spinnengewebe4
一度くらい、欲しいものを欲しいとねだってみたかった。
愛情の伝え方を知らなかった。おそらく未だにわかっていない。
いつどうなるかわからない日々の中で、少しでも多くの時間を共にしたかった。
できる限り、願わくは――ずっと。
好きなんだ。
身体から移った情でもいい。お人好しの憐みでもいい。
早く、早く堕ちてこい。
「兵長、兵長!」
「――っ」
まふゆの声で意識が覚めた。
続きのようで続きではない明るい世界、そして、まふゆが居ることですっと気持ちが楽になっていく。
「だ…大丈夫ですか…?」
うなされるリヴァイに驚いて目を覚ましたのだろう。不安げな瞳が覗き込んでいる。
そんなに大げさな話じゃない。
元から寝つきは悪いし眠りも浅い。眠ったかと思えば悪い夢に起こされる。
「慣れたことだ」
「…紅茶淹れてきましょうか? 飲んだらちょっとは落ち着くかも…」
「ありがてぇ申し出だが、今はいい」
まふゆの紅茶には心惹かれるが、今は直に体温を感じていたかった。
ベッドを抜け出そうとするのを引き留め、腕を伸ばして来いと促す。すると意外と素直に寄り添ってきた。しかし枕はいらないらしいので、仕方なく身体をずらして向かい合う。
「慣れたことって言いましたよね…。いつも寝ないのは怖い夢みるからですか? 私、全然気がつかなくて…」
「いつも寝る決まりなのはてめぇだけだ。…とは言っても、今じゃ俺も寝てるけどな。まぬけな寝顔を見てると寝れるようになった。後に寝て先に起きるから気づかなくて当然だろう」
隣で眠るまふゆを眺めて、何をするでもなく過ごす時間も悪くなかった。ところがいつからか、笑えるほどのんきな寝顔に誘われて心地良く眠っている自分に気がついた。
悪い夢はしばらくぶりの気がする。
「じゃあ、一人の時は?まさか寝てないとかじゃないですよね?」
「体調管理も大事な責務だ、それなりに寝てる。どこかの誰かみてぇに、寝すぎて頭がゆるくなっても困るからちょうどいい」
「……」
乗ってこない。
いつものように言い返してほしかったのだが、心配そうに、半分疑いの眼差しで見ている。信用していない顔だ。
人にはじっと見るのがどうのと言っていたが、この頃はまふゆも同じようにリヴァイの表情をよく窺う。知ろうとしているのだとわかる仕種は単純にも嬉しいと感じる。
まふゆの腰に腕を回すと居心地悪そうに身を捩ったが、かまわず抱きしめて瞳を見つめた。
「……繰り返し同じ夢をみる。知り合いや仲間、昔と今と関係なくいろんな奴らが出てきて…必ず最後に独り取り残される。暗くて何もねぇ場所に」
「……」
「苦しくて悔しくて、喚いても無意味だと知りながら喚いてる。誰にも届かねぇ声を張り上げて」
たまに泣いてるかもなと軽口を叩くがまふゆは硬い表情を崩さない。じっと耳を傾けていた身体が強張っただけだった。
反応を試すのはささやかな楽しみだ。リヴァイの言葉ひとつで変わる表情。隠す気のない感情。
もっとおしえたらどんな反応を示すだろう、次はどんな顔を見せてくれるだろう。
普段から飽きない奴だが、自分が翻弄していると思うとよけいにおもしろくなる。少しずつ傾いていく様子を見ていると気分が高揚していく。
「憐れに思うならなぐさめろ」
リヴァイはそう言って、まふゆに覆いかぶさった。
「…………なぐさめてほしいって、ほんとに思ってますか?」
わかってるじゃねぇか、と笑う。本来ならなぐさめなど要らない、同情されたくもない。まふゆだけが例外だ。
「今だけだ。お前は幻じゃねぇと確かな感触が欲しい」
まっすぐに見上げてくる瞳に告げると、そのまま身体の力を抜いておとなしくなった。
「……なぁ」
重ねた唇を離して、間近でもう一度囁く。
「どうしました…?」
か細い声は、夢を思い出したのではないかと気にしているようだった。
「どういうわけか、てめぇは夢に出てこねぇ」
出てこなくていいんだ。
掴んだと思った手が空を切る、そんなのは現実だけで勘弁してくれと思う。
「居るんじゃないですか?」
「…なに?」
「暗くて見えてないだけで、その辺に」
「…………」
