「いぃーーやぁーーだぁぁーーー!!」
その日、高専中にひとりの少女の悲痛な叫び声が響き渡った。平日のお昼休み。そろそろ授業も始まるであろうという時間である。その声を間近で聞いていたひとりである乙骨はというと、すぐ傍にいる発声源……みょうじの方を困ったように見ていた。みょうじは現在、両目から大粒の涙を流しながら乙骨の足元あたりに膝を抱えるようにして蹲っている。乙骨は少々言葉を選ぶようにしながらそっとみょうじに話しかけた。
「せ、先輩、あの」
「なぁんでいっっつも私は任務ばぁっっかりなの!? この前もそのまた前も里香ちゃんとの大事な予定潰されてるんだよわかる!? 任務のせいで折角できた可愛くてかっこいい友達とロクに遊べもしないなんてさぁ、おかしいよこんなの! っていうかそもそも学生の本分は勉強のはずだよね!? なのにまともに登校も出来ないって何!? どういうことなの!? 冷静に意味わかんないんだけど!!」
教育委員会に訴えてやる!!あとついでに労基署にも!!と声を上げるみょうじ。同じく傍でその様子を困ったように見ている補助監督の伊地知は恐る恐る口を挟んだ。
「とはいっても、そろそろ時間が……」
「しらないでーす。伊地知さんには悪いけど、今日という今日はずぇーーーったい行きませーん」
べーっと舌を出しながらみょうじは言う。彼女の意思はかなり頑なのようだ。伊地知と乙骨がどうしたものかと顔を見合わせたところでふと声がかけられる。
「あらぁ? 珍しい組み合わせだね」
「先生」
やっほーと片手を上げてやってくるのは乙骨の担任である五条だった。彼の姿を確認するなり伊地知は条件反射のように若干身体を強張らせるが、みょうじはそんなことなど眼中にないとばかりにギャンギャン喚き続けている。この地獄絵図のような状況を前に五条は乙骨に尋ねた。
「どうしたのこれ」
「それが、先輩が任務に行きたくないって言い始めて……」
「あーなるほど、そういうことね」
こういったことには慣れているのか、少ない説明でも五条には伝わったらしい。うんうんと頷く五条を他所に、みょうじの訴えは続く。
「任務なら私じゃなくて、秤くんとかに頼めばいいでしょー!!」
「ですが、この任務に行くことができる高専生はみょうじさん以外全員別任務でして……」
「あーもうだったら他の術師に……それこそ五条先生とかさぁー!」
「悪いけど、僕はこれから授業があるから無理なんだよね」
「なんだよそれでも最強かよー! もおおお!!」
「いつにも増して荒れてんね、ウケる」
「先生も笑ってる場合じゃないと思うんですけど……」
けらけら笑う五条を他所に、乙骨と伊地知はすっかり疲れた様子だった。
「やだやだやだやだいきたくなーい!! 今日は里香ちゃんと一緒にお揃いのネイルにするって約束してたんだもん!! 臨時の任務とか知らないもん!! 私は絶対行かないからね!!」
「ちょっとー? 言っとくけどなまえ、里香は」
「知ってますよぉ、全部出したら先生も乙骨くんも無事じゃ済まないって。この間学長にこわーい顔でめっちゃ釘刺されたもん。だからこっちも手だけって妥協してるのに! それすらできないって何!? もうやだぁ!! 私呪術師辞めるーー!!」
わん、わん、わあん! 段々とヒートアップしていくみょうじは遂に声を上げて泣き始めてしまった。彼女の号哭は夏場の蝉の鳴き声にも負けないほど周囲に響き渡っている。
「呪霊とお揃いのネイルかぁ……相変わらずぶっ飛んでるねえ」
くくく、と五条は笑う。気になったのそこなの?と思いながらも乙骨と伊地知はみょうじを見ていることしかできなかった。目の前で駄々を捏ねる姿は普段の頼りになる先輩のイメージからはかけ離れており、まるでおもちゃ売り場で目当てのおもちゃを買ってほしいと親に訴える未就学児のようである。先輩の知らなかった一面を見ることが出来て親近感が湧く半面、知らなくてもよかったかもしれないと思い始めている自分もいることに、乙骨自身も若干戸惑っていた。
すると不意に背後から「ゆうたぁ、」と声が聞こえる。
「里香ちゃん?」
「なまえ、泣い゛てるのぉ゛?」
「え? あ、いやその……」
「だぁれが、泣か゛せたの゛ぉお゛お?」
「え゛!?」
ずるりと背後から左手が伸びる。まずい、これは完全に怒っている。どうやらみょうじが誰かに泣かされたと勘違いしているようだ。流石にこのままにしておくわけにはいかないと乙骨は慌てて弁明する。
「違うよ里香ちゃん! 先輩はその……誰かに何かされたとかじゃなくてね、任務のせいで里香ちゃんと遊べないのが悲しくて泣いてるだけなんだよ」
