spinnengewebe8


『よせ!』


憎悪に支配されてしまったかのように見えたが、リヴァイの制止に反応を示したのを見て望みを賭けた。


まふゆの声を待っていた。

目の前で痛めつけられる男を見て何も言わないはずがない。

『やめてください!』

心底安堵した。

ああ――
いつもの甘ちゃんなまふゆだ――





泣けとは言ったが、普段が能天気なだけに苦しみを吐き出すように泣く姿は痛々しかった。
幼い子供が感情のままに泣きわめくようで、だが、それこそが本来あるべき姿なのだと思う。

お前を放せないこの手を、追い詰めて同じだけの想いを無理強いする俺を、
どうか、どうか――

償えないのはわかっている。謝罪することで楽になるのは自分だけだ。謝られたところでまふゆはどうすればいい。リヴァイから解放されない限り、救われないのだから。

かける言葉は見つからず、ただ抱きしめていた。


なるべく人目につかないようまふゆを連れ帰り、部屋に着いた頃にはだいぶ落ち着いた様子になっていた。目は赤く、涙だか鼻水だかわからないぐしゃぐしゃな顔。ハンカチで拭ってもまだ泣いた跡が残っているように見える。
そういえば雨の日に借りたハンカチはまだ返していない。洗濯してからずっとポケットにしまってある。

「……さっきのは怖かったからじゃなくて憎かったからなんです。あんなに憎いと思ったの初めてかもしれない。殺してやるって――」

ふと思い出した記憶を遮る声がした。

「その気持ちは俺に向けろ」

あの殺意は本来、そもそもの発端であるリヴァイに向けられるべきものだと思った。
男がまふゆを思う気持ちは本当だったのだろう。受け入れられなくて実力行使に出る、何が違うというのだ。
わかるからこそ許せなかった。
あの男と自分が重なって見えた。他人の目に映る自分はなんと醜いものだろう。腕を振り上げるまふゆの、その目に映っていたのはリヴァイだったかもしれない。

あの日の記憶と今日が重なり、押し込めていた憎悪があふれ出したとしか思えなかったのだ。

すると急に、じっと見つめられた。
涙の乾いた赤い目のせいか、また泣いているように見えた。

「そうやってずっと悪者になって…。私より兵長の方が、自分のしたことに傷ついて苦しんでるように見えます…」

「お前らしい言い方だ」

リヴァイは笑った。
傷ついているとは笑わせる。兵長を悪く思いたくないというまふゆの思いが窺える。
そうして罪悪感を取り除こうとするまふゆにますます苦しくなった。
まさか泣いている間も人の心配をしていたんじゃないだろうな、と胸を締めつける感情は悲しみを通り越して痛みに感じた。

明日どうなるかわからない毎日の中で、あれこれ考えている時間を無駄だと感じた。
今思えば焦っていたのかもしれない。
悔いのないよう――そう言いながら、まふゆの意思を無視して行動に出た。
その結果、自分本位な想いがまふゆを苦しめて追いつめた。鉛を飲み込んだかのように重い罪悪感でしかない。

「兵長は…俺のしたことだと思えって言ったけど…兵長とあの人とじゃ絶対的に違うんです」


「どう言い繕おうと同じだ」


「考えても考えても嫌いになる理由が見つからない。無理に嫌いになろうとしても、できなかった。いつからかはわからないけど、私も兵長のことが好きなんだって気づけてよかったと思ってます」

「……」

まふゆの本心、嘘のない言葉。しかし好きだと口にしながら気持ちがついてこない表情もまた事実。
結局、まふゆの中心にいるのはリヴァイ。いつだってリヴァイのことを考えている。
リヴァイだけは特別、確かに特別かもしれない。恋とは違う特別。そんなもの嬉しくも何ともない。
欲しいのはまふゆが必死で伝えてくる理屈ではなく自然な感情。自分の力ではどうにもならないものを望んでしまったようだ。
そう、望みは――まふゆを苦しめることではなかったのに。足りないと、飽くことなく求めて暴走する想いで追い詰めた。
これ以上苦しめて何になるのだろうとあきらめとも妥協ともつかない思いが過る。
まふゆと言葉を交わし、触れられる。それだけで十分、「今」は貴重だ。
まふゆがいればそれでいい。
無理矢理にでも納得しようとする。

感情の整理がつかないまま、まふゆを抱きしめた。

「兵長……?」

「お前がここに存在してるのを確かめてる」

「……なんか、抱きしめられてるのに不安になります。あんまりいい意味じゃない感じがして…」

よくわかるもんだな、と内心で感心する。
愛情と呼べるかもあやしいただの確認行為だ。そしてそれを感じ取れるものなのか、と。

「お前が欲しいと言いながら、手の中に落ちた瞬間、消え失せちまうようなくだらねぇ錯覚に陥る。あの夢のようにな」

そこにあったぬくもりも差し伸べられた手も、あっという間に目の前から消え去った。あの頃の記憶がそう思わせるのだろう。
失う痛みなどとうに慣れたはずが、その失望を思うだけで震える。
今更自分の弱さを見ることになるとは。
いや、元から強くなどなかった。周りの期待に応えてそんなふりをしているだけだ。きっとこの弱味は命取りになる予感がする。

「それは私だけじゃなく兵長もみんな同じじゃないですか?」

「俺が言いたいのは闘いとは別のところでという話だ」

「病気とか?」

「それが何なのか、自分でもよくわからねぇ。だいたいお前の場合、闘いそのものより誰かの身代わりに突っ込んでいきそうなのが問題だ」

「それは……」

「ふん、否定しねぇか。 …いいか?お前が身代わりになってもただの自己満足に過ぎないと覚えておけ。感謝じゃなく有難迷惑だ。一生お前の死を背負わされるんだからな」

「別に自己犠牲の精神とかじゃないですよ。たとえば兵長と私なら、兵長が生き残った方がいいでしょう
、誰がどう見ても」

「誰がどう見ても関係ねぇ。お前は生きるんだ。俺のために生きろと言っただろう」

言って聞くなら苦労はしない。
お前はいつかやらかすんだろう。たった一度きり俺に逆らうんだろう。その時俺はどうなってしまうのかなんて想像したくもない。
それでも。
容易く生命を投げ出さないようにと願いを込めて。
今腕の中に存在しているまふゆを強く抱きしめた。




20230215





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