「響っちー! この前はありがとう」
廊下を一人で歩いていると、前から涼太が走ってきた。犬にしか見えない。
『……俺何かしたっけ?』
「練習見に来てくれたじゃないッスか! 俺あれから俄然やる気でてさ、すっげぇ調子よかったんスよ」
『よく分かんないけど、どういたしまして……?』
どうやら涼太は凄く喜んでるみたいだった。なら何でもいいかとは思うが、本当にあれだけで喜んでるんだったら、どうしてだろうか。
……や、まさかね。ないない。
ふわりと浮かんできた可能性を首を振って消す。
日に日に抑えられなくなっているのが、自分でもわかる。気付いたらやってしまっていた、だなんてしょっちゅうだ。意味もなく呼び止めたり、引っ張ったり。
涼太に話しかける人達に、嫉妬してるんだ。
自分が知らない自分を次々知っていく。不思議な感じで、知りたくなかった。眉間にしわが寄る。
「ねぇ、黄瀬くんと水城くんって」
その時ふと耳に入った声。俺達からそれなりに離れたところにいるにも関わらず、嫌に届く。
男が一人、女が二人。その声は気にもとめない、何でもないただの会話。俺が気になるのは他でもない、その内容。
ばれないように、慎重に耳をすませた。
聞かなきゃよかったと心から思った。
「付き合ってるって噂があるんだけどね」
でも同時に、聞いてよかったと心から思った。
「なわけないでしょ、どうせ黄瀬くんに嫉妬してる人達が流した嘘よ」
「いーやあり得るかもよ?最近何があるかわかんねぇしよ。もしそうだったらキモいけどさ」
「えー!? 嘘、黄瀬くんそっちの気があったんだ……なんかショックだなぁ」
聞くや否や、冷や汗が吹き出してきた。
違う、違う、違う。そんなわけない。出鱈目を言うな。
あの一人が言うように、涼太に嫉妬してるだけの人が流したデマだ。
笑い声が頭に響き、胸が気持ち悪くなる。ぐるぐると何かが渦を巻いているようで、もう頭の中が真っ白だ。
何でだよ。どこからどう見たってただの友達じゃないか。確かに俺は、涼太をそういう目で見てはいる。そうさ、気持ち悪いのは俺だ。だけど涼太は違う。一緒にしないでくれ。
「響っちー? どうしたんスか?」
『!!』
またやってしまった、悪い癖だ。考え出すと足が止まってしまうし、周りの音が聞こえなくなる。
『ああ、いや、何でもない』
頭を振って曖昧に誤魔化す。
先程まで妙に耳に入ってきた声は、もう他の音と混ざってどこかへ消え去っていた。あの瞬間が異常だったかのように。
涼太は気にしなくていい。
どうか何も知らずにいてくれ。
何も知ることなく、綺麗なお前のままで。
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