秘密


実戦経験の少ない兵士の訓練任務だと聞いて、自分にちょうどいいとまふゆは参加を決めた。
依頼では、数は多いものの脅威となりそうな巨人はいないという話だった。しかし壁の外は何が起きるかわからない。
討伐対象を倒したまではよかったが、まるで増援のように巨人たちが押し寄せて来た。奴らは一人の兵士を狙って数体で攻めてくる。悠長に手足を落としている暇はない。できる限り早くとどめをささなければ。だが焦る気持ちとは裏腹に負傷者が一人二人と増えていき、拠点が壊され、共に戦う兵士たちはだんだんと弱気になっていった。

「うわぁぁあ!助けてくれ!」

また悲鳴が聞こえる。
腕を落とせばとりあえず助けることはできるが、周りにいる連中が次の攻撃を仕掛けてくるに違いない。
脚を切って転がせばでかい図体を壁にして逃げる隙ができるかもしれない。
いや、それとも一気にうなじを狙うべきか。
迷っている時間はなかった。
脚を切り付けた瞬間、巨人の手から解放された兵士の手を引いてワイヤーの限界まで飛び退いた。



原型を留めない建物の残骸に身を潜めた。破壊されるのも時間の問題だろう。

「も、もう嫌だ…帰りたい。まふゆ、お前強いんだからなんとかしてくれよ!」

「なんとかって…。みんなで協力すればきっと――」

追い詰められて精神状態が不安定になるのもわかる。誰かになんとかしてほしいと思うのも。実際まふゆだって嫌だし帰りたかった。別に強いわけじゃない。
それでも、泣きわめいたところで何の意味もない。目の前の現実が変わることはない。

「協力ってどうすんだよ?!みんな仲良く食われるのか!」

「そうだよね…。怪我人ばっかりで人手も足りないよ…どうするの?」

恐怖で戦う気力をなくしてしまった仲間を奮い立たせる言葉が、まふゆにはわからなかった。

「……私があいつらの気を引くから、その間に撤退して本部に救援要請してくれる?」

単独行動に走る自分は本当に間違っていないのか?
躊躇いはすぐに消えた。このままでは壊滅するのを待つだけだ。

「わかった」

「でも…まふゆ一人にやらせていいの…?」

「だったらお前も行けばいいだろ!俺はもうこんなのゴメンなんだよ、ケガだってしてるんだ!」

「そ、そんなのあたしだって…」

「自分一人なら時間稼ぎできても、人を助けることはできないかもしれない」

まふゆは改めて辺りを確認した。
ここから少し離れた場所に木が立ち並んでいる。あとは平原沿いに、馬で走るしかなさそうだ。

「そうだ、俺たちは足手まといなんだよ。だったら誰か呼びに行く方がいい」

「…助けがくればまふゆだって大丈夫だよね…」

撤退する仲間が狙われては元も子もない。
次第に同調していくその声を聴きながら、まふゆは飛び出した。

巨人たちが一斉に顔を上げ、まふゆの行く道を辿る。
幸い、奴らを引き寄せる術は持っている。

犬死するのもさせるのも嫌いだと、リヴァイは言った。
だから自分もその信念を裏切らないように。

逃げて逃げて逃げまくってやる。


――そのあとは?


そのあとは……


ああ、兵長に怒られそうだなと苦笑いが浮かんだ。




しばらく走ると前方に森が見えてきた。
立体機動が使え、死角を作るにも良い場所。ただ、まふゆには苦手意識がある。狭い上に視界が悪く思うように戦えない。力を出し切れていないと注意されていた頃を思い出す。

行くか行かないか、躊躇した一瞬の隙だった。
小型の巨人がまふゆに向かって突っ込んできた。

「――っ!」

馬ごと突き倒され、地面に転がる。
巨人に楽しいという感情があるのか知らないが、笑っているように見えた。

まふゆは刀に手をかける。
うなじめがけて一気に切り裂いた。

「……え」

息をついたのも束の間、自分自身で血の気が引くのがわかった。
小型だけだと思っていたが、いつの間にか大型が集まってきている。
伸びてきた巨大な手を寸前でかわし、馬に飛び乗る。
平原を走り回るのは明らかに不利だった。森へ向かうしかない。




「……もっと訓練しとけばよかった」

はは、と乾いた笑いがこぼれる。さすがに森の中を逃げ回るばかりは限界がある。枝から枝へ移り、隙を見て何体か仕留めたがまだ巨人は残っている。厄介な奇行種。下手に近づけば四足歩行に巻き込まれて潰される。
回復薬はもうない。ガスが切れたら立体機動も使えない。
足場にした枝から見下ろすと、奇行種の大きな目玉がまふゆを見て嘲っているような気がした。
知能が高いのか低いのかわからない時がある。こちらの出方を窺っているとも、理由のない行動をとっているとも思えるからだ。
仕掛けるタイミングを計り、息を詰める。
ところが奇行種はお得意の奇行で暴れ出し、木を大きく揺らし始めた。

「くっ……!」

振り落とされそうになりながらも必死で太い幹にフックを引っかける。
狂ったように体当たりを続けている、その首元まで滑り落ちた。
切り付けたのと、激しい振動でフックが外れたのは同時だった。
まふゆは土の上に転がったが、巨人の息の根も止まっていた。

