月の綺麗な夜だった。

「おや、見つかっちゃった」

 少々目を丸くしながら、目の前のそいつは言う。
 変わった奴だった。ブルーグレーの髪につぎはぎの皮膚、左右で違う色の瞳、闇に紛れるようなオーバーサイズの黒い服。そして、身体中に身に纏う、赤。赤。赤。その赤はそいつの身体だけじゃなく、周囲の壁も染め上げている。まるでフィクションの世界のようだった。けれどこれは紛れもない現実だと五感が訴えている。むわりと濃い、生き物のにおい。

「ねえ君、こんな時間にこんなところにいたら危ないよ? 俺みたいなのに殺されちゃうかも」

 なーんちゃって。月明かりを受けた瞳が楽しそうに細められる。軽やかで耳障りのいい声だ。見てくれは青年のようだが、話し方のせいで無邪気な子どものようにも感じられる。変な奴。

「これ、あんたがやったのか」
「! へえ、俺が見えるんだね」

 驚いたように目を丸くする。そして元々は人間だったのだろう肉塊を、まるで壊れたおもちゃのようにその辺に放り投げた。べちゃり、粘着質な音がして水溜りが跳ねる。また地面の赤が増える。俺は尋ねた。

「もしかして見えちゃまずかったのか」
「うーん、そうかもね。俺にとってはどうでもいいけど、君にとってはそうかも」

 あいつは一歩一歩こちらに近づいてくる。俺は特に逃げることもせず、その場に立ちすくんでいた。腕一本分くらいの距離になり、そいつが足を止める。

「運が悪かったね。俺が見えちゃうなんて」

 そう言って右腕を伸ばす。赤く濡れた、つぎはぎだらけの手が、俺の顔に触れる、その手前で。

「……逃げないんだね」

 そいつはぽつりと言った。近づく手は俺の顔の数センチ前で止まっていて、狭い視界の隙間から不思議そうにこちらを見ている。その目は純粋に、俺のことを疑問に思っているように感じられた。

「逃げてほしいのかよ」
「いや別に? ただこういう時って人間は多少慌てたり、命乞いしたりするのに、お前は何もしないんだなって。魂もほとんど動かないし」
「俺死ぬの?」
「うん。今、ここで、俺に殺されるの」

 どう?とばかりにそいつは爽やかに笑って俺の反応を伺う。俺は少しの間を開けて言った。

「別に」
「ツマンネ〜 お前、感情とか無いの?」
「よく言われる」

 昔から感情は希薄な方だった。なんというか、何をするにも実感がわかないというか、生きている心地がしないんだ。何をするにも他人事で、関心が湧かない。やろうと思ったことは大抵人並み以上にできてしまうけれど、そのせいで特にひとつのものにのめり込むような経験もない。スクリーンに映し出された映画をずっと見ているような、心がここではない違う場所にあるように感じながら、今まで生きてきた。
 だから正直今ここで死ぬと言われても、「そうですか」としか思えない。

「ふーん、変な奴」
「あんたに言われたくはないけど」
「それもそうか!」

 ふは、と噴き出すように笑う。月明かりを受けてそいつの白い歯がきらりときらめくのが見えた。

「それで? どうすんだよ」
「んー 今日はやめとこうかな。君面白いし。ただ殺すなんてつまんないだろ?」
「そうか」

 すっと手を遠ざけられて、視界が広くなる。どうやら本当に殺すのをやめたようだった。途端にふあ、と欠伸がこぼれる。その様子を見た目の前のそいつが愉快そうに笑う。

「今さっきまで殺されそうだったのに、よく欠伸なんかできるね」
「欠伸しちゃいけなかったか」
「あはは! ほんっと変な奴だよねぇ……」

 そうだ、とそいつは思いだしたかのように言う。

「ここのことは誰にも言わないほうがいいよ。ま、言ったところでどうせ誰も信じないだろうけどね」
「わかった」
「よぉし、いい子いい子。素直な子は俺だーいすきだよ。可愛がりたくなっちゃう」

 そいつは満足げに笑い、くるりとこちらに背中を向ける。素足のまま水溜りを踏みつけ、アスファルトに赤黒い足跡を付けた。

「また会えるといいね。君の安全は保障しないけど、その時は一緒に遊ぼう」
「ああ」

 歌うように言いながらひらひらと手を振る。俺はそいつの背中が見えなくなるまで、しばらくそこに立ちすくんでいた。

 次の日。何とはなしに朝のニュースを見ると、俺の家の近くで惨殺死体が出たと報じられていた。昨晩なんとなく散歩で立ち寄った、あの路地裏だ。警察が捜査を進めているらしいが、頭の片隅では「どうせ見つからないんだろうな」と思っている。
 途端に脳裏に過るのはあいつの姿だ。変わった風貌、つぎはぎだらけの肌、純粋な瞳、身体中に飛び散る赤。それが不気味なほど綺麗な月明かりに照らされて。

 ……あいつは、一体何だったんだろう。

「ま、どうでもいいか」

 俺はひとりつぶやいて、テレビの電源を切った。