「……そうな゛の?」
「そうだよ、だから安心して」
ね?と乙骨は必死の思いで言い聞かせる。すると里香がいることに気付いたみょうじがぱっと顔を上げた。そのまま立ち上がり、勢いよく左手を取る。
「里香ちゃん! 里香ちゃんも私と遊びたいよね?! ネイル、お揃いしたいって言ってたもんね! 私ちゃんと用意したんだよ! 里香ちゃんが何色好きなのかわからなかったから、いっぱいいろんな色用意したの! 今すぐにだってできるよ! だから里香ちゃんも私に任務なんか行ってほしくないよね!?」
ね!ね!と同意を求めるように左手にすがりつく。どうすることもできず乙骨はちらりと五条を見るが、五条は余裕そうな笑みを浮かべているだけだった。少しだけ間を開けて、里香は言う。
「なまえ、」
「なあに、里香ちゃん」
みょうじは先ほどギャン泣きしていたのが嘘のように頬を染め、今にもとろけそうな笑顔をうかべる。きっと里香なら自分と同じ気持ちだろうと思いながら言葉の続きを待つ。
「にんむ、行かない゛とダメ゛、だよ」
「え」
だが告げられたのは予想外の言葉だった。まさかそんなことを言われるとは思わず、みょうじは驚いた顔のまま固まってしまう。
「でも、」
「みんな、困って゛る゛。だから、なまえ、行かな゛い゛と」
「そんなぁ、里香ちゃんまでぇ……」
しょぼんと、今にもまた泣きだしてしまいそうな顔になるみょうじ。絶対に自分の味方になってくれると信じていた里香に裏切られたような気持ちだった。
するともう片方の右手が乙骨の背後から音もなく伸びてくる。そしてそっと、みょうじの頭に添えられた。
「なまえ、すごい゛」
「え」
「なまえ、い゛つもがんばって゛る゛。すごい、えらい゛」
「ぁえ、ちょ、え?」
「なまえ、つよ゛いから、に゛んむでいつも゛忙しい、って、ゆう゛たが言ってる゛。だから゛、しって゛る」
「ふぇ…………」
みょうじの頭なんて簡単に潰してしまいそうなほど凶悪そうな見てくれの腕からは考えられないほど、優しく頭を撫でながら里香は目の前の友達に励ましの言葉をかける。対するみょうじはといえば、まるで蛸のように顔を真っ赤にしながら戸惑ったようにまばたきを繰り返していた。パクパクとさせる口からは意味にならない言葉ばかりが零れ落ちていく。
「だい、じょうぶ。里香、待ってる゛から゛。はやくかえ゛ってきて゛ね゛ぇ」
とびっきり優しい声色でそんなことを言われたみょうじはしばらく固まっていたかと思うと、目の前の左手に思い切り抱き着いた。
「ほんっっっとうにありがとう里香ちゃん!! めっちゃ元気でた!! わ、私、もうちょっっぱやで任務終わらせてくるから!! マジ秒だから!! そしたら遊ぼうね!! いっぱい!! だから待ってて!!」
「うん゛!」
みょうじはニコ!といつもの溌溂とした笑顔を浮かべると、ぱっと伊地知に向き直る。
「さ! そうと決まったら早くいきましょう伊地知さん! さあさあさあ!!」
「ちょ、みょうじさん!?」
待ってください!と慌てて追いかける伊地知。みょうじは走りながらこちらをくるりと振り返ったかと思うと、満開の笑顔を浮かべながらぶんぶんと大きく手を振った。
「行ってきまーす!」
「行ってら゛っしゃい゛」
里香はみょうじに向けてひとしきり手を振る。やがて彼女の姿が見えなくなると、そのままずるりと姿を消した。それを見届けた乙骨はようやく息を吐く。
「よ、よかった……戻ってくれて……いきなり出てきた時はどうしようかと……」
「どうやら彼女、なまえが絡むと比較的素直になってくれるみたいだね」
「みたい、ですね」
ふむふむと腕を組みながら納得したように頷く五条。そこでふと、思いついたように言った。
「もしかして彼女、憂太よりもなまえの方が好きだったりして」
「え゛!?」
それを聞いた乙骨は思わず固まってしまう。否定しようと思った乙骨だが確かに、内心思い当たるフシがないわけではなかった。自分が呼びかけた時よりもみょうじが呼びかけた時の方がいうことをきいてくれるし、彼女の特性によるものとはいえはっきりと意思疎通が出来ているし。……それにさっきだって、あんな風に頭を撫でてもらった事は乙骨にはない。人間の頃も、呪霊になっても。なのにみょうじはそれを自然とやってのけたのだ。自分よりも里香と付き合いが短い筈、なのに。
「(……なんか、ちょっとだけ妬けちゃうなあ)」
今まで味わったことの無い感情が自身の胸の中に渦巻くのを感じる。
そのぼんやりとした不確実な思いは結局、乙骨の口から零れることはなかった。