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 そっと店から出てリタ…リタリン…と忘れないように唱える。一級品で薬剤師でも使えないらしい。

 これは薬事法などに引っ掛かりそうだ。そもそも自分が飲んだ朝のあれは…覚醒剤系でないことは、間違いないんだけど。
 しかしよくよく考えると、天然由来…だとか、漢方だとかも言っていたし、「あんまり言うと死に方を教える」とも、前回言われた。

 もしかして波瀬は俺の…過剰反応を起こす物を特定しているのかもしれない。

 …それって、つまり。
 アナフィラキシーショックを起こす…俺を殺すことが出来るのかもしれないけど。

 あの「明日来て」はそう…いつも自分で作る「少し生きる理由」みたいな、そんなものを与えてくれたような口調だった、てゆうか前回なんて「少しの幸せを考えよう」だなんて…言ってきたのだ。

 …半井が言うところの“気の持ちよう”、波瀬が言うところの“物は捉えよう”なのかもしれないが、今日の電話だって…然り気無く薬の残量を確認していたり、もしかすると…モーニングコールだったりして。

 そんなことを考えていたらふと、思い出した。あの薬を渡してくれた際、大丈夫なやつのはず、ダメなら非ステロイドをと渡してくれていた。

 信憑性が出てきたな、あの男もしかすると本当に自分を……何故だろうか。

 希死念慮ではない、どちらかというと自我保存の感覚に似ているような気がした。
 特別死にたい理由なんて…別に…。だけど本当はもう、生まれてくることがないようにと、願っている。

 自我保存、フロイトの理論。相対する感情を同時に持つこと。
 交わることのない平行線。しかしそれは≠。
 希死念慮は自我保存に行き着く、これが胎内回帰願望だとしたら。

 これは円環でループのはずだ。なのに自分は一本線で、これを行き来しているのかもしれない。
 本当は、答えに行き着いている。希死念慮の理由。だから、近付きたくないのだ。近付けば楽で、何かを平気で裏切る筈だから。

 でも、これだって後付けか。本当のところ…。

 どうして裏切りたくないと思うのだろうか。昔、黒田から許さないと言われたのは確かに焦げ付いている。大切な友人を傷付けてしまった自分にまた…。

 たった一本の糸。それを人はなんと呼ぶのだろう。あれが切れる瞬間は、いつだって急なほどの、脆い理性…生理現象のようなもので。あの時だって、そうだった。
 突然、なんの前触れもない。

 鳴り止まない、ずっとこの先も、この雑音が。本当はずっと、同じものが鳴っている。

 なるほど、ユングか。確かにペルソナ論ならイコールになる気がする。それは、夢なのか。

 確かに危ないのかもしれないな。

 誠一も江崎も結果は出ていないのだろうか。なら、誰が誰をこの錆びた橋から突き落とすだろう。皆リスクと条件は同じだ。

 自宅に着いたのは夕方だった。昨日、江崎の自宅に着いたのと同じくらいだ。

 なんだか疲れたな、けれど着替えくらいはしなきゃ…と、スマホを充電器に差し、寝巻きに着替える。

 ベッドに寝転びぼんやりとする。

 夕飯を考えなきゃならない時間かなと、一度メールを開くと履歴が目に入った。波瀬亮太の後、平良誠一と江崎新。

 波瀬に話したのは何故だったんだろう。思い付かなかったからだろうか、デタラメなんかを。

 目を閉じる。助けて欲しいとあの、ステレオグラムのような目眩に襲われた日は、手を伸ばしたのだ。それを抑制され…興奮があり。

 更にぼんやりする。
 そういえば江崎は「平良じゃ無理かな。サツ垂れ込まれるかも」と予想をしていた。

 何かを伝えなければならないのかもしれないけれど。
 …自分は大した人間ではない。いつも、いつも何も言えないから。

 目を開け、スマホを手にしていっそと、まずは江崎のメールを眺めた。

新さん

 …何が言いたいんだろう。
 既読は付かなかった。ただ、だからこそだったのかもしれない。

どうしてずっとヤクザ屋さんをやってるんですか。

 それだけ投げて次は誠一に。

セイさん
今日は何が食べたいですか。

 こちらも既読はつかない。

 一息吐いて処方薬を一粒飲んだ。少し落ち着かない。頭を休めないといけないなと目を閉じる。

 まだ赤い膜のように見える目蓋。多分それぞれが働いている時間。
 たまにゆったりと流れる時間。それでも次に明日を迎えればどうやら、まわりはいつでも進んでいる。

 この、流れに取り残された惰性。

 大人になりたかった、なれなかった、なってしまった。ゆっくりと穏やかに、深呼吸をして過呼吸を抑えるように、少し息を止めてみたかった。

 天国か地獄かわからないくらいのぐちゃぐちゃがいい。それは一体、何色なんだろう。

「慧」

 少しの、浮遊感のようなもので目が覚めた。
 まだ、眼鏡もしていない誠一がいて、どうやら揺り起こされたらしい。

「…おはよう。ただいま。遅くなって悪かったな」

 ベッドが揺れた。
 誠一はネクタイを外しながら離れていく。視界は、天井だけになった。

「既読つかないからテキトーに買っ」
「リタリン…」

 譫言のように、染み込ませた単語を吐く。
 首だけを動かすと、スーツを掛けた誠一が怪訝そうに「…は?」と振り向いた。

「んな劇薬がどうした」
「…えっと」

 起き上がる。
 少しクラっときた。

「…思い出して、昨日のこと」
「昨日?」

 そういえばいまは何時なんだとスマホを見ると、確かにピコピコしていた。

 22:38。随分寝たようだ。

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