わたしがあなたにあげたもの
オルオとペトラがなにやら言い合っていた。
見慣れた光景、と言えるかもしれない。
仲が良いのか、兵長への愛を張り合っているのか、知り合ってまだ日の浅いまふゆには判断しかねる。
「あっ、ちょっと聞いてよまふゆ」
まふゆに気がついた途端、ペトラが駆け寄ってきた。
少々興奮気味だ。
こんな時は…
「兵長へ、日頃の感謝を込めてみんなで贈り物をしようって話になったんだけど…」
やはり。
兵長のことだった。
「オルオったら雑巾がいいなんて言うのよ。ありえないわよね」
「だから、兵長は実用的な物の方が喜んでくれるって言ってるだろ。そんじゃお前は、アクセサリーでも贈るつもりなのか?」
「別にそういうわけじゃないけど…」
口ごもるペトラの顔がちょっと紅くなった。オルオは目を逸らして気づかないフリをしていた。
「いくら兵長がきれい好きだからって雑巾をプレゼントなんておかしいわよ。感謝の気持ちなのよ?普通そんなもの贈らないわよね?」
ペトラが同意を求めてまふゆを見つめてくる。
「……普通は贈らない、ですかね?」
「ね、やっぱりそうよね。ほら、オルオ」
「フン。お前らはわかってねぇな」
オルオはやれやれと肩をすくめる。なおもああだこうだと贈り物談義を交わす二人から、まふゆはそっと離れた。他の二人の意見は聞かないのだろうか…と思いながら。
「実は兵長に雑巾プレゼントしちゃいました!エヘッ」
などと言ったら、ペトラは目を丸くするだろう。
雑貨屋にあった雑巾を見て、深く考えもせずリヴァイにあげようと思った。掃除の役に立つし、無駄にはならないだろうと。
はっきり言ってオルオの感覚に近い自分は、女としての道を誤っているんじゃないかと思い始める。まずい。なんとかしなければ。
「…うーん…」
女らしい、可愛い、女神といえばクリスタだ。外見は無理として、誰に対しても優しく気配りのできる性格を見習ったらどうだろう。
だが…クリスタの優しさはそんなにわかなものではなさそうだ。本気じゃなければあんなふうにできるわけがない。
上っ面だけ真似ても無意味だ。
「うーん」
次に思い浮かぶのはペトラだった。精鋭部隊リヴァイ班にいながらも、どこか可愛いらしいというかホッとする安心感というか。
…とは言っても、具体的には何を見習えばいいのかわからない。
「…うーん」
ミカサはエレンとジャン目線でなら可愛いかもしれないが、まふゆの目指したい女らしさとはちょっと違う。
アルミン…はもっと違う。可愛いの意味合いからして。
「うーーーーーーん」
「――まふゆ!これから任務なんだけど、人手が足りないの。一緒に来てくれない?」
「あ、はい!」
突然の呼び声に思考は遮断され、まふゆは任務のため準備に走った。
巨人捕獲に少々手間取ってしまい、任務が終わって解散した頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
身体は疲れきっているが、負傷者死亡者ゼロで終えられたことを感謝する。
任務のない兵士たちはすでに兵舎に戻っているようだ。まだ灯りの残る店を尻目に、人気のない暗がりを抜けていく。
ふと、目の前に人影が見えた。
「…あれ?」
おぼつかない足取りに、誰だか確信できるまで時間がかかった。
リヴァイだ。側まで近づいてきてようやくわかった。
似つかわしくない姿に、どうしたんですかと声をかける間もなく、いきなり、抱きつかれた。
「え?!ちょ、ちょっとへいちょ――」
「…うるせぇ、黙れ」
しかしすぐに、おかしいと気がつく。こんな行為ももちろんだが、それ以上に、息が上がって苦しそうな呼吸。耳元に感じた吐息は熱かった。
まふゆは遠慮なくリヴァイの額を触ってみた。
「熱があるじゃないですか!救護室へ行かなきゃ!」
「騒ぐな…うるせぇって言ってるだろう…こんなもん、一晩寝りゃ治る…」
「だめです、ちゃんと診てもらいましょう」
まふゆに、というか他人に頼らなければ身体を支えられないくらいなのだ。肩にかかるリヴァイの重みが熱とともにまふゆの身体にまで広がる。
急に不安が押し寄せてきた。
「…明日治ってなきゃ行ってやる…いいから部屋に連れていけ…」
喋るのも億劫そうに呟く。
まふゆの言葉ではリヴァイは動きそうにない。
仕方がない、とりあえず今は言う通りにして誰か応援を呼んでこよう。そう考えた。
兵長ともなると個室が使えるらしい。初めて入ったリヴァイの部屋は整理整頓されていて、おそらく塵ひとつ落ちていないだろう。
まふゆは、整えられたベッドの上掛けをはぐる。
肩を貸したリヴァイをそこへ寝かせようとしたが、絡んだ腕に道連れにされ、一緒に倒れ込んだ。
「っ…す、すみません…」
飛び起きようとするまふゆの身体に、くたりと力のない手が回された。
「……このままでいろ……少しで、いい……」
細い声が囁く。
どきりとするほど儚い響きだった。
ますます不安が煽られていく気がした。
「ちょ、ちょっとだけ…あの…待ってください」
まふゆはそっと起き上がり、リヴァイの上着を少々強引に脱がせ、スカーフをほどいた。それから、毛布と上掛けを身体を包み込むようにかけた。
自分の手が妙に冷たくしかし汗ばんで、微かに震えているのがわかる。
しっかりしなくてはと、てのひらを握った。
「……っ、!」
その時、もどかしそうに伸びてきた腕がまふゆを捉え、再びベッドへ引き込んだ。
頭から突っ込みそうになりながらもどうにか身体を支える。