まふゆはいつもリヴァイが考えないようなことを口にする。
ほとんどが思いつきで、道理もくそもあったもんじゃない。それなのにその言葉はぬくもりをくれる。リヴァイが心の奥底で密かに望むものを読めるんじゃないかと思えるほど沁みていく。
そうやってリヴァイの中にあった固定観念すら覆していった。それが良いことなのかはわからないが。
「だから今度探してみてください」
「見つけやすいように、つまらねぇ冗談でも言ってろ」
「兵長が乗ってくれそうなネタを考えておきます」
ふふ、と、企むようにまふゆは笑った。ようやく笑みが見られた。
幼稚で馬鹿げた発想に心をくすぐられる自分もまたいかれてる。そんなことを思いながら深く口づけ、己の手で触れるまふゆに溺れていった。
それから、うなされる夢はみなくなった。
果てしなく続いた闇の中でまふゆを見つけたのかもしれない。
苦しめることしかできないのに、与えられてばかりだ。
堕ちたのは誰だ。捕まったのは誰だ。
そろそろ休むかと考えていると部屋のドアがノックされた。緊急の用件かと思いながらドアの向こうを確認する。
「誰だ」
「まふゆです」
リヴァイははっとしてドアを開けた。
見慣れた制服姿のまふゆが立っている。
その顔を目にした瞬間に、込み上げる想いがあふれ出しそうになる。
「どうした」
ひとまず様子見しようと考えたのは、わざわざ夜更けに来た訳に思い当たることがあるからだ。それを、確かめたかった。
「遅くにいきなりすみません…。寝るところでしたか?」
ランニングシャツに着替えたリヴァイを見てまふゆが言う。
「そんなところだ」
言いながら中に招き入れると、まふゆは失礼しますといってテーブルの椅子をベッドの脇まで運び、そこに腰掛けた。
「兵長が眠るまでここに居ます」
やはりそうか。
リヴァイがゆっくり眠れるように添い寝、ではなく見守ってくれるらしい。
もう心配しなくて大丈夫だとは言わないことにした。
「俺のためにご苦労なことだな」
ちゃっかりと座り込んでいるまふゆの頭に手を置き、ベッドに腰を下ろした。
眠かったわけではないが、寝る気をなくしてしまった。それはもちろん良い意味で。逆効果なのだと本人は気づかないだろう。
「兵長のためというより自分のためです。私が、兵長の傍にいたいから」
「いてあげたい、だろう?」
まふゆは心を決めたような顔をしていた。
夢の話をしたせいだ。同情ではないと気遣ったつもりだろうが、すぐに察しがつく。
偶然が上手い具合に事を運んだ。ちょうどいいので聞かせたかったというのが本当のところだが、まったく予想しなかったわけじゃない。
「……。つっつきますね」
「そういう性質なもんでな」
耳に触りの良い言葉も、ふとした言い回しに本音が混じる。さんざん見てきたせいか過敏になり、ちょっとした言葉にもこだわってしまう。
まふゆはいつも本音だった。言わなくていいことまで言うくらい。
「兵長が悪い人ぶるから、私はそれに甘えることにしました。やっぱり、兵長の傍にいたいんです。自分勝手だけど許してください」
「かまわねぇと言っただろうが。…訂正しておくが、悪い人ぶってるんじゃなく悪い人なんだ」
「ありがとうございます」
聞く耳を持たないといった様子で笑うまふゆに、チッと舌打ちした。
「しかし、どうせなら好きだとか可愛げのある嘘はつけねぇのか」
「嘘はつきたくありません」
「……だろうな」
もしも。傍にいたいではなく好きになったのだと嘘をついたら。嬉しかっただろうか。哀しかっただろうか。そう考えなくもない。
まふゆが好きなのは兵長であって、リヴァイじゃない。情にほだされたとしても、きっとまふゆは好きという言葉は使わないだろう。まして嘘で言えるはずがない。重みをわかっているから。
自分で言った「嘘」をまふゆに返されると痛い。
お前が気にする些細なことより、何気ないその一言の方がよほど傷つくんだがな、と内心で呟いた。
「それで?眠れるように膝枕でもしてくれるのか?」
「そんなんじゃなくて、ちゃんと身体を休めてください。人一倍疲れてるんだから」
