『ここがオベロン社社長の実家かぁ! 流石お金持ちだね』
「ノア、貴女がどうしてもと言うから無理を言って連れてきたのよ。もう少し静かになさい」
『はーい』

 姉、マリアン・フュステルに叱られながらも、私はその興奮を隠し切れなかった。
 見上げると首が痛くなる程高い天井。その中心からは、細部にまで細かい装飾のついたシャンデリアが垂れている。エントランスの大きな窓から見える整った緑の庭では、色鮮やかな薔薇が花を咲かせている。何処で大の字になっても、手足の先までしっかりと伸ばせそうな広さだ。
 私達の故郷は、ここ、セインガルド王国の首都ダリルシェイドと比べるのが馬鹿らしいくらい田舎だ。こんな大豪邸なんて見たことさえなかった。当然中に入ったのなんて生まれて初めての為、どうしてもテンションが上がってしまう。凄い以外の言葉がない。うん、語彙力。
 でも何だかんだ自分だって内心ドキドキしてるくせに。子供なんだから、と頬を膨らませる隣の姉に心の中で独りごちて、忙しなく動く視線はそのままに口を閉じた。
 そんな私達を見ていた執事のレンブラントさんが微笑んだ。屋敷を案内してくれている彼は、老夫を思わせるふさふさに蓄えられた白い眉毛を優しげに下げて言った。

「元気なお嬢さんですね」
「す、すみません」 
「いえいえ、素直なのは良いことです」

 ほら、別に静かにしないといけないことないじゃん。ここに社長本人がいるわけでもないんだし。
 そのどこか慈愛に満ちた声色に、つい笑顔になる。レンブラントさんも少し笑うと、皺のある大きな手で私の頭を撫でた。あやすような手付きに、自分がまだまだ子供であると急に実感してしまう。
 事実八歳の私は自他どちらから見ても子供に違いないが、これからこの貴族様の家で過ごす以上はそれも変えていかなくてはならないと何となくだが感じていた。
(あ)
 ぐるりと視線を動かしていると、二階に立つ一人の少年が目に入った。艶やかな黒髪を持った少年は、こちらを見ることなくただ一心に大きな肖像画を見つめている。少年と同じように、黒く、艶のある髪をおろした白皙の美女が描かれたその肖像画は、真白い額縁に飾られていた。余程大切にされているのであろう、それにはカーテンが付いており、女性を覆うガラスには曇り一つなかった。
 その絵を見て僅かに違和感を感じたが、何故かまでは分からない。
 私が止まったことに気付いたレンブラントさんも、おや、と歩みを止めた。

「マリアン嬢、ノア嬢。あちらが当家嫡男のエミリオ坊ちゃんです。屋敷にあまりお戻りにならないヒューゴ様の代わりに、坊ちゃんが使用人を取り仕切っておられます」

 レンブラントさんは少年に頭を垂れて、「お二方、ご挨拶を」と小さく私達に告げる。
 それを聞いたお姉ちゃんはこくりと頷き、一歩前に出た。

「初めまして。本日からこちらでお世話になります、マリアン・フュステルと申します。よろしくお願いします!」

 その声でやっと私達に気付いたらしい少年、エミリオがこちらを向く。
 右目にかかるように流れる藍がかった艶やかな黒髪、輝くアメジストの瞳、透き通るような白い肌。肖像画の女性にそっくりな顔立ちがそこにはあった。
 エミリオの双眸が微笑む姉を捉えると、途端に驚きに満ちた表情へと変わった。もしや人見知りをする質なのだろうか。うわ知らない人がいる、みたいな。んー、でもそんなことではここではやっていけないんじゃ? 一応跡取りとか言うのだろうし。
 けどそんなのどうでもいいか、と切り捨てて、私も挨拶しようと口を開いた。しかしそれより先に、エミリオは何も言わずに奥の部屋の方へと歩き出してしまった。

『……何あの子。私に見向きもしなかったんだけど』
「ほっほっ、どうか気を悪くせんでくだされ。ご気分が優れなかったのでしょう」
『そう、ですか』

 別に気にはしていない。私達貧民に興味を抱く貴族など滅多にいない、ということは誰だって知っているから。だから今回も同じ。その程度のことだ。
 話を聞くと、あの肖像画の女性はエミリオのお母様らしい。既に亡くなってしまったそうだが、明朗で美しく、とても優しい方だったとレンブラントさんは語る。少年は肖像画を甚く気に入っていて、毎日のように、気分が悪いときは特に眺めているそうだ。
 亡くなったのがエミリオが生まれてすぐのことで、彼は会ったことも話したこともない母親に憧憬を抱いているのかもしれなかった。
 ──ああ、分かったぞ違和感の正体が。絵と姉の顔を交互に見る。見れば見るほど、成程そこはかとなく似ているのだ。だからエミリオも驚いたのだろう。
 それに気付くことなく歩き出す二人を追いながら、私は一度振り返った。奥に消えたかと思っていたエミリオはまだいたらしく、振り向いた拍子に二つのアメジストと搗ち合う。でもそれも一瞬で、すぐに逸らされてしまった。
 もしや今、私を見ていた?

「ノアー? 置いていくわよ」
『あっ、待って!』

 次に振り返った時には、今度こそ美少年は姿を消していた。
 どんな性格なんだろう。どんな声で喋るんだろう。そんな興味は湧いたが、何だか仲良くなれそうにないと、私は心のどこかで感じていた。


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