「あれ、珍しいな。みょうじ先輩がいる」
体術の訓練中、ふとグラウンドの外に視線を向けたパンダがつぶやいた。言われたとおりに3人がそちらを見ると確かに、ひとりの女子生徒が校舎の方に向かって歩いている。高専の制服を着ているところからするに、ここの生徒であることは明らかだ。その姿を確認した真希は「ほんとだ」と呟いた。乙骨は素直に尋ねる。
「みょうじ先輩って?」
「私たちの一個上の先輩だよ。普段任務ばっか出てるから校内で見かけるの結構レアなんだ」
「へえ……」
そんな人がいるのかと思いながらもう一度視線を向ける。すると「みょうじせんぱーい」と言いながらパンダが手を振った。声をかけられたのに気付いたらしいみょうじは、1年生の姿を確認するなりぱっと表情を明るくしてこちらに近づいてくる。
「やっほーみんな。ひさしぶりだね、調子はどう?」
「ツナ」
「ツナかあ、なら大丈夫そうだね」
狗巻のおにぎり語をさらりと受け止め、うんうんとみょうじは頷く。
「今日は任務無しですか?」
「まあねー 最近任務続きだったから久しぶりの登校だよ」
それで?とみょうじの視線が乙骨に向けられた。その視線は至って穏やかなものだったが、緊張からか乙骨はほんの少しだけ身を固くする。
「その子は?」
「こないだ転入してきた、乙骨憂太だ。つい最近まで普通の学校だったんだが、ちょいと訳アリでな」
「そっか。君も大変だねー」
みょうじはあっけらかんと笑う。訳アリなんて、こんな特殊な学校では珍しくもなんともないのだろう。彼女の反応はフラットだった。改めて向き直り、丁寧に挨拶をする。
「初めまして乙骨くん。私はみょうじなまえ。一応ここの2年生をやらせてもらってるよ」
「えっと、こちらこそはじめまして。乙骨憂太です。よろしくお願いします!」
ぺこりと頭を下げると、みょうじは明るく笑った。
「いーよーそんなに固くならなくて」
その言葉で顔を上げた乙骨に、自らの右手を差し出す。
「任務のせいであんまり学校にはいないけど、よろしくね」
「はい、よろしくお願いしま……」
するとその時。乙骨の背後からずるりと異形の腕が伸び、がしっとみょうじの腕を掴んだ。ギリギリと力が籠められみょうじは驚いたように目を丸くする。
「っ高菜!」
「ゆう゛たに゛ぃ゛、さわ゛、るな゛ぁ、!」
「待って、違うんだよ里香ちゃん!」
周囲がにわかに慌て始めるのを他所に彼女はぴくりとも動かない。何故動かないんだとしびれを切らしたかのように真希が声を荒げる。
「おい、せんぱ……」
「か、」
ほろりと、言葉が零れる。
その顔はまさに、歓喜に満ち溢れていた。
「かぁっっっ…こいいぃぃい……!!!」
ぶわりと頬を紅潮させながらうっとりとつぶやく。その反応は誰も予想していなかったもので、周囲も流石に面食らってしまった。挙句の果てに彼女の腕を掴んでいる異形のそれすらわずかに戸惑いを見せている。
そんな周囲の反応を他所に、みょうじは恍惚の笑みを浮かべながら掴まれていた手を振りほどき、逆に自らの両手でしっかりと握りしめた。
「これ君の式神!? 手だけなのにすっごいかっこいいね! 肌もすべすべで、爪も長くて強そうだし、指も……あ! 指輪してる!? なにこれ可愛い〜!! 左手の薬指ってことは婚約指輪かな? すっごく似合ってるよ!」
先ほどの落ち着いた物言いが嘘のようにきゃぴきゃぴとした声色でみょうじは言った。その表情は嬉しくてたまらないといったもので、可愛らしい犬や猫を愛でているのとまるで変わらない。ひとしきり異形を褒めた後に「ねえ君!」と乙骨へ顔を向ける。いきなりのことに乙骨は「は、はい!」と言いながらびくりと肩を跳ねさせた。
「この子は手だけしか呼び出せないの?」
「え? あ、いや」
「この子の顔も是非見てみたいんだけど……お願いしてもいいかな?」
「その、実は僕もまだコントロールが上手くできなくて……」
だが乙骨の言葉の後に、その異形は自ら姿を現した。大きな口に鋭い牙、どこからどう見ても化け物のそれは、誰もが恐怖を覚えるデザインである。……ただ一人を除いては。
「ア、ア゛ァ……?」
「わあ! 益々かっこいい!!」
ずるりと異形の全容が明らかになるなり、みょうじはますますその瞳を輝かせた。乙骨が止めるのも聞かず、異形の周囲をくるくると回りながら再び褒め称え始める。
「すっごいおっきいねー! ひさしぶりにこんなに大きい式神見たなあ、首痛くなりそう……。うん! お顔もやっぱりかっこいい! 大きな口とか、牙とか、すごく強そうでいいねぇ! 目は無いみたいだけど、これは閉じているの? それとも元々こうなの? どっちにしろすっごく素敵!」
