思い出してしまう。高々、ケータイを買うか買わないかの話だった。

「眠いんだから!」

 と一蹴されてしまった。母は、いつもそうだ。こちらの用事を慮ることもなくくだらない内容を何時間と電話をしてくるくせに、こちらの用事は構いなし。
 どうやら母親とはそういうものらしい。友人との雑談でそう言われた。

 あの面倒臭そうな声色。先日喧嘩をしたばかりだ、保育園帰り、クリスマスイブに高熱を出した日のことで。
 送り迎えの車内で、母は詰ったのである、「明日のために残業したのになんなの!?」と。

 子供ながらに、「ママは忙しい、明日喜ばせようとしてくれたのに、熱を出した、悪いことをしたんだ」と思ったことを、たった一本の電話でふっと思い出す。最近の話だからかもしれない。

 母は覚えていなかった。声色も変わらない。多分、それも覚えていないのだ。

 いまとなればわかる、若くしてシングルマザーな母は私を抱え必死だったのだろうと。

 しかし思い出した、いや、心にずっと引っ掛かり続けていたからこちらも言ってしまったのだろう。きっと、「ごめんね」も忘れてしまっている。

 母はそれから自分を「ママ」と言わなくなった。一人称は「私」だ。それは私が大人になったからだと思う。
 普通と他人と自分と誰か。それは一体どう違うのだろう。
 絆、繋がり、呪縛。それは一体どう違うのだろう。

「産みたかったから産んだのよ」


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