手に入れる覚悟
なぜ俺の前に現われたんだと思わずにいられない。
要らない感情を植え付けられたことを恨んでいる。
巨人どもを殺すことだけを考えていたかった。大切なものなど持ってはいけなかった。
性質の悪いこの感情は、死んでいった兵士たちへの涙を押し殺す時のようにうまくいかない。思いどおりに制御できない自分がどうなるのか、恐ろしいと感じる。
まふゆは何事もなかった顔をして、無理に明るく振る舞っていた。痛々しいほどに。
それを知りながらリヴァイはまふゆを求めた。
怯えた瞳で見つめられて、自分のしていることを考えれば当然だが、こんな顔をさせたいわけじゃないと苛立ちながらも止められなかった。
傷つけたくないと思いながら逆のことをしている。
まふゆが去ったあとの部屋に一人立ち、自身への怒りを乗せて思いきり椅子を蹴り飛ばした。激しい音を立てて壁にぶつかり木片が飛び散る。
最悪な手を使って身体を奪っても、一番欲しいものには届かない。
伝えても受け入れられない想いを、抱き続けるのは愚かだろうか。
リヴァイが任務を終えて戻って来ると、本部にはまふゆとエレンがいた。
「やべぇ、座学のテストがあるんだった。えーとえーと模型の図解が載ってる資料ってどれだっけ」
「……これじゃない?」
あたふたと騒がしいエレンに、本棚の側にいたまふゆがファイルを取り出す。
座ってノートを広げているエレンの前に差し出した瞬間、心臓が不快な鼓動で跳ね上がる。
身を屈めて近づいた距離が、口づけしそうに見えたからだ。
エレンも同じことを感じたようで、ぴたりと動きを止めて固まっていた。
「…変な顔してどうしたの?これ違った?」
「…っ、変な顔とか言うなよ…! そっ、そう、これだよこれ。…ありがとな」
もやもやと胸糞の悪い気分が湧いてくる。そこにいる男が誰であろうと、気を許して無防備に近づくのが許せなかった。
リヴァイが何か言う筋合いはなく、まふゆは何も悪くない。そう言い聞かせようとしても、胸には身勝手な感情ばかりが込み上げてくる。
「…あ、兵長。お疲れ様です」
リヴァイが入って来たことに先に気づいたエレンが言う。
「お疲れ様です」
まふゆも振り向いたが、目線は合わせない。そんな挨拶にも慣れたはずだったが、今は気持ちが尖っていく。
「まふゆ」
リヴァイはまふゆを呼び寄せて、執務室のドアを開けた。
「……」
「どうしたんだよ、呼ばれてるぞ」
「うん」
「早く行かないとまずいだろ」
「……そうだね」
開いたままのドア越しに声が聴こえる。
エレンの時とは逆に警戒を露わにして、まふゆはなかなか来ようとしない。
余計に苛立たせるとわかっているのかいないのか。
「そうだね、って…。ホントにどうしたんだ?怒られるのが怖いのか?」
「…ふふっ」
――笑うな。
俺の前では笑わないくせに。
壁に叩きつけそうになった拳をすんでのところで止め、握り締めた。
「なんで笑うんだよ。人が真面目に心配してるのに…」
「ごめん。だって私が怒られる前提なんだもん。そんなに何かやりそうなのかなと思って」
「あ…いや、しょっちゅう注意されてたからさ。あれが悪いここを直せクソまふゆって。だけど兵長はまふゆのことよく見てるんだなってむしろ感心…じゃなくて尊敬?したよ」
「…………」
本人にはまったく伝わらないものが、他人の目につくほどあからさまだったとは。
もちろん意識してやっていたわけではない。
ただ、目が離せなかっただけだ。いつも。どんな時でも。
「…って、引き留めてる場合じゃなかった。悪い。…まぁとにかく目を掛けられてるってことだから、怒られても落ち込むなよ?」
「うん…ありがとう。エレンもテスト頑張って」
「…そうだった。ハァ…嫌だな…」
失礼しますと言ってまふゆが入って来る。エレンの溜息は、ドアが閉まると同時に消えていった。
「遅い。いつまで待たせる気だ」
「すみません…」
「そんなに嫌か。…まぁ嫌だろうな」
「そういうわけじゃなくて…」
「ならどういうわけだ」
ドアの側に立って近づこうともしないその腕を、引っ張って抱き寄せた。
俯いたままの顔を上げさせ、やっと交わった視線。まふゆは困ったように見つめていたが、怯えているよりはいいと満たされながら唇を奪う。
