無罪
「私の夫は死んだのに、どうしてあなたは生きているの?どうして、助けてくれなかったの?」
言葉が深く突き刺さる。傷を抉られるような痛みであっても、それは生きている証であり、生きてここにいるまふゆの責務だ。
戦況を把握し、もっと早く動けていたら。そんな言い訳は通用しない。
やり場のない怒りに苛まれた遺族に、バケツの水をぶちまけられたこともある。
だが、今日は違った。
年老いた母親は息子の訃報を聞き、しばらく無言のまま座っていた。時が止まったかのような静寂のあと、おもむろに立ち上がった母親が見つめる。
「遺品を届けてくださってありがとうございます。今まで、息子がお世話になりました」
そう言って深々と頭を下げる姿がやけに小さく見えた。
悲しくて苦しくて悔しくてたまらないだろうに。皮肉でも何でもない、敬意のこもった声音。
自分が泣いてはいけないんだと必死に言い聞かせても衝動が襲う。
もうだめだ。
口を開いたら嗚咽が漏れそうで、挨拶もそこそこに家を出て、逃げるように路地裏まで走った。
リヴァイにも、住民にも兵士にも見つからないように物陰に隠れて、そして泣いた。
わかっている。
痛ましいのはあの母親だけではない。皆、同じだ。
けれど知らなかった。
責められるよりつらいなんて。
目を背けてはいけないのに、悲しくて見ていられなかった。
涙も見せず取り乱したりもせず、やけに冷静な様子に、絶望に似た悲しみが滲んでいるようで。胸が張り裂けそうに苦しかった。
ただ、そんな中でもぼんやりと浮かぶ。
自分が死んでも泣いてくれる親はもういない。悲しませずに済んでよかったと思う反面、あの兵士がうらやましいとも思った。
「おい」
突然声が降ってきて、びくりと身体が震える。足音も、気配すら感じなかった。しかしその声を聞き違えるはずもない。
「クソガキ。調査兵団がかくれんぼでお遊びか」
抱えていた膝から、おそるおそる顔を上げる。
空になった樽や木箱が乱雑に置かれた無法地帯にはほとんど人が近づかない。だが、しっかりとリヴァイに見つけられてしまった。
慌てて涙を拭い立ち上がる。みっともない泣き顔を見せたくはないが、まさか子供のように駄々をこねるわけにいかない。
「申し訳――」
「あの母親が言っていた。息子のことで本気で泣いてくれる人がいて、あの子の選んだ道は間違いじゃなかったと思えた、ありがとう――ってな」
「……え?」
逃げ出して泣いていたのを咎められるかと思ったが、予想外の言葉に動きが止まる。
「…ど、どうして、兵長がそのこと…」
「いつまでたっても戻って来ねぇから、またバケツの水でもぶっかけられて、いじけてんじゃねぇかと思ってな」
「……」
つまり、様子を見に兵士の家を訪ねたということか。あの日のことを気にかけて。
『チッ…今日はもういい。さっさと帰れ』
リヴァイの言葉を思い出す。役立たずな自分に呆れたのだと思っていた。
「俺やエルヴィンにはできねぇことだ」
「いえ、そんな…違うんです。ありがとうだなんて言ってもらう資格ない。私は…あのお母さんの悲しむ姿から、目を逸らしただけです」
「どう解釈しようが相手の勝手だ」
「…でも、それじゃ騙したみたいで」
「世の中、なんでもバカ正直に言えばいいってもんじゃねぇ。覚えておけ、クソガキ」
「……そういうもの、なんでしょうか」
「そうだ」
まふゆの中にある腑に落ちない気持ちを一言でかたづけて、リヴァイは踵を返す。
「たとえ勘違いであっても、救われたならそれでいいだろう。大切なものを失った痛みなんて、どうやったって癒されやしねぇんだからな」
「――――」
まふゆは思わず、リヴァイの背中を見つめる。
この人は、強いだけでなく痛みも悲しみも知っているのだ。
だからこそきっと、他人の心をも思いやれるのだろう。
優しい人。
真に、強い人。
先輩たちがリヴァイを慕う気持ちが、やっとわかった気がした。
「……っ、」
遺族を端で見て泣いているだけの自分が情けなくなった。
おかしい。こんなに泣く性格ではなかったはずだ。そう思いつつも、まふゆ自身の感情やリヴァイの思いやすべてがごちゃ混ぜになって涙が止まらない。何に泣いているのかさえわからなくなってくる。
必死で涙を抜いリヴァイの後を追っていると、突然、その足が止まる。ぶつかりそうになりながら、まふゆも立ち止まった。
「…てめぇはどこまでガキなんだ?いつまでもグズグズ泣いてんじゃねぇ」
「すっ、すみません」
まふゆはとうとうハンカチで顔をおおった。
「抱きしめてほしいか?」
兵長の口から出たとはとても思えない言葉に、反射的に顔を上げ、凝視していた。
いつもと変わらない、目つきの悪い無愛想な表情。
全然似合わない、全然おもしろくない冗談。
なのに、吹き出してしまった。
笑いがこみ上げてたまらない。泣きながら笑って、きっともうめちゃくちゃな顔になっているだろう。
周りに理解されようと思っていないこの人なりの慰め方は、可笑しくて優しかった。
「何笑ってやがる」
「だ、だって…っ、くくっ…似合わ――」
まふゆは続く言葉を発せなかった。
腕の中に捕らえられ、頭を押さえ込まれたからだ。
「俺は元々気障なんだ」
「……」
「……。おい。今のは笑うところだ」
それどころじゃない。涙も笑いもいっぺんに引いてしまった。
心臓をリヴァイに捧げてしまうかもしれないほど、鼓動が激しくて。
そして――
あたたかい。
とても。
頭を押さえ込まれたままで、リヴァイの表情は見えない。
行動も、感情も、まるで読めない人だ。
だけど今は意味を考えるより、ぬくもりに包まれていたいと思った。
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2019 1 22
例のイベントから。
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