「ねぇナマエ」
『…何』
「僕にはチョコくれないの?」

 そう首を傾げながら片手を出す。
 どうやら今日がどういう日かを雑誌で知ったようだ。その証拠に椅子の上には、でかでかとバレンタイン特集と書かれたページが開かれたままの雑誌があった。

『残念だけど、そんなもの用意してないからね』

 それより出ていけ。何でこいつがここにいるんだ。
 ちぇ、と不貞腐れたカヲルはまた椅子に座った。出ていく気はないようだ。
 だがこのままじゃ着替えられない。無理矢理部屋から蹴り出してやりたいが、後が面倒だと分かっているから何もできない。歯痒い。イライラする。

 カヲルが出ていくか、誰かが入ってくるか、状況は二つに一つだ。出来ればアスカ辺りに来てほしい。
 あぁでもこのまま機を待ってプラグスーツで過ごすのも嫌だし……出来る限りは何とかしないと。

『あのさぁカヲル、部屋から出てくれない?』
「何で?」

 あんたバカァ!!?
 ついアスカの台詞を叫びかけた。

 否、でも、何ではないだろうこいつ。本当に不思議そうな顔してるし、逆に私から何で出ていかないの? って訊きたいんだけど。
 読み飽きたらしい雑誌を閉じて、私をじろじろと見てくるカヲルに居心地が悪くなり、つい腕で身体を隠す。
 プラグスーツは身体のラインが目立つから何だか着ている気にもならないし。
 ……それに、スタイルもあんまりだし。

「ねぇ、何故隠すの?」

 カヲルが立ち上がる。ゆらりと身体を揺らしながら、彼は足を動かした。

「別に裸じゃないんだからさ、見られていけないわけでもないでしょ」

 一歩一歩足を前に出すカヲルとは反対に、私の足は一歩一歩後ろに下がる。

『じゃ、あ……どうして、カヲルはこっち来るの』
「君がチョコをくれないみたいだから」

 だから奪おうかと思って。
 いつの間にか背中はロッカーにくっついていて、顔の両サイドには蝋燭のような腕が伸びていた。
 逃げ道もなく、白が迫る。
 視界一杯が、白に染まる。
 私の唇に引き寄せられるようにして、カヲルのそれが当てられる。直前に目一杯息を吸って、ぎゅっと目を瞑った。
 そして胸の中心からへそにかけて、指三本分のむず痒さが滑り落ちる。
 直に触られているような感覚にもなり、指が動く度に肩が跳ねて身体が強張り、恥ずかしくなった。

 息も羞恥心も限界に近付き、カヲルの肩を押した。思ったより力が抜けていた事は、恥ずかしさが増すだけだし悔しいし、黙っておく。(ほぼ股の間に入り込むカヲルの足に座っている状態だからあまり意味がないけれど)
 案外あっさりと引いた彼に少し驚きながら、大きく空気を吸い込んだ。
 て言うか、その、私。
 思い出してカッと顔が熱くなる。瞳が薄い水の膜に覆われる。

「あれ? もしかして初めてだった?」

 わざとらしく口角を上げて問いかけてくるこいつを力一杯殴りたい衝動に駆られた。
 今私の力が抜けてなかったらあんたの前歯は今頃お陀仏だよとカヲルを睨み付ける。
 しかし当の本人は、何食わぬ顔で笑顔を貼り付けている。

『なっ、何、するの……!』
「変なやつに奪われるよりは増しだろう?」
『増しぃ!? カヲルも十分変なやつでしょうが!!』

 肩を叩いて怒鳴りつける。
 心外だなぁと首を傾げると、カヲルは更に接近してきた。
 鼻と鼻がくっつきそうな距離で変なやつは言い放った。

「何なら君の初めてを全部奪っちゃってもいいけど、今ここで」

 言い放って、反論前に口を塞いだ。


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