嫉妬も、好きだという感情も、すべてをぶつけて。
「…っ、もし誰か…他の人が来たら…っ」
まふゆの手に肩を押されて唇が離れる。
騒げばまずエレンが駆けつけるとわかっているから、押しのけようとする抵抗も声も小さなものだ。
人が来る?だからどうした。
目の前にいる俺を見ろ。
その手を、強く握った。
「エレンとはだいぶ態度が違うじゃねぇか」
「関係ないです、そんなの」
「関係ある。隙を見せるな。見せるのは俺にだけで十分だ」
「隙なんて…」
意味がわからない、という顔をしているまふゆに再び口づけを落とした。
「こんなふうにな」
「…エレンはこんなことしません」
「するしないの問題じゃねぇ。単に俺が気に入らねぇだけだ」
三度目に口づけた時にはまふゆの胸元に手をやり、ブラウスのボタンを外した。
当然、慌てて止めてくる。
「見られたくねぇならあとで部屋に来い。嫌ならこのまま続ける」
呼ぶための口実に過ぎなかったが、まふゆは仕方なくといった様子で頷いた。
こうなる前から予想はしていたが、まふゆは触れられることに免疫がなかった。その分、外側からの刺激には過敏に反応を示す。
リヴァイは、まふゆが達するのを見届けてから指を滑らせ襞の奥へ忍ばせた。
どこかを見ているようで見ていない、虚ろに放心した様子は信じられないほど艶めかしい。こんな表情は、予想していなかった。
たまらずに口づけるとまだ整わない呼吸で返された。
熱い息遣いと湿った音だけが響く。
指先で熱く潤った中を掻き回しより奥を探ると、まふゆの意思とは関係なく締めつけてきた。
リヴァイは身体を起こし、まふゆの脚を抱えて解けた場所に自身を押し当てる。一瞬身じろぐのは痛みを恐れているから、とは思えなくなった。最初は頑なに閉ざされていたそこが、身体を重ねるうちにすんなりとリヴァイを受け入れ始めたからだ。
心もこうならいい、と頭の片隅で思いながら腰を押し進めた。
「…憶えがいいな」
「……」
顔を紅くして背けるのは相変わらずだが、苦痛を堪えて瞳を閉じることはなくなった。
リヴァイの動きに合わせて揺れる身体は操られているわけじゃないとおしえてくれる。
折り重なってまふゆの手を握った。
あの日、強く握られた手の感触を思い出す。痛みから逃げたいと縋ったシーツがリヴァイの手に変わっただけ。まふゆにとってはそれだけの意味。しかしそれだけのことがリヴァイを煽ったなどと、まふゆが気づくはずもない。
もっと深く繋がりたくて腰をすくい上げると、強く擦れ合って飲み込まれた。
辿り着いた奥まで突くと次第にまふゆがもどかしそうな仕種で呼吸を乱し、繋いだ指先にこもる熱を感じた。リヴァイを包み込む内壁は出ていくのを引き留めるようにきつくなる。
まふゆは身体を預けてただ時間が過ぎるのを待つような姿しか見せなかった。けれど今明らかに中は快楽を知って刺激を欲しがっている。
「――――」
ぞくりと背筋を流れる快感に、自然と動きが速まった。
だがまふゆは顔を背けて必死に吐息を殺し、やり過ごそうとしている。
欲に溺れることを躊躇っているのかもしれない。リヴァイに知られたくないのかもしれない。
もしも好きな男だったなら、素直にしがみついてきただろうと思う。
それが悔しくてたまらなかった。
「俺が気づいてねぇと思うのか?」
そう言って強く貫いた。
「や――ぁっ、ぁ…んっ、」
泣き声に似た甘いまふゆの声に、全身が熱く脈打つ感覚に陥って荒い息が零れる。
理性を手放した今だけはリヴァイを求めている。
やがてまふゆの身体が震えたのと同時に、自身を解放した。
まだ放したくない。
窓の外が明らんでまふゆが眠りに落ちるまで、無理矢理に繋ぎ止めた。
まふゆが自らリヴァイの元を訪れたのは初めてだった。
一脚しかない椅子をまふゆに出したが、窓辺に立ったまま黙り込んでいる。あまりに静か過ぎて、その背中が外の闇に溶け込みそうだ。
リヴァイはベッドに腰掛け、まふゆが口を開くのをじっと待っていた。
訪ねて来る時点で、気分の良い話だとは思っていない。
「兵長」
意を決したようにまふゆが振り向いた。
「兵長じゃねぇと言ってるだろう」
名前を呼べと言ってもきかない。
敬語をやめろと言ってもきかない。
こういう時は頑固だった。
「私にとってはずっと兵長です…」
