――最初にその人を認識したのは、いつだっただろうか。
深夜のコンビニ。店内のラジオだけが響く中で暇を持て余したわたしは、カウンターの中でただぼーっと立っているだけ。
最近流行りの曲が耳を通り抜けていく。早く時間が経てばいいのに。立っているだけも疲れるんだから。 壁に掛けられた時計を凝視しながら念じる。
やらなければいけない仕事がある程度終わってしまった今、来店が無ければ本当に暇なのだ。何かやることは無いかと視線を店内に彷徨わせるが特に何も見つからなかった。残念。
誰も見てないのだから事務所に籠るのも良いし、他の人はそうしているらしいんだけど、やっぱりお金が発生している以上そういうことはしなく無い。ワンオペなので休憩もロクに取れないけど。本来なら一時間必要な休憩すら取れないけど。そこはまあ、夜勤をする以上仕方がないと諦めた。
手持ち無沙汰になってテキトーにレジの画面にあるボタンを押していく。控えめなピッ、ピッ、と音が響くだけで、その実なんの暇潰しにもなってない。
不意に、扉が開く音がする。数秒遅れて特徴的な音楽が店内に響いた。
「い、いらっしゃいませー」
誰も来ないだろうと完全に油断していたわたしは更に数秒遅れて挨拶をする。驚いてしまったせいで吃ったが気にしない。多分お客だって気にしないだろう。多分。
だらしない姿を見られてしまっては最悪の場合クレームに繋がってしまう。サッともたれかかっていたカウンターから体を離す。
やってきたお客は雑貨でも見ているのだろうか、レジから姿が確認出来ない。
いつレジへ来てもいいように店内を見渡す。すると商品棚の奥から黒色の髪の毛が顔を覗かせた。移動しているのかその黒色はゆっくりとドリンク棚へと向かっていく。
そうして、レジから全身が見える場所で背を向けて立ち止まった。
「あ、」
無意識で零れた言葉に慌てて口を塞ぐが、店の端から端。とても小さな声は流れる店内放送にかき消されたのか、それとも最初から聞こえる声量では無かったのか。どちらかわからないが彼が反応することは無かったので良しとしよう。
距離が中々にあるので見えはしないが、その形のいい耳には合計五つのピアスがぶら下がっているのを知っている。
少し猫背気味で、常にダルそうな気配を出しているけれど靴を引きずって歩くことはしない。足音がしなくて度々驚かされているのは内緒だ。
そうして、いつもジュースとデザートを二、三個購入して行く、深夜の常連さん。名前は知らないけれど、年齢はわたしの一つ下。一度お酒を買う時に年齢確認をしたのでこれは確かな情報。
そして顔がいい。それは、物凄く。こんなイケメン、リアルで存在していいのか。神様は不公平じゃないかと本気で思うぐらいには整った顔をしている、と思う。
モテるんだろうな。というかあれだけ顔がいいのに女が放っておくわけが無い。年齢関係なくモテそう……。つよい……。
そんなわたしだって観賞用として抜群に好みだった。おかげで仕事が楽しい。ありがとう名前も知らぬ常連よ。
彼はドリンクが陳列するケースから一本取りだし、くるりと回る。そしてそのままレジに向かって歩いたきたが、目の前で止まる。丁度そこはデザートケースのある場所で、いつもと変わりない様子でどのデザートにするか吟味しているようだった。
そう言えば昨日新作デザートが入ってきたけどそれは選ばないのかな。
今までの傾向を見るに洋より和の方が好きらしい。よく餡子系のものを選んでいる気がする。
……いや、冷静になってわたし。普通に考えて客のことここまで見てるのは気持ちが悪い。
本人が見られていることに気付いているのか、それとも慣れているのかはわからないが今まで追求されたことが無いからよかったものの、下手をすれば――下手をしなくたってただの変態じゃないか。
そう思い視線を逸らそうとした瞬間、彼が振り返って目が合った。ぴしり、と体が固まる。
…………え? ま、待って? な、なん、なんで……? 見すぎ? 見すぎてたから? でも今まで見てても何も無かったじゃん? タイミング……!
完全にパニックを起こしたわたし。しかし悟られないように表面上はにっこりと接客用の笑顔を貼り付けた。えらい!
ずっと見てたことに対して何かアクションがあるかと思いきやそのまま彼の視線はデザートへと戻っていく。どうやらたまたまこちらを見ただけらしい。それにしてもびっくりした……。
聞こえないようにふぅ、とか細い息を吐く。
バレてなくてよかった〜!!! このせいでもう来なくなったらわたしは仕事を辞めてた。それぐらいには彼の顔に癒されてる。それがなくなるなんてきっと耐えられない。
彼が常連になる前まではどうしてたんだっけ、と記憶を掘り起こす前に、買うものを決めた彼がカウンターに商品を置いた。
「い、いらっしゃいませ!」
どうやら今日は不意を突かれることが多すぎる。最初のように吃ってしまうが、彼は気にしていないのか特に反応はなかった。
商品のバーコードを読み込んでいく。数が少ないのでほんの数秒で終わってしまった。まあいつもの事だけど。
「合計三点で八百四円になります。ポイントカードはお持ちですか?」
「や、持ってないです」
ほとんど毎回同じセリフを聞いている気がする。毎回毎回律儀に答えてくれてありがとう。でも知ってるから無視してもいいんだよ。
知ってるなら聞くなとも思うだろうが一応流れとして癖で聞いてしまう。
ですよね、と心の中で呟きながら商品を袋に詰めていく。
また次回も聞くだろうけど、それにもきっと律儀に返してくれるんだろうなぁ。
袋に詰めた商品を渡して、金銭トレーの上を確認するとちょうど八百四円が置かれていた。
「八百四円ちょうど頂戴します。レシートはご利用ですか?」
「大丈夫です」
「ありがとうございましたー」
ぺこり、と腰を曲げてお辞儀をしながら最後の挨拶を済ませる。カウンターから離れたのを確認して顔を上げて、見えなくなるまで背中を見つめる。他の客には絶対にやらないけど。イケメンは最後まで見てたいじゃん?
すると途中で足を止めた彼は、数秒かけて振り返った。
「えっ」
なになになにかわたしやらかした?
なぜか数秒見つめ合ったのち、ふ、と口元を緩めた彼が口を開いた。笑った顔はちょっと可愛らしい。
「見すぎちゃいます?」
「……へ?」
ぽかんと口を開けてしまう。間抜け面だろうが知らない。そして、彼の言葉をじわじわと理解した脳は、勢いよく頭を下げる命令を体に下した。
「すみませんでしたぁ!」
わたしが謝罪を口にする前には既に背を向けて歩き出していたけれど、広い店内に響いたわたしの声はきっと届いていることだろう。そうであってほしい。そうであれ。
そしてお願いだからクレームだけは入れないで! あと次も来て!