「なまえちゃん、桑の実は食べたことあるかい?」



暖かな気温と昼食後の満腹感から襲い来る眠気と闘いながらパソコンと向かい合い予算書を作る私に、薄っぺらい笑顔を浮かべそう尋ねてくる太宰さんの手には、何やら見慣れない赤い木の実がたくさんある。



「いえ、ありません。ていうか、桑の実って食べれるんですか?」



「ふっふっふ、あまり知られてないけど食べれるんだよ。しかも林檎と比べるとカルシウムは13倍、鉄は15倍、カリウムは2倍、ビタミンCは10倍もあるから健康にとてもいい」



「はあ、何だか胡散臭い通販番組みたいですね」



「酷いなあ。こんな見た目だけど、案外美味しいものだよ?」



私が信用してないからか、太宰さんはそれを一つ摘みパクリと口に放り込む。木苺のような見た目だが、本当に美味しいのだろうか。



「ね、試しに食べてご覧?」



「其処まで言うなら、、、」



差し出された掌から一つ桑の実を取り、恐る恐る口に入れる。プチプチとした食感や甘酸っぱさは、正しく木苺と似ていた。本当だ。案外美味しい。



「太宰さんのことだからてっきり滅茶苦茶不味いものを渡してきたのかと思いましたが、美味しいですねこれ」



「なまえちゃんの中で如何して私はそんな性悪な人間になってしまったのかな」



「日頃の行いが齎した結果です。もう一つ頂きます」



赤く熟したそれを再び口に入れる私を見て太宰さんは目を細め何故かとても満足気な笑みを浮かべている。これは絶対何か企んでる顔だ。
疑惑の目を太宰さんに向けていると、「ああ、それともう一つ桑には秘密があったんだ」と思い出したように手を叩く。



「なまえちゃんは、桑の花は見たことあるかな?」



「?ありません」


今日の太宰さんは一体どうしたのだろう。普段は開口一番に今日こそはともに入水しようだの、絶好の行楽日和だから樹海に行こうだの、心中に誘ってくるのに。此処まで桑に拘るだなんて、何か特別な理由でもあるに違いない。

そんな私の予想は、どうも当たったらしい。太宰さんは嬉しそうに喋りだした。




「ふふ、実はね、桑には私達にとても相応しい花言葉があるんだよ。何だと思う?」



「別れとか、絶縁とかですかね」



「、、君は本当に手厳しいね。正解は」



ふわりと、耳元に口を寄せられ「共に死のう」とそれはそれは、甘美な声で囁かれた。おそらく世の九割の女性はこれでころっと、この男の手に落ちてしまうのだろう。




「折角の趣向を凝らしたお誘いですが、お断りさせていただきます。そろそろ仕事に戻らないと、国木田さんにまた小言言われちゃいますよ」



「あちゃぁ、残念。いけると思ったのになあ」



何を根拠にいけると思ったのかが甚だ疑問だ。太宰さんは乱歩さんには及ばないがとても賢い人なのに、本当は唯の莫迦なんじゃないかと思う。
全く残念そうな様子ではない太宰さんの元に、痺れを切らした国木田さんが近づいてくるのが見えた。これで漸く何処かに行ってくれる。全く、こうも毎日毎日仕事の邪魔をされてはたまったもんじゃない。探偵社の他の社員は、初めこそ私の事を憐れんでくれたが今となっては手助けをしてくれるのは国木田さんくらいだ。



「働かんかこの唐変木!」



「もう、国木田さん遅いですよ」



「済まんな、少し目を離すとこれだ。おい太宰、今から外回りだ行くぞ」



「ええ〜、今日はそんな気分じゃないんだよなあ」



「気分で職務怠慢するな!」



「行ってらっしゃい国木田さん。太宰さんも早く行ってください」



私にも行ってらっしゃいと言っておくれよと駄々をこねる太宰さんが国木田さんに強制連行された事により、私の元には平穏が戻ってきた。本当、早く太宰さんの中でこの悪趣味な嫌がらせが飽きるといいのに。




「面倒なのに好かれたねぇ」



この数分のやり取りで気力が削がれたところに、絶妙なタイミングで紅茶を淹れて持ってきてくれた与謝野先生は流石だ。



「ありがとうございます。ところで、好かれてる、というのは?」



「何恍けてるんだい、太宰にだよ」



「?太宰さんは私の事を好いてないと思いますよ。新手の嫌がらせですよアレは」



私の言葉に与謝野先生の耽美なお顔がピシリと凍りつく。
だって、太宰さんからは一度も好きのすの字も言われたことが無い。彼の口から出てくるのは、心中のお誘いばかりだ。あんなにストレートな人なんだから、好いてる女性には面と向かって好きと言うはず。



「、、、どっちが気の毒か分からなくなってきたよ妾は」



「ええっ、どう見ても被害者は私じゃないですか」



先が思いやられるねえと優雅に紅茶を啜る与謝野先生の仰ってることがイマイチ理解できなかったが、折角淹れてもらったお茶が冷めるのは勿体無いので、取り敢えずカップに口をつけた。綺麗な紅色、そういえばさっき太宰さんにもらった桑の実も赤かったな。でも、この赤とは違う、もっと深くて濃い、ピジョンブラッドのような赤。
割に美味しかったし栄養価も高いみたいだから、太宰さんが帰ってきたら何処で取ったのか教えてもらおう。

何てことを呑気に考えてるこの時、私はまだ桑にはもう一つの花言葉があるということを知らなかった。







貴方の全てが好き、




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