「ごめんだな」
「……私の何がいいんですか」
「口で説明できるくらいなら苦労はしねぇ」
傷つけて苦しめて、それでもなお自分の想いを押しつけて、思い通りにならず駄々をこねるガキと変わりないと自嘲する。
「兵長が兵長じゃなくなっていく気がして……見るのがつらいです」
「それはてめぇの理想の中の俺だろう」
「…理想?」
「上っ面だけ見て都合良く造り上げた幻想、そいつを壊されたくねぇだけだ」
皆が見ている『兵長』などではなく、リヴァイを知ってほしい。醜さも汚さも、まふゆを求め必死でみっともない姿さえ曝け出してかまわなかった。
こいつにならすべてを見せてもいいと思った。すべてを見せるのはまふゆだけじゃなくリヴァイもまた同じなのだと、あの日そんな思いを込めたがまふゆの意識は拒んでいた。
「そんな…こと、ない」
「だいたい、てめぇこそらしくねぇじゃねぇか」
「…私は別に、変わったわけじゃ…」
「そうさせたのは俺だがな」
『最近まふゆ落ち着いて女らしくなったね。恋でもしてるのかなぁ〜?』
『恋――?』
『そんなに驚くこと? よく言うじゃん。女は愛されて綺麗になる…とかさぁ〜』
『……』
まふゆは、納得いかないという顔をしていた。
根本的な性格はそう簡単に変わらないだろうが、傍から見ても雰囲気が変わったのだ。
だがリヴァイが言いたいのはそれよりも、能天気に兵長兵長と騒ぐ姿が見られなくなったことだ。自分のせいであると承知の上で、寂しいと心から思う。
リヴァイからまふゆまでの距離は、部屋の中ではわずかなものだ。
気持ちは遠く離れている。
近づこうとするほど離れていく気がする。
近づくまで。
届くまで。
何度でも、いつまででも。
手を伸ばして引き寄せるだけだ。
「兵長」
まふゆが再び沈黙を破った。
少し迷ってから近づいてきて、リヴァイの隣に腰を下ろす。
ふわりと漂う香りを感じながらまふゆの瞳を見つめる。
言いたいことがあるのだと、そんな勢いだ。元からそのつもりだったのはわかっている。何を言われようと気持ちは変わらないが、あまり聞きたくはない。
「初めて部屋に来た時、確かに強引にされたけど、抵抗できなかったわけじゃなくて、しなかったんです。嫌って、本気で言ってたら――」
「それくらいでやめたと思うか?」
「……たぶん」
「また、『優しいから』か」
「……」
「そろそろ懲りたらどうだ。俺がいつてめぇに優しくしてやった。優しいどころか恨んでるんじゃねぇのか」
「優しいのは理想じゃなくて事実です。兵長はいつだって周りのこと考えてて、誤解されるような言い方だけど思いやりがあって、そういう兵長が好…素敵です」
周りに優しいかなどどうでもいい。
なぜか誇らしげにそしてとても嬉しそうにまふゆは言い張る。
言葉を選んだのは憎たらしいが、まふゆなりに頭を使ったのだと思っておく。
どうしてその表情を自分に向けてくれないのだろうか。そう思いながらも、どうしようもないくらいに好きなんだと抱きしめた。
「……それに、恨むわけないです。私がちゃんと、好きって言われた時に答えてたら…。こんなふうになると思わなかったんです。ごめんなさい……」
腕の中のぬくもりを閉じ込めておきたいと願うリヴァイの気持ちさえ届かない。
何度抱きしめても寄り添わない身体が告げている。
「てめぇがはっきり言おうが言うまいが、俺のすることは変わらなかった。やり方が違うだけだ。俺の決めたことで、てめぇが気に病む必要はねぇだろう」
「でも、うやむやにしたままいるから、だから兵長を傷つけてるんじゃないかって…」
こいつはこういう奴だった。何も考えていないように見えて、事が起きればまず自分に非があるのではと考える。省みること自体は悪くないが、今は少し違う。悪いのは自分、そうでなければ兵長がこんなことをするはずがない、そう思い込もうとしているように見えた。
「…てめぇの好きな俺は、嫌がることは絶対にしねぇし、優しくてきれいなんだろうな」
「――――」
「いつまで逃避するつもりだ。ここにいる俺を見ろ。お前に触れる俺を見ろ」
リヴァイはまふゆを押し倒し、まっすぐに瞳を見下ろした。
「……」
途惑った瞳がリヴァイを見つめるが、言葉は返ってこなかった。
20190414
戻る
ALICE+