「あ、あの!」

 映画館の席から立ち上がり出口に向かって歩き始めたところで不意に声を掛けられ、私は反射的にそちらへ視線を向けた。相手は高校生くらいの少年で、前髪が長くて片目が隠れてしまっているせいかどこかひ弱そうな印象を受ける。新手のナンパ、にしては優しそうな子だけど。内心そんな失礼なことを思っていると少年はおずおずとどこか緊張した面持ちで右手を差し出してくる。

「これ、落とされましたよ」

 そこに握られているのは正真正銘、私の持ってきたハンカチだ。ありゃ、落としたの全然気づかなかった。

「すみません。ありがとうございます」

 そう言って私はハンカチを受け取る。なんだ、ただの親切な少年だったのか。疑ったことを申し訳なく思いながらハンカチを鞄へしっかりしまっていると「あの、」ともう一度呼びかけられた。

「映画、お好きなんですか?」
「え?」
「あ、いや、時々週末に見かけるから……。その、好きなのかなって、思って、気になってて……。っその! 気になってたってのは、えっと、別に変な意味とかじゃなくて……!」

 顔をほんのり赤くしながらわたわたと必死に弁明したかと思うと、気まずそうに下を俯いてすみません、と謝られた。その一連の流れがなんだか可笑しくて、私はちょっと笑ってしまう。

「好きですよ」
「!」
「でも見始めたのは最近なので、あまり詳しくはないんですけどね」
「そ、そうなんですか」

 私の返答を聞いて、ほっとしたように少年の表情が和らいだ。そこでふと気付いたように少年が背筋を伸ばす。

「ってすみません、呼び止めちゃって。時間とか大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫ですよ。次のやつまで30分くらい時間があるので」
「次?」
「今日はこれの他にもう一本見る予定なんです」

 ちなみに今度見るのはさっき見た派手なアクションとはまた違う、ミステリーものだ。ちょうど公開日が同じだったので、ついでにまとめて観ようと思っていたのである。すると少年は「奇遇ですね。僕もなんです」とちょっと嬉しそうに笑う。

「ちなみに何を?」

 そう聞かれたのでタイトルを言うと少年は驚いたように目を丸くした。一体どうしたのかと思っていると、少年はいそいそと鞄から財布を取り出す。そこの外ポケットに挟まれた映画のチケットを見て、今度は私が目を丸くする番だった。

 少年が持っていたのは私が次に見ようと思っていた映画のチケット。しかも、私と同じ時間帯の回だった。席こそ離れているが、なんという偶然だろう。

 チケットから顔を上げると少年と目が合う。そして私たちはどちらからともなく笑い合った。

「結構マイナーっぽかったから、見る人いなさそうだなって思ってたのに」
「実は正直、私も思ってました。……なんか、私たち趣味が合いますね」
「みたいですね」

 チケットと財布を鞄にしまう少年に興味が湧いた私は、今度はこちらの方から話しかける。あの、と声を掛けると少年と目があった。

「もしよかったら、次の回までお話ししませんか? あ、ニワカの私でよければですけど」
「っ是非!」

 ちょっと食い気味に返事をする少年は嬉しそうに目を輝かせていた。その声が思ったより大きいのに気づいたようで、慌てて周囲からの視線を確認しながら照れくさそうに笑う。

「すみません。こうやって誰かと映画の話をするの、なかなかなくて」
「そうなんですね。実は私もです」

 そこで私はまだこの少年の名前を知らないことに気がついた。まず相手に聞く前に自分から名乗ることにする。

「そういえばまだ自己紹介してませんでしたね。私はみょうじなまえっていいます。君は?」
「吉野です。吉野順平。えっと、……みょうじさんって呼んでも?」
「いいですよ。じゃあ私も吉野くんって呼びますね」

 私の返答に少年……吉野くんは嬉しそうに笑った。映画館の出口に向かいながら私達は互いに言葉を交わし合う。初めてできた映画友達の笑顔に少しだけ心が温かくなったのを感じながら。