入学式も終わり、新たな生活が始まって数日が過ぎた。クラス替えがあっても何ら新鮮味を感じないのは、今日までにそれだけ多くの人と関わってきたからだろう。
 今年も私立夢ノ咲学院のアイドル科には、沢山の生徒が入った。他にも演劇科、音楽科、声楽科と芸能面に特化した学科が存在するが、最も競争率が高いのがアイドル科だ。アイドルを目指す子達が挙って入学を争う理由は単純で、それだけの名声を博しているから。なんせ教師は(丁度私達の親世代を直撃する)元人気アイドルだし、活動している芸能人の多くはここの卒業生なのだ。そりゃ期待もでかい。――その分逆も同じくらい、いや、それ以上かもしれないが。
 しかしアイドル科とは言え、特化しているのは何故か“男性アイドル”の育成。つまりここには、私や講師を除き男子生徒しかいないのである。入ってすぐの頃は心細いことこの上なかったが、実際過ごしてみれば皆個性が強いだけで他は普通の男子高校生だったからちょっと拍子抜けしたところもあったけれど。普通に騒いで馬鹿やって、それなりに楽しそうに過ごしている。

 それが、今日はどこか違った。殆どの人が妙にそわそわしているし、先生も朝から慌ただしげに動いている。慣れてきた3Aの教室に辿り着くまでの廊下なんて、普段と異なる騒がしさで溢れていた。いくらS1が近いからと言えどここまでではなかった気がするし、何より表情が違う。なんというか、全体的に明るいのはなんでだ。
 そして極めつけはこいつだ。

「おはよう琴音ちゃん」
『ん、おは……?』
「ちょっ、幽霊でも見たみたいな顔しないでよ」

 私の隣に腰を下ろしたのは、年がら年中女子のことばかり考えている男、羽風薫だった。目を見開いて固まった私に苦笑を浮かべているが、いつもフラフラとしていて授業もまばらにしか参加しない彼が朝から大人しく席についているのが原因である。あんたはあんたのせいでこんな反応されてるんだよ。
 それにしても、これはいよいよ何かがおかしい。今日は槍が降るどころか天地がひっくり返るのだろうか。

『ひっくり返ったら羽風くんのせいだ』
「え、何が」

 その言葉を無視して机につっ伏す。ねえ琴音ちゃん、無視とか傷ついちゃうなあ。不満気な声が頭に降り掛かってくるが、こういう冗談は気にしない方がいいとこの2年半でしっかり学んだ私は無視を決め込んだ。
 ガヤガヤとした喧騒を聞きながら、私は先程のことを思い出していた。



 欠伸を一つ、スマホがメールを受信した。こんな早くから連絡をしてくるなんてマネージャーくらいだったから、今日もそうだろうと画面をつけて確認する。しかしそこに表示された名前は予想していなかった人物のものだった。
 そして午前8時。ノックもせずに目の前のドアノブを回した。呼び出された軽音部室は、いつも賑やかな後輩達がいないせいか夜でもないのに妙に薄暗く感じる。隅に蜘蛛の巣でも張ってそうな雰囲気だ。今更ノックどうこうで文句を言う仲ではないので、無遠慮に室内へ足を踏み入れた。
 私を呼んだ張本人は、苦手な筈の朝であるにも関わらず、珍しく棺桶という名の寝床から出てカーテンの隙間から窓の外を見下ろしていた。そこから僅かに差し込む光が、彼のウェーブがかった黒い髪の毛の、日焼けを知らない白い肌の輪郭を顕にしていた。くくく、と低い笑い声だけが聞こえる。

『な、なんでそんなに楽しそうなの』

 こわ……と腕を摩りながら僅かに距離をとると、相変わらず失礼なやつじゃ、と独特な口調で不満を言われた。いやいや窓の外を眺めながらニヤついてる人見たら誰だって怖いでしょ。てか相変わらずは余計だ。

