それでもやっぱり

 その日、私は財前の姿を見て、肩にかけていた鞄を思い切り落とした。教科書が詰め込まれた鞄はどさり、と大きな音を立てる。背を向けていた財前もそれに気付いたようで、顔を少しだけこちらに向けたかと思えば驚いて固まったようだった。

「ざ、ざいぜん!」
「……ああ、おはよう」
「おはよう! じゃなくて! どうしたん!?」
「は? なにが?」

 重たい鞄を勢いよく持ち上げた私は駆け足で財前の元まで行く。途中でちょっと転けそうになったのは内緒だ。財前には思い切り見られていたけれど。しかしそれに笑うことなく近づいて行く私に顔を顰めていた。
 ぐい、と顔を近づけて、本来あるべきものがなく、ポツリと穴が複数あいた耳を見つめる。

「な、ない……!」

 そこを凝視しても普段見慣れているものは存在しない。何度瞬きを繰り返しても、ない。
 どうせ間抜け面と言われてしまうだろうが、これにはぽかんと口を開けてしまう。

「耳元で叫ぶなや」

 ぐいっと大きな手のひらで顔を覆われて、そのまま強い力で押されてしまえばか弱い女の子な私には抵抗する術はない。数歩下がって、財前、と彼の名前を呼んだ。

「なんや」
「ピ、ピアスは……?」

 覆っていた手をそのまま自分の耳たぶに持っていき、落ち着かないのかふにふにと触っている。そしてあー、と言葉を零した。

「どっかの誰かさんから眩しいってクレーム入ったから外した」
「え……、」

 思いもよらなかった理由に絶句してしまう。そんな私なんか視界に入っていないかのように、財前はくるりと背を向けて歩いて行ってしまう。
 残された私はぽつんと立ち尽くしたまま。周りの生徒がちらりと私のことを見てくるけれど、正直そんなものどうでもよかった。

 私が……財前のアイデンティティを……無くしてしまった……?

 なんだかとても悪いことをしてしまったような気がする。やばい。これはやばい。とりあえず謝らなければ。私は、そんな、外して欲しくて眩しいなんて言ったわけじゃない。とりあえず、それだけは。それだけは伝えなければ。

 教師に怒られるのも無視して廊下を駆ける。普段は感じない教室までの距離が、やけに遠く思えた。バタバタとうるさい足音を立てて教室まで走って、ちょっと古くなったからか立て付けの悪い扉を勢いよくスライドさせる。
 ガタガタ、と鳴ったあと、バン、と最後まで開いた音が教室はおろか廊下にまで響いて、少し恥ずかしくなった。
 ただそれよりも財前に謝らなければいけない気持ちが大きい私は、浴びる視線を無視して財前の元へと近付く。音で気付いていたのか、私が教室に入った時から財前は私のことを見ていた。

「うるさいねんけど」

 そんな文句も今は右から左へ通り抜けていく。

「財前! ごめん!」
「は?」
「ピアス、外して欲しくて言ったんじゃないねん……」
「あー、」
「だから、ごめん。財前ピアスめっちゃ似合ってるし、かっこいいからまた明日から付けてきてくれへん……?」

 勢いに任せてなんだか変なことまで口走っている気がする。それに、ピアスを付けるか付けないかなんて財前が決めることであって、いや私のせいで外してるんだけど。でも、付けて欲しいなんてちょっと図々し過ぎただろうか。

 不安になる私を他所に、財前はゆるりと口元を緩めた。

「アホ。あんなん嘘や。たまたま今日付け忘れてん」
「……ほんまに? 私の言ったこと、関係ない?」
「そんなんに一々耳傾けてたらキリないやろ」
「そっか……。そっか! よかったぁ……」

 安心して脱力する私に「やっぱりアホやん」と投げかける財前の口元は緩んだままだった。
 その顔がなんだか優しく見えて、今日はピアスをしてないにも関わらず財前が眩しく見えた。


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