カカオとほんのちょっとの愛と熱と
※夢主が大学時代のお話
「はい、これ」
「ん?」
いつものように最上の家に訪れた松田は、リビングに入るなり家主から不意に何かを差し出され少々驚いた表情を見せた。最上の手にあるのは何やらラッピングされた手のひらサイズの小さな袋である。受け取ったそれをしげしげと見つめ直しながら、松田は問いかける。
「なんだこれ」
「今日バレンタインでしょ? だから」
最上の言葉に松田はようやく今日の日付を思い出した。そうか、今日はバレンタインだったっけか。なるほど。だから最上はチョコレートを……チョコレートを? そこまで考えたところで松田は少々慌てながら――だが決してそれを表情には出さぬように――最上に尋ねる。
「これ、俺に?」
「他に誰がいるの」
「……手作り?」
「そうだよ。昨日松兄バイトだったでしょ? だからその間に作ったんだ」
「そ、か」
松田はそっけなく言ったが、その実顔がにやけそうになるのを堪えるのに必死だった。バレンタイン当日に密かに想いを寄せる相手から手作りのチョコレートを貰ったのだ。そういう反応になっても仕方ないだろう。先ほどまで寒空の下にいたはずなのに、すでに身体はぽかぽかとしている。手の熱でチョコレートが融けてしまわないだろうか、なんて余計な心配までしてしまう始末だった。はやる心臓をなんとか抑えつつ、平静を保つようにお礼を言う。
「ありがとな。後で食うよ」
「うん」
すると玄関の鍵が開く音がして「ただいまー」と聞き馴染みのある声がした。萩原だ。おかえり、と最上が言うのに続いて松田もおかえりと言う。「あーさむさむ」と言いながら扉を開けてリビングに現れた萩原の目に、松田の手元にあるものが飛び込んできた。あっと閃いたようにそれを指さす。
「それかざねから貰ったの? よかったじゃん」
「やらねえぞ」
「わかってるって」
ニヤニヤと笑う萩原を松田がぎろりと睨みつけていると、最上は平然と言ってのける。
「心配しなくても萩兄の分もあるよ」
「は」
「はいどうぞ」
「あれ、いいの? ありがと〜」
そう言って萩原は最上からラッピングされたチョコレートを受け取る。松田は驚いた表情のまま固まっており、最上から萩原へチョコレートが渡される光景を黙って見ていることしかできなかった。
「いつもありがとね」
「それはどういたしまして」
最上からの感謝の言葉に、へらりと笑う萩原。その光景に松田は少なからずショックを受けていた。……なんだよ、俺だけじゃなかったのかよ。てっきりそうだと思ったのに。貰えたこと自体は確かに嬉しいが、自分が彼女の唯一ではなかったことが少し、いやかなり、寂しかったのだ。そんな心情の変化が顔に出ていたのか、萩原がちらりと松田の方を見た後に視線を戻し「ねえ、」と最上に尋ねる。
「かざね、これって松田と一緒のやつ?」
「ううん。松兄あんまり甘いの得意じゃないでしょ。だから松兄の方はちょっと甘さ控えめに作ってあるよ」
「そうなんだ」
そこまで聞いたところで再び松田に視線を向け、
「だってさ」
と言った。
その表情は思わず引っぱたきたくなるほどの笑顔で、それがかえって松田の荒んだ神経を逆撫でしたのは言うまでもない。少々不機嫌な声色で松田は言う。
「余計なこというんじゃねえよ」
「さあ、なんのことかな〜 俺はただ気になったから訊いただけだけど?」
「てめ……」
じろりと睨む松田に、あれ?と最上が首を傾げる。
「もしかして松兄も萩兄と同じやつがよかった?」
「いや、そういうんじゃねえよ。気にすんな」
「そう?」
ならいいけど、とさして気にして無さそうに最上は言う。そこでわかりやすく萩原が別の話題を最上に振ったことで、話は別に移っていった。松田は受け取ったチョコレートを大切に鞄にしまい込む。
……萩原も貰ってるのは気にくわないけど、自分のために味をわざわざ変えてくれたんならまあ、いっか。そんなことを思いながら。
***
それから数年の月日が流れ、再び2月14日がやってきた。
「はいどうぞ」
「ん」
シンプルなラッピングが施されたそれを最上から受け取った松田は、満足そうに口元を緩ませる。正式に付き合い始めて最初のバレンタイン。待ちに待った自分だけに作られたチョコレートに、松田の気分は最高潮になっていた。滅多に人が通らない廊下の片隅でこそこそと行われるその行為は、まるで何かの取引かのようである。
「ひさしぶりにかざねから貰うなぁ」
「そうだね、私も久しぶりに作ったよ」
最上は照れくさそうに笑いながら自信なさげに言う。
「味見はしたから、食べられはすると、思う」
「そんなに謙遜すんなよ。美味いのはわかってるから、全部食べるって」
松田は過去に作ってもらった数々の料理を思い出す。よっぽど食べられないような仕上がりになったことはほとんど無いと記憶しているが……。そんな松田を他所に最上はううん、と小さく首を振る。
「謙遜っていうか、緊張っていうか」
「緊張?」
「口に合うかなとか、ちゃんとおいしいかなとか。色々。その、前作った時は特に意識してなかったんだけど……」
最上は恥ずかしそうに視線をうろつかせたのちに白状する。
「好きな人に……その、ほ、本命チョコ作るのは、初めてだから」
"好きな人"。
"本命"。
最上からの思わぬ告白に、時間差で松田の顔にぶわりと熱が集まる。それにつられるようにして最上の顔も赤く染まっていった。
……5分後。偶然通りかかった佐藤に呼びかけられ、ふたりして階中に響き渡るほどの大声を出すことになるのだが、今はまだ知る由もない。
―――カカオとほんのちょっとの愛と熱と
「(な、何話したらいいんだこれ……)」
「(うわ、余計なこと言っちゃったな……どうしよう)」
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