帰還してすぐ次の任務が入り、さらに連戦となった今日のことを気にしているのだろうが、リヴァイにはごく普通のことだ。経験の少ない兵士たちには少々慌ただしく負担だったかもしれない。
「バカか。疲れてるのは誰でも同じだ。俺だけじゃねぇ」
まふゆが悲し気な瞳を向けてきた。
誰でもの中には当然まふゆも含まれるのだが、わかっていなさそうだった。
「…前に、兵長のそういう優しさが素敵って簡単に言いましたけど…今はあんまり」
「思い込みに気づいたのか。それでいい」
まふゆは首を横に振る。
「思いやりのある兵長を尊敬してました。でも…優しければ優しいほど、それは痛みの上にあるものなんじゃないかって思うようになって…」
「……」
欲しいのは尊敬なんて言葉じゃない。好きな女に優しくしたいと思っても何をどうすればいいのか、何が優しいのかさえわからない。そんな葛藤も知らず、まふゆは優しいと繰り返す。
「だから、一人でなんでも背負わないでほしいです」
「背負うとはおこがましいにもほどがある。俺一人で何ができるわけじゃねぇんだ。…だが、そうだな…てめぇがいれば少しはお気楽でいられるかもしれねぇな」
「一緒に背負うことはできませんけど、ちょっとは役に立てる…かもしれない?かも…」
「なんだそれは。てめぇは自分の言うことに自信が持てねぇのか?」
「お…おこ、がましい…と思って」
「人の真似しやがって。口が回ってねぇじゃねぇか」
「……」
ばつが悪そうに口をつぐむまふゆを見ると、つい笑いが浮かんでしまう。
「傍にいる意味は、役に立つかどうかじゃねぇ。俺にとってどれだけ大事な存在か、まだ理解できてねぇようだな」
「……、私は私なりに兵長の傍にいると決めました。やっと出せた答えです」
「答え、か……」
まふゆが自ら考え、見つけ出した答え。傍にいたい――それで満足するべきだった。
「それならもう少し俺を喜ばせてみろ」
リヴァイはまふゆを自分の方へ呼び寄せる。
「…寝るところだったんじゃないんですか?」
「目の前にお前がいるのに、なんで寝なきゃならねぇんだ」
「傍にいれば寝れるって言ったじゃないですか」
「寝顔を見ながらならな」
「…なんか、納得いかない…」
「あまり焦らすとお前が泣くことになるぞ」
「な…なんですか…な、泣くって」
「わかってて聞くんじゃねぇよ。それとも、それが狙いか?」
動揺しているあたり、意味は通じているようだ。からかって遊んでいると時間を忘れそうになる。
怯えた顔をしながら立ち上がったまふゆが、リヴァイの隣にすとんと腰を下ろした。
しかしいつものように抱き寄せた瞬間、まふゆは見事にリヴァイを裏切ってくれた。
まるで恋人のようにしなやかに身を委ね、胸に収まる。初めて見せる姿だった。
どうやら本気の覚悟らしい。
リヴァイはその背中を強く抱きしめた。
「…満足できるはずだったんだがな」
「え?」
「お前が手の中に落ちれば、あとはなし崩しで思いどおりにできると高括ってた」
「思いどおりにしてください。兵長の傍にいるって、私が自分で言ったんですよ」
「そうじゃねぇ――、足りねぇんだ」
「足りない…?」
衝動的に身体を奪うこととは違う。
そして、すべて受け入れたような偽りの顔で言いなりになられても、少しも満たされないのだと思い知った。
まふゆに愛されたい。
自分と同じだけの想いが欲しい。
無謀な欲望が湧き上がっては深くなっていく。
「俺を愛してくれ」
髪に埋もれた耳を探るように囁くと、まふゆの小さな声が返ってきた。
「……どうすればいいんですか、愛するって」
答えられなかった。
リヴァイがおしえてほしいくらいだ。どうすればまふゆが愛してくれるのか。
愛し方も愛される方法も知らないくせに、欲しい欲しいと心が叫んでいる。
ぎこちない仕種でリヴァイの背中に腕が回され、まふゆがしがみついてきた。感情というよりはただ力任せで甘さの欠片もなく。
「…………」
何かを誓ったまふゆも手探りながら真剣なのだ。わかっている。
リヴァイはまふゆの髪をそっと撫で、抱きしめた。
20190824
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