(高校時)
 ぼんやりと視界に何かが現れた。それは、ゆっくりした動作で近付いてくる。そして気付くと、目の前に立っていた。

『う、涼太……?』

 その何かは、どうやら涼太だったようだ。
 海常高校の灰色のブレザーに身を包んだ涼太は、これでもかと言うほど柔らかく微笑んでいる。正面から直視した俺は、思わず目を逸らした。にも関わらず、ぐいと再び向き合わされる。
 困った。俺を見詰めてくる両目から、ひしひしと熱を感じるのだ。しかしそれは、所謂情欲を伴ったようなものではなく、只本当に“愛しい”とだけ訴えかけてくる。
 だからこそ、非常に困った。そんなの拒めない。
 等と考えていたら、今度はその微笑みを滲ませた顔が近付いた。アクションを起こす間も無く、綺麗な、傷一つ無い唇が重ねられる。

『っおい』

 すぐに離れたそれは、今度は俺の瞼や頬に触れる。
 その余りの優しさに、無意識に力が抜けていく。柔らかなその手に、俺はとうとう身を任せた。




『俺こんなのばっかりなんだけど……何なんだ本当』
「と言われましても」

 ダンッとそれなりに勢いをつけて、中身を飲み干したコップを机に置いた。向かいに座る黒子は、しれっとした顔で好物のバニラシェイクを飲んでいる。
 涼太と同じ海常に進学した俺は、態々休日を潰してまで黒子の通う誠凜の近くのマジバに来ていた。部活帰りの黒子本人を呼び出して。嫌な顔一つせず来てくれたこの中学からの友人には、心から感謝している。
 そうしなければならなかった全ての原因は、今日見た恥ずかしい夢にある。あの教室含めて以前にも何度かあったが、そろそろ耐え難いのだ。
 机に肘をつき、頭を抱えて俯く俺に、黒子はふと思い出したように口を開いた。

「響くん。その夢を見るときの君の体勢を教えてくれませんか?」
『体勢? 何か関係あるのか?』
「いいから、教えてください」

 うっすらと笑みを浮かべた友人は、どこか確信したようでもある。もしかして、やはり何か理由があるのだろうか。
 今朝のこと、これまでのことを思い浮かべて、起きた時の自分の体勢を思い出す。

『そう言えば……うつ伏せだったような』

 宙を見ながら答えると、理由が分かりました、と黒子はしっかりと頷いた。予想通りと言いたげな正面の顔に、自分から話を持ちかけておいて、少しだけムッとした。
 まさか本当に理由があったなんて。勿体振らずに早く教えろと促すと、やはり黒子は頷いた。

「うつ伏せで寝ると、そういう夢を見易くなるそうです。臓器の圧迫によって酸素の供給量が減り、酸素不足になった脳から発信される信号が混乱してしまうから、という説がありますね」
『……よく知ってんだな』
「いえ、確かかどうかは分からないので、飽くまでも推測です」

 そう言い終わると、すぐにバニラシェイクのストローに口を付けた。
 寝相が原因だったなんて。そんなにも単純だったとは、全く考えもしなかった。しかしそれが事実なら、これまでの夢を見たときの傾向にも合点がいく。すぐにその答えに行き着いた黒子にも感服する。
 つまり、だ。それが正しいのであれば、これから極力うつ伏せで寝なければ、もうあんな沸騰しそうな夢は見なくて済むというわけだ。これで万事OKだ。

『ありがとな黒子。御礼にもう一杯シェイク奢るよ』
「ありがとうございます」

 嬉々とした顔で例を言われるから、早速注文しようと財布を持って席を立つ。
 すると黒子から、あ、と小さく声がもれた。

『どうした?』
「さっきの推測より信憑性には欠けますが、その夢が響くんの本当の望みだ、という説もありますよ」

 ……やっぱり奢るのは止めようかな。


261120


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