幼かった。

 でも、そこまでしろと要求されたら多分、横暴だと思うんだろう。
 どちらにしても、今の距離が最善だと思う。

 あぁ、なんか嫌だな。何故こんなことを考えなければならない。

 まぁ、いいや。家探そ。

 いくつかやることがあれば気は紛れるしと、レポートも書けなくなったのは事実だ。頻度は上がってしまったけど、ハプバー行こ。
 どうせ財産だなんだは面倒だから俺が死ぬ頃には0にするって決めたし。もう惜しまない。

 どうだっていいや。

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