『で、何の用? あんたがこんな時間から連絡よこすなんて珍しい』
「革命が、始まるやもしれん」
『ねえ話聞いてる?』

 話しながらも視線は外を向き続けている。これ絶対話聞いてない。革命って何のこと。
 大きく溜息を吐くと、漸く彼はその赤く鋭い瞳に私をとらえた。以前と比べて随分と丸くなったが、たまに見せる捕食者のような、虎視眈々とした視線には未だにどこか緊張してしまう。思わず押し黙ると、正面の奇人、朔間零はより一層笑みを深めた。

「琴音や、お主の力を貸しておくれ」

 だからまず革命って何のことだよ。



 ――結局あれは何の話だったんだろう。
 彼は人を意味も無く呼び出すような男ではない。と思っている。
 この学園に何かが起きようとしている暗示か。或いは、もう起きているか。
 上半身は伏せたまま顔だけを上げると、まだ私を見ていたらしい羽風くんが口を開いた。

「琴音ちゃんさ、もしかして忘れてる?」
『何を』
「あんなに可愛い笑顔で楽しみにしてたでしょ」

 可愛いかどうかはさて置き、私が笑顔で楽しみにしてた? 確かにここ数日噂で聞いて疑いつつも心待ちにしていたことはあったけれど……ってまさか、それのこと?

『うっそ今日!?』
「思い出した? 朔間さんが言ってたし、それに学院も忙しない。嘘じゃないと思うよ」

 羽風くんが金のウルフヘアを揺らして頷いた。
 カチリ、カチリと今日の異常が組み合わさっていく。
 誰が流したのか、数日前からある噂が学院に広まっていた。その内容は、「プロデュース科が新設され、来年度からアイドル科も共学化になる」というもの。これ自体は間違っていないだろうと思っていた。事実私がここに転校したのも共学化の一環だったのだから。疑っていたのはその先だ。
「それにあわせ、プロデュース科に女子の転校生が来る」
 うーん、私と同じであれば充分に有りうることではあるが、性別がどちらかは半々だ。しかし圧倒的女子不足な私の心はそれも本当であれと切に願っていた。
 そして!

『ここに羽風くんがいるってことは本当に女子!』
「あっ、信じる基準そこなんだね」
 
 上半身も起こしてガッツポーズをつくる私を、もう慣れました、といった生温い目で見る羽風くん。ごめん、凄く失礼なのは分かってるけれどそのへんの評価がつまりそういうことだってことです。
 そんなことより、女子だ。待ちに待った女子。アイドルとして仕事をしていると「うわ女子こわ」と思うことは沢山あるが、こうも男だらけだと逆に恋しくなるものだと重々思い知った。
 緩んでいる口角を引き締めることも出来ず、私の頭はまだ見ぬ転校生ちゃんで一杯になる。どんな娘なんだろう。仲良くなれるだろうか。早速昼休憩に会いに行ってみよう。
 突然ユートピアへと旅立っていた頭が押さえつけるように鷲掴みされた。油断していたため視線が完全に下を向く。

『うわっ!?』
「ちょっと何笑ってんの? 気持ち悪いんだけど」
「泉くん、おはよう」

 そのまま無遠慮に荒く撫でられる。犬か私は。折角セットしたのに朝っぱらから何してくれてんだ。手が動く度、やめ、おい、ああと言葉にならない呻きが口からもれる。
 その手の主はどうやら泉らしい。うん知ってた。こんな風に撫でてくるの泉ぐらいだもんね。怒るよ。
 わなわな震える私を無視して泉と羽風くんは会話を始めた。

「ほら、2年に女の子の転校生が来るでしょ?」
「……ああ、成程。新設されたプロデュース科って聞いたけど、ど素人でしょ? そいつがプロデューサーとして機能するかどうか以前に、怖気づいて逃げなきゃいいけどねぇ」
『まーた泉はそういうこと言う』
「五月蝿いよ事実でしょ。ま、いようがいまいが俺には関係ないけど」
『そういうこと言う!!』

 だから五月蝿いってばこの
 力を入れて首を振ると、思ったより簡単に泉の手は離れる。

「はいはい、よかったねぇ」

 泉は微かに微笑んで私の頭を撫でた。先程とは打って変わって優しい手つきで。
 急にイケメン発動してくるこういうところは実に心臓に悪い。



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