夕焼け空に、ピアノの音が響きわたる。つい一時間ほど前まで連弾だったそれは、今は一人が奏でるものだけ。
 ピアノの傍に寄り添うように生えている一本の木の下に、私はいた。そこまで太いわけではない幹を撫でながら目を閉じる。
 ふと気付くと、周りから音が消えていた。
 嗚呼、なんだもう終わりか。折角の独占タイムも、あっさりと終わりを告げてしまったようだ。
 両目を開くと、紺に染まりだした空を見上げる白い奏者に目が行った。

『今日は早いんだ』
「うん、もう暗くなってきたからね」

 鍵盤に置かれていた指は椅子の上に移され、暗くなってきたと言う割りにはここを動く気配はない。
 奏者、渚カヲルは視線をずらすことなく私に言った。

「星を見ないかい?」

 星を?
 思わず聞き返すとカヲルは頷く。
 何でまたいきなり星を見るだなんて。
 席を立ったカヲルはその横に寝転ぶ。こちらを見ると隣をぽんぽんと叩き、私の場所を示した。
 珍しいことをするものだと思いながら、指示された通りに横になった。

「昨日、碇くんと星を見たんだ」
『へぇ、だから今度は私を誘ったと』
「誰かと見上げる星はとても綺麗だったから」

 キラキラと競いあうようにひしめき出した星達は確かに綺麗で、口元が綻んだ。カヲルの赤い目も、キラリと光る。

「ねぇナマエ」

 そう言って顔をこちらに向けたカヲル。
 月明かりに照らされて、白い肌がより白く際立つ。その中に二つ存在する紅がしかと私をとらえていた。
 僕は碇シンジくんを幸せに出来るだろうか。
 まるで自信を失くしてしまったかのような声がカヲルの口から溢れた。
 らしくない。そう思って、私達の間に置かれた白い手を握った。指を絡めて、離れないように。
 こいつでも不安になることがあるのか。感情というのものは極めて面倒だ。だがしかし、感情があるからこそ、愛しいと思えるのだ。
 私が今、カヲルに愛を抱いているように。カヲルが碇シンジに愛を抱いているように。

『きっと大丈夫、上手く行くよ』
「本当にそう思うかい?」
『……うん』

 きゅっと握って、笑ってみせたら、カヲルも漸く笑顔を見せた。
 それでいい。その笑顔が見れただけで、私は明日も頑張れるよ。
 そう思って目を瞑ると、ぐいと繋がった手が引っ張られた。
 ざざざと音を発てて僅かに地面を滑る。吃驚して目を開くと、カヲルの顔が眼前にあった。
 突然の急接近に、無意識のうちに身体を強張らせる。
 そんな私を見て少し笑うと、一気に距離を詰めて私の呼吸を奪った。

「ありがとう、ナマエ」


250203



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