「…っ、く…はぁ、はぁ、」

胸が苦しくてたまらない。少しでも楽になりたくて口から息を吸い込むと声が漏れた。
だがこれで終わったはずだ。やっと、やっと、帰れる――
そんなまふゆの希望を砕くように、バリバリと木をなぎ倒す音がした。
地面が、森が、割れるような雄叫びとともに。

「――――」

まふゆの目に映るそれは今まで見たことのない個体。
ゴリラ、いや亜種か、ハンジさんは喜ぶかな。
どうでもいいことが浮かんだのはきっと、限界を感じた頭が受け入れることを拒否したのだろう。
見るものを威圧する存在感に絶望的な恐怖しか感じない。奇行種など比べ物にならない。
周りの木々を容易く破壊するそいつは、まっすぐにまふゆを見下ろしている。
反射的に刀を握り締めたが、その手は震えていた。

――大丈夫。あいつも他と同じ。手脚を狙えばいい。倒せなくても隙は作れる。

確信のないことを無理矢理自分に言い聞かせ、脚の関節に向かって飛んだ。
飛んだ、はずだったが近づく寸前に太い腕に捕らえられた。

「――っ!」

手の中から抜け出そうともがき、刀を振り上げ――亜種の顔が近づいた瞬間、力任せに目玉に刀を突き立てた。
悲鳴に似た唸り声がする。
まふゆの身体は宙に放り出された。
けれどすぐに、強い力で引き寄せられる感覚がした。

「てめぇほどのクソは初めてだな」

――その声は。その言葉は。

顔を上げて見えたのはリヴァイの横顔。

「……兵長……」

「そいつがてめぇの居場所を知らせてくれた。感謝しとくか?」

リヴァイが鼻で笑う。
抱きかかえられるまま、岩陰に身を隠した。

「ほら」

がしゃんと投げ捨てられたのはまふゆの刀だった。
亜種から取り戻してくれていたようだ。
あの時まふゆが逃げ出せたのは自分の力なんかではなく、知らぬ間にリヴァイの援護があったのではないか――そんな想像がふと脳裏をよぎる。

「まだやれるのか?」

「――はい」

まふゆは刀を手に取り、鞘に戻す。

「……俺が呼ぶまで動くな」

そう言ってリヴァイは亜種の元へ飛ぶ。

手脚を切り付ける太刀がきらめいて、閃光のように見えた。マントが翻るたびに背中のエンブレムが、まるで本物の翼かと思うほどに白く輝く。
まとわりつくリヴァイの動きを追って、まふゆの存在など忘れた巨人が背を向ける。
まふゆなど到底届かないその姿に圧倒され、そして結局はこうして誰かを危険に晒す自分の未熟さが胸に重苦しくのしかかる。

やがて、巨人が膝をついた。

「来い――!」

リヴァイの声に導かれるように飛び上がり、無防備となった弱点を切り付けた。続けざまにリヴァイの剣が振り下ろされる。

巨体が沈んで、そのまま動かなくなった。

すべての力を、気力を、使い果たした気がした。
着地に失敗して膝から崩れ落ちたまま地面に転がった。
今すぐ起き上がりたいのに力が入らない。言わなければならないことはいくらでもあるのに、声が出ない。呼吸するのが精一杯だ。
背後に、草を踏む靴音が近づいてきて気持ちだけが焦った。

「…………」

クソまみれの罵倒が降ってくるかと身構えたが、一向に言葉はない。
たとえ蹴られても踏みつけられても仕方がないと思うが、それすらもない。

「………………なかった」

見下ろされる気配がしばらく続いたあと、ふいに呟かれたリヴァイの言葉。聞き取れず、もう一度繰り返されるのを待ったが、それきり聞けることはなかった。
横たえたままの身体をそっと抱き起こされ、膝に抱え上げられる。
間近に視線を合わせたのは一瞬で、まふゆはすぐに目を伏せた。気恥ずかしさより後ろめたい気持ちでリヴァイの顔をまともに見られなかった。

「一人で突っ走ったクソガキをボコボコにしてやろうと思ったが、戻ってきた連中の気の抜けた面を見たら気が変わった」

ああ部隊はうまく帰還できたんだ。
自分はちゃんと巨人を引き付けられたんだ。

『犬死するのもさせるのも嫌いだ』
『死に意味を持たせるためだ』

繋ぎ合わせれば誰も死なせたくないということだ。
よかった、兵長の信念を守れて。
まふゆは密かに思う。

「下手すりゃ全員食われてただろう。まぁ今回は結果的に成功したが、次はねぇ。二度と一人で動くな」

「……ごめん、なさい……」

やっとの思いで口にできたのは、小さく掠れた声だった。

「ひでぇ面だな」

きっと汗と土で汚らしいんだろう。でも拭く力が湧かない。

「…顔色の話だ」

まふゆの髪の毛に絡んでいたらしい枯れ葉を、つまんだ指先で飛ばす。
頬に張り付く髪をかき上げられた。

「…………」

咎められていたはずなのに、どうしてこんなにもこの手は優しいのだろう。
触れる手の優しさが張りつめていた心に沁みる。瞳に涙が滲んで、零れ落ちた。

言うこととやることの違う人なのだと思った。

「っ、ごめんなさい……」

「もういい」

まふゆの肩を抱いてくれる手に力がこもった気がした。

「……後援部隊が来るまでの間だ。俺のことはすべて忘れろ。いいな――」

そう言って掻き抱くように、苦しくなるほどにきつく、抱きしめられた。






20190305


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