風で髪が靡いている。それはふわりなどという可愛らしいものではなく、ぶわり、いやビュービューと言った方が正しい程の強風。藍色のマントがこれでもかと言うほどたなびき、靡いている髪も床と水平になっている気さえする。おでこも全開だ。
 空を飛ぶ飛行竜の甲板から広がる青空はとても綺麗で、任務中ではあるがこの景色を彼と見れたら、なんて思ってしまう。きっとどうでもいいとあしらわれるが、理由があれ断固として行かないと言い切った彼は損をしていると思う。
 でも、ティータイムがお姉ちゃんと二人きりになって喜んでるかな。ゆっくりとした時間を過ごしてくれていたらいいのだけれど。
 自分の目が届かないからか、離れたら離れたで妙に気になってしまうものだ。幸せであれと思いながらもその実いいなと羨んでしまうだなんて、駄目だなあ、もう。
 思わず溜め息を漏らす。さあ、気を引き締めないと。この任務だけは絶対に失敗出来ないのだから。もし失敗などしたら、私の客員剣士生命が危うい。
 雑念を取り払おうと暫く風に吹かれてみる。それが無駄な足掻きだと分かっていても。こんな時でも私の頭を占める年下の少年が、少し恨めしい。
 そのままボーッと流れていく青を眺めていたら、ふと、この甲板が騒がしくなっていることに気付いた。
 全く、何よこんなときに。ここには私と乗組員しかいない筈なのに、まさか身内で喧嘩でもしているのだろうか。勘弁してくれ。
 少し呆れて騒ぎの発生源へと足を運ぶと、見覚えの無い金髪の青年が数人の乗組員に取り囲まれていた。端の手摺に追い込まれて、それ以上行くともしかしたら青年が落ちてしまうかもしれない。彼が誰かは知らないけれど、ここから落ちたら確実に死ぬのは皆分かっている。チラッと見た感じ下は真っ白の雪だったけれど、うん、死ぬでしょ。私の管轄でそんな寝覚めの悪いことさせて堪るかっての。
 早足で彼等に近付くと、青年が私に気付いたらしく目線をこちらに向けた。それに伴い、船員の顔も全て私の方を向く。

「ノア様!」 
『その人、密航者ですか? 気の毒だけれど、見付けたからには放ってはおけないよ』

 勿論お前に拒否権は無い。
 言外に告げると、青年からは冷や汗がたらりと垂れる。何かを言う乗組員達にここは私が見るから持ち場に戻れと指示を出すと、渋々ではあるが解散していった。皆自分の仕事が何かをきっちりと自覚しているようだが、緊張感を持つにしてもこれはピリピリしすぎだ。
 取り敢えず命の危機が去ったことを知った青年は、盛大に大息を吐いた。そして顔を上げ、真っ直ぐに私を見る。彼の金髪が陽光を反射させてきらきらと輝く。ううん、眩しい。
 じっと見つめ合っていると、青年は怯えるでも睨むでもなくただ一言、助けてくれてありがとう、と言った。この状況でお礼? 思わぬ言葉についついきょとんとしてしまったが、すぐに笑みがこぼれた。突然笑った私に今度は彼が首を傾げる。

『さてと、密航者さん。名前を訊いても?』
「ああ。俺はスタン・エルロンって言うんだ」
『スタン、ね。私はノア・フュステル。よろしく』

 そう言って手を差し出すと、迷わず握手をされた。清々しい程に純粋なその行動に、リオンはこうはいかなかったな、と初めて話した日を思い出す。最初は余りの不仲さにお姉ちゃんを冷や冷やさせたっけ。……ううん、今はそのことは置いておこう。まずはスタンをどうするか考えないと。
 何かないかと甲板を見渡すと、壁に立掛けられたモップが目に入った。掃除しようと出したのだろうがされた形跡はない。瞬時にこれだ、と思い、その一本を手に取る。そしてそのままスタンに差し出した。笑顔付きで。

『じゃあスタン、密航の罰としてここの掃除よろしくね。落ちたりサボったりしないよう私が見張っておくから』

 ゲ、という顔をされたが当然である。運が悪かったと思って、むしろこれだけで済んで運が良かったと思ってほしい。
 そこは分かっているらしいスタンは、肩を落としながらもモップを受け取り大人しく甲板の掃除を始めた。
 スタンを見張るために私は邪魔にならない所に座る。モップがよく似合ってる。なんて言ったら失礼だから口には出さないが……やはり似合っている。
 一生懸命手を動かすその様子を眺めていたら、ふと、何故飛行竜に密航などしたのか疑問が浮かんだ。本来なら真っ先に訊くべきことなのだろうが、この青年は(密航の時点で罪には値するけれど)何かを盗むとか、誰かを殺すとか、そんな悪質な罪を犯すような人間ではないと、そんな気がした。

『ただ移動するだけなら船だってあった。にも関わらず、飛行竜に乗ったのは何故?』
「そ、それは、単純にお金が無くて……俺、フィッツガルドのリーネから来たんだ」
『リーネ!? またどうして』

 訪れたことはないが、長閑で人の温かみを感じられる田舎の村だと聞いたことがある。施設や大型の店は無いが、忙しないダリルシェイドよりよっぽど過ごしやすいに違いない。
 訊ねると、スタンは嬉しそうに目を細め、続きを話した。

「じっちゃんが昔セインガルドの兵士でさ、その時の話をよく聞かされてたんだ。だから俺も兵士に憧れてて、兵士になりたくて」
『へえ、それでセインガルドに行くこの飛行竜に乗り込んだってわけね』

 凄い実行力だ。見付かったらこうなることくらい、場合によれば牢屋にぶち込まれてしまうかもしれないことくらい分かっていただろうに。現に死にかけてたし。それでも来たかったのか、想定していなかったのか。余程の決意であるが――恐らくスタンの場合後者だろう。
 でもこういうぽっと出の人って、予期せぬ縁が出来て意外と本当になっちゃったりするんだよね。大丈夫、なんて無責任なことを簡単に言わせられそうだ。
 さっきの殺伐とした空気は何処へやら。甲板は一気に和やかな雰囲気へと変わった。
 しかしそれも一瞬で、息を切らせた乗組員が甲板へと転がり出てきた。表情は険しく一目で何かあったのだと見て取れた。

「た、大変です!」
『! どうしたんですか』
「前方にモンスターの大群が現れ、