彼女の口から純粋な褒め言葉がマシンガンのように飛び出してくる。そんなことを普段から言われ慣れていないのだろう。耐え切れずに異形はわなわなとその大きな身体を震わせ始めた。
「ア、ア、」
「り、里香ちゃん、大丈夫?」
「里香ちゃん? この子、里香ちゃんって名前なの? 見た目はかっこいいのに名前はすごく可愛いんだね!」
「アア゛ァ゛ア゛!!」
みょうじのその言葉がとどめになったようだ。異形――里香はいきなり咆哮したかと思うと、大きな両手で顔を覆って乙骨の後ろに隠れるようにうずくまってしまった。人間よりもひとまわり近く大きい身体が乙骨の背にすべて隠れるわけもないのだが、なんとか彼女の視線から逃れようとその巨体を必死に折り曲げていた。
「ゆうた゛ぁ゛、ゆ゛う゛た゛ぁぁ!」
名前を呼びながらぐりぐりと背中に頭を押し付けて懸命に隠れようとする。その顔は他の白い肌と比べてほんのり色づいている、ような。その姿に流石の乙骨も戸惑いを隠せないようだった。目を白黒させながら里香とみょうじを交互に見ている。
「えっえっ、ちょ、里香ちゃん!? どうしよう、こんなの初めてで……!」
「あれ? 照れてるの? ふふ、かわいー」
だがみょうじはそんなことを気にもしていないようで、ニコニコと楽しそうに微笑んでいる。里香の顔を見ようと乙骨の背後に回り込むが、里香はそれから逃げるように乙骨の前に移動し、それをまた追いかけ……と、乙骨を中心にくるくる回るように追いかけっこをし始めた。その中心に巻き込まれた乙骨はといえば、どうすることもできずにその場に固まっている。さりげなくヘルプの視線を3人に投げかける乙骨に、パンダが助け船を出した。
「先輩、それくらいにしといてやれよ。乙骨も困ってる」
「あーっと、ごめんごめん。この子があんまりにもかっこよくてかわいかったから、ついね」
パンダからの指摘にようやくみょうじの足が止まった。これ幸いにと里香は乙骨の背後に逃げる。
「ごめんね乙骨くん」
「あ、いえ……」
「里香ちゃんもびっくりさせてごめんね。というか私まだ里香ちゃんに挨拶してなかったっけ」
みょうじはそう言いながら、乙骨の背後にいる里香に右手を差し出した。そっとこちらを見る里香に、みょうじは改めて自己紹介する。
「私はみょうじなまえ。よかったら君と友達になりたいんだけど、どうかな?」
「とも、だち゛?」
「うん、友達」
ニコ!と微笑むみょうじに、里香は少々恥じらいながらも腕を伸ばした。おずおずと差し出された大きな手に、みょうじがそっと触れる。
「こんな素敵な友達が出来て嬉しいよ」
「里香と、なまえ、ともだち゛ぃ゛」
にいぃ、と里香が笑う。ようやくその場がまとまり始めたところで誰かの携帯が鳴った。どうやらみょうじのものだったようで、ひとこと断ってから携帯を見るなりあからさまにめんどくさそうな顔をする。
「このタイミングで任務ぅー? せーっかく初めて会った後輩と親交を深めてるっていうのに……」
はあ、と盛大な溜息を吐いた。むすっとした顔をしていたが、1年生たちに向き直るなりその表情は明るさを取り戻す。
「ごめんねみんな! 私任務入っちゃったから行かなきゃ」
「本当に忙しいんですね……」
「そうなんだよねーほんと人遣い荒くって……また今度一緒にご飯でもいこうね」
「先輩のおごりならいいッスよ」
「もー真希ってば……ま、いいけどね」
すると乙骨の背後にいた里香に視線を移して笑いかける。
「里香ちゃんも、またね!」
「うん゛!」
それじゃあねーと手を振っていってしまった。残された面々は少しの静寂の後にしみじみとつぶやく。
「すごいね、あの先輩」
圧倒されちゃった、と乙骨は言った。パンダは苦笑しつつ「まあな」と同意する。
「呪術師なのに呪霊好きっていう、高専の中でもかなりの変わり者ではあるんだが、まさかここまでとは……」
「しゃけ」
うんうんと狗巻も頷いて見せる。真希は少々呆れたようにため息をついていた。
「里香、なまえ、好きぃ゛」
「よかったね、里香ちゃん」
いつになく機嫌がよさそうな里香に、乙骨は笑いかける。この姿の里香を恐れる人はいても、「かっこいい」「かわいい」と評価したのは正真正銘みょうじが初めてである。そのため、里香はみょうじのことを好意的に……まさしく友達だと捉えているようだった。乙骨はその事実がほんの少しだけ嬉しかった。この姿の彼女を受け入れてもらえる人に出会えるなんて、高専に来てよかったと改めて思う。
「また会え゛る゛?」
「うん。きっとね」
乙骨の応えに嬉しそうに笑う里香。
ほころぶようなそれは、元の幼い少女の姿を彷彿とさせるほど、可憐で可愛らしいものだった。