二人の顔が近づく。毛布を挟んでいるとはいえ、向かい合う格好は少し恥ずかしかった。
リヴァイは掴んだまふゆの手を離さない。
触れている指先がじんじんと熱い。
額を押し付けるように顔をうずめている。
まふゆは、毛布を首元まで掛け直してやった。
(やっぱり、誰か…救護班に来てもらった方が…)
普段からは想像もつかないリヴァイの様子が心配だ。かといって、この手を振り払っていく勇気もない。
体調を崩して一人きりでいる部屋で、なんとなく心細くなる気持ちがわからないわけじゃなかったから。
(……どうしよう……)
焦るまふゆの気持ちとは裏腹に、規則的な寝息が聞こえ始めた。
その瞬間に、安堵が湧いてくる。
苦しくて眠れずにいるよりずっといい。本当なら、薬を飲んでから休んでほしかったところだが。
まふゆはリヴァイの寝息を確かめながら、じっと身体を丸めて気配を感じていた。
「――はっ?!」
目が覚めた時には、部屋の中は朝陽で明るくなっていた。
うっかり眠ってしまったらしい。慌ててリヴァイを見るが、ベッドの上に姿はない。
まさか床に落ちているなんてことは……
起き抜けの頭であたふたしながら、身体にまとわりつく毛布をはぎ、ベッドの下を覗き込む。
「――起きたのか」
ふいに、背後から声がした。
振り向けば、すっかりいつもどおりの顔をしたリヴァイがいた。
「兵長…!」
「念のため聞くが、今のはなんの確認だ?」
「え?いや、別に……そ、それより大丈夫なんですか?」
「熱は下がった。もうなんともない」
「よかった……!ほんと、よかった――」
全身の力が抜ける思いだった。
見慣れた不愛想な表情を、これほど嬉しく感じたことはない。
「…………」
リヴァイは静かにベッドに腰を下ろす。
シャワーでも浴びたのか、頭にタオルをかぶり、シャツとズボン、下は素足にスリッパだ。
「あ…すみません。温かくして寝てくださいね」
まふゆは自分がいつまでもベッドを占領していることに気づき、そそくさと降りる。
身体が痛い。眠りに落ちても意識の中にリヴァイがいたのだろう。あのままずっと動かなかったらしい。
立ったついでに大きく伸びをする。
「じゃあ、そろそろ私…」
朝帰りになってしまった。同室の子になんと言い訳しようなどと考えていると、
「――紅茶だ。淹れてこい」
唐突にリヴァイが言う。
「えっ?」
「ついでにてめぇも飲んでいけ」
「あ…はい、わかりました」
まふゆは言われたとおり、用意をしに向かった。
人類最強、リヴァイ。調査兵団兵長。
肩書は伊達じゃない。
なにしろ、個室に備え付けの簡易キッチンまでついているのだから。
当然のごとくきれいに片づけられた辺りを見回し――まふゆの視線はシンクの上で止まる。
真新しい雑巾がある。見覚えがあるような、そうでもないような。布巾の代わりに使われているようで、汚れひとつない。
もしかしたら、あれは――まふゆのあげた物だろうか?
そんなことを考えながら、湯を沸かし紅茶を淹れる。
二つのティーカップに綺麗な赤が注がれた。
「お待たせしました」
「ああ」
ベッドに座ったままのリヴァイに、カップを渡した。まふゆは運んできたトレイを抱えたまま隣に座る。
「まぁまぁだな」
一口飲んで、リヴァイが呟いた。
いつもどおりの言葉がなぜか嬉しい。昨夜の恐怖感が少しずつ拭われて日常が戻っていくような気がして。
まふゆもカップに口をつけた。
「まぁまぁですね」
「…………世話かけて悪かったな。何か礼をさせろ。それで貸し借りなしだ」
そんなものは要らない。貸しだとも思っていない。だが、リヴァイらしい言い方だと思った。
「兵長が休暇を取って、今日一日寝ていること。それが私へのお礼です」
「そんなことできるわけがねぇだろう」
返ってくる言葉も予想どおりだった。
あっという間に空になったカップをてのひらで弄ぶように転がしている。
まふゆはそれを取り上げてトレイに戻した。
顔を上げたリヴァイに向かってさらに食い下がる。
「じゃあ、みんなに言いふらします。兵長は病み上がりで体調がよくないのに無理してるって。たぶん士気が下がるでしょうね」
「俺を脅そうってのか。調子に乗るんじゃねぇ」
「それ以外は何も望みません。勝手に借りとか思ってればいいじゃないですか」
「…………」
リヴァイがじっとこちらを見つめてくる。
まふゆは、思わず口調が荒くなっていたことにはっとする。
内心、腹が立っていたのかもしれない。不安で恐怖で心配だった、ただそれだけの気持ちを貸し借りなんて言われたくない。
しかしリヴァイにしてみれば、そんなまふゆの個人的な感情など知ったことではないだろう。
「いえ…すみませんでした。できれば、少し休んでもらえたら」
「お人好しは寿命を縮めると前に言っただろう。だがそれだけじゃねぇ、相手がつけ込む隙を与える。後悔しても遅い」
意味がわからずまふゆが見つめ返した瞬間、唇が重ねられた。
息が止まる。
真っ白な頭の中で、微かに漂うシャンプーの香りだけを感じていた。
「……バカが」
額に額を押し当てられ、離れた唇が囁く。
何か言おうとしても何を言っていいのかわからなかった。呼吸を整えようと開きかけた唇はふさがれる。
膝の上からトレイが、カップが落ちて割れた音を立てたがリヴァイは気にする素振りもない。
ただただ求められるままに口づけを交わした。
20190215
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