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家の前で「じゃーな」と、桜木から冷却シートやら何やらが入った袋を渡され、灯は車から降りた。
空気が少し湿ってるな。
静かにしないと、というか店へはなんと連絡してあって、自分は今普通に戻っていいのかとか、わからない。本当に注文も入っていなかったから。
そこまで前沢が自分に関心もないのは知っているけれど。
背後で車のドアが閉まる音がする。
一体どうしたかと思えば、桜木が降りてきて「やっぱ、」と突然手を取りぐいぐい、進んで行くのだ。
「…ん?」
「雨の匂いがすんな」
「ん?何それ」
「こりゃ明日は降るな」
そうは言っても0時はまわっている。わかっているのかは知らないけど。
終電前に帰れてよかった。お姉さん、帰ってきてるかな。土曜日だから微妙かな。
「ちょっと?」
桜木は何も言わない。
キョロキョロしながら同じメゾネットに「…104だっけ?」と知ってはいた。
がらんどうで電話しか置いていない勤務先の住所じゃない、オーナーの棲み家。果たして知ってるものなのだろうか。
どっちとも言えないな。
「そう、奥の前」
聞けば当たり前のように桜木は進んで行く。
「もう大丈夫だよ」と灯が言うのに「いいから開けろ」と噛み合わない。
困るんだけどなと思ったが、まぁどうにでもなれという気もしてきた。
前沢の靴はなかった。明かりも点いていない、飲み歩いているのだ、きっと。
そろそろ終電も近いし、朝帰りかもしれない。
それ自体は桜木にでもわかるだろう。
あの事務所にいるのはあり得ない、なんせ電話しかないがらんどうだ。本当は注文も自身のケータイで取っているわけだし。
あがろうとする桜木に考えた。靴箱を開けても、今はいない千香の靴を置くスペースしか空いていない。
「なんだ?」
「いや、場所がない」
「ん?」
よくわからねぇな、と言いたそうに桜木が勝手に上がり込むので、灯は桜木の靴は持つことにした。
キョロキョロする桜木に「目の前」と言うと、やはり「なんだそれ」とツッコまれる。
灯があしらうように顎をくいくい「入れ入れ」とすると、疑問な顔のまま桜木は襖を開けた。
「雨降ってくるなら申し訳ないけど」
桜木の靴は窓の外に置くことにした。
屋根はあるし、吹き込むかもしれない。でもそもそも状況が謎なんだよなと窓を開けると「いやいやいや」とツッコまれた。
「間男か俺は」
「どちらかと言えば。
部屋見てお察しかなと思うけど、俺らあんまりその…出ちゃいけないの。出来るだけ静かにってのが条件だから」
「…本格的に軟禁だな。まぁ、じゃあいいけど、」
「お茶くらいは出すよ」
だから早く帰ってねと言いたいのだが、桜木はぼんやり、何かを考え始めたのか、腰を据えテーブルに頬杖をついた。
あぁ、灰皿もないんだよな、でもまぁ仕方ない。
紅茶しかないなと、やはり仕方ない、宛はないが一度カップを探しに行く。
下の収納スペースから、耐熱出来るか不明な、100均の陶器ではないカップを見つけ、軽く水洗いくらいはしてやった。
戻ると桜木は当たり前にタバコを吸っていたが、ふと見上げ買った冷却シートを開け「少し我慢してしとけ」と渡してきた。
「…何?」
「いいから。で、お前は布団にくるまる。取り敢えず俺が来た理由はこれでOK」
「う〜ん…」
まぁ、さっさと紅茶を飲んで帰って貰おう。あげてしまったし、後回しだ。
灯が例のカップにティーパックを乗せると「大丈夫なの?それ」と、もうツッコミしか確かにないよなと、現実も見えてきた。
「ごめん、これしかなくて。」
携帯灰皿に灰を落とす。
「いや、別にいーけど。多分やめとけ」
「じゃ、ポカリ飲んで」
答えはしない。
しかしふと、まだ長いタバコを捨てたと思えば、ただ何も言わずに抱き締めてきた。
「…しんど」
「…ポカリ嫌い?」
「まぁアクエリ派。違いあんまねぇけど。いつも何に入れて飲んでんの」
「マグカップ」
「あんのかよ」
「来客用がない」
「あっそ。お前のは何色の何」
「…丁度、三色の線入ったハリネズミのやつ。
ウサギのやつはお…千香さんのだから使わないで」
「わかった」
結局自分で入れることにしたらしい。
なんだかなと、言われた通り冷却シートは貼ることにした。
…疲れたな。
でも重くはない感じ。少し寝たからだろう。
ちょっと上手く貼れないなと前髪を上げていると、桜木はカップを二つ持ってきた。
ただ無言で、言われた通り三色の線が入ったカップにティーパックを乗せ、ケトルを沸かせていた。
じっくり、特にティーパックを弄ることもなく眺めながら、またタバコに火をつけ始める。
「匂い漏れる、とは言わないけど」
「千香さんはタバコ嫌い?」
「わからないけど」
「じゃあいいや別に」
勝手だな。
でも確かに、どうでもいいな、こんな小さなこと。
ちゃんと布団にくるまることにしたが、果たして桜木は何を考えているんだろうか。
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