6
そっと店から出てリタ…リタリン…と忘れないように唱える。一級品で薬剤師でも使えないらしい。
これは薬事法などに引っ掛かりそうだ。そもそも自分が飲んだ朝のあれは…覚醒剤系でないことは、間違いないんだけど。
しかしよくよく考えると、天然由来…だとか、漢方だとかも言っていたし、「あんまり言うと死に方を教える」とも、前回言われた。
もしかして波瀬は俺の…過剰反応を起こす物を特定しているのかもしれない。
…それって、つまり。
アナフィラキシーショックを起こす…俺を殺すことが出来るのかもしれないけど。
あの「明日来て」はそう…いつも自分で作る「少し生きる理由」みたいな、そんなものを与えてくれたような口調だった、てゆうか前回なんて「少しの幸せを考えよう」だなんて…言ってきたのだ。
…半井が言うところの“気の持ちよう”、波瀬が言うところの“物は捉えよう”なのかもしれないが、今日の電話だって…然り気無く薬の残量を確認していたり、もしかすると…モーニングコールだったりして。
そんなことを考えていたらふと、思い出した。あの薬を渡してくれた際、大丈夫なやつのはず、ダメなら非ステロイドをと渡してくれていた。
信憑性が出てきたな、あの男もしかすると本当に自分を……何故だろうか。
希死念慮ではない、どちらかというと自我保存の感覚に似ているような気がした。
特別死にたい理由なんて…別に…。だけど本当はもう、生まれてくることがないようにと、願っている。
自我保存、フロイトの理論。相対する感情を同時に持つこと。
交わることのない平行線。しかしそれは≠。
希死念慮は自我保存に行き着く、これが胎内回帰願望だとしたら。
これは円環でループのはずだ。なのに自分は一本線で、これを行き来しているのかもしれない。
本当は、答えに行き着いている。希死念慮の理由。だから、近付きたくないのだ。近付けば楽で、何かを平気で裏切る筈だから。
でも、これだって後付けか。本当のところ…。
どうして裏切りたくないと思うのだろうか。昔、黒田から許さないと言われたのは確かに焦げ付いている。大切な友人を傷付けてしまった自分にまた…。
たった一本の糸。それを人はなんと呼ぶのだろう。あれが切れる瞬間は、いつだって急なほどの、脆い理性…生理現象のようなもので。あの時だって、そうだった。
突然、なんの前触れもない。
鳴り止まない、ずっとこの先も、この雑音が。本当はずっと、同じものが鳴っている。
なるほど、ユングか。確かにペルソナ論ならイコールになる気がする。それは、夢なのか。
確かに危ないのかもしれないな。
誠一も江崎も結果は出ていないのだろうか。なら、誰が誰をこの錆びた橋から突き落とすだろう。皆リスクと条件は同じだ。
自宅に着いたのは夕方だった。昨日、江崎の自宅に着いたのと同じくらいだ。
なんだか疲れたな、けれど着替えくらいはしなきゃ…と、スマホを充電器に差し、寝巻きに着替える。
ベッドに寝転びぼんやりとする。
夕飯を考えなきゃならない時間かなと、一度メールを開くと履歴が目に入った。波瀬亮太の後、平良誠一と江崎新。
波瀬に話したのは何故だったんだろう。思い付かなかったからだろうか、デタラメなんかを。
目を閉じる。助けて欲しいとあの、ステレオグラムのような目眩に襲われた日は、手を伸ばしたのだ。それを抑制され…興奮があり。
更にぼんやりする。
そういえば江崎は「平良じゃ無理かな。サツ垂れ込まれるかも」と予想をしていた。
何かを伝えなければならないのかもしれないけれど。
…自分は大した人間ではない。いつも、いつも何も言えないから。
目を開け、スマホを手にしていっそと、まずは江崎のメールを眺めた。
新さん
…何が言いたいんだろう。
既読は付かなかった。ただ、だからこそだったのかもしれない。
どうしてずっとヤクザ屋さんをやってるんですか。
それだけ投げて次は誠一に。
セイさん
今日は何が食べたいですか。
こちらも既読はつかない。
一息吐いて処方薬を一粒飲んだ。少し落ち着かない。頭を休めないといけないなと目を閉じる。
まだ赤い膜のように見える目蓋。多分それぞれが働いている時間。
たまにゆったりと流れる時間。それでも次に明日を迎えればどうやら、まわりはいつでも進んでいる。
この、流れに取り残された惰性。
大人になりたかった、なれなかった、なってしまった。ゆっくりと穏やかに、深呼吸をして過呼吸を抑えるように、少し息を止めてみたかった。
天国か地獄かわからないくらいのぐちゃぐちゃがいい。それは一体、何色なんだろう。
「慧」
少しの、浮遊感のようなもので目が覚めた。
まだ、眼鏡もしていない誠一がいて、どうやら揺り起こされたらしい。
「…おはよう。ただいま。遅くなって悪かったな」
ベッドが揺れた。
誠一はネクタイを外しながら離れていく。視界は、天井だけになった。
「既読つかないからテキトーに買っ」
「リタリン…」
譫言のように、染み込ませた単語を吐く。
首だけを動かすと、スーツを掛けた誠一が怪訝そうに「…は?」と振り向いた。
「んな劇薬がどうした」
「…えっと」
起き上がる。
少しクラっときた。
「…思い出して、昨日のこと」
「昨日?」
そういえばいまは何時なんだとスマホを見ると、確かにピコピコしていた。
22:38。随分寝たようだ。
- 33 -
*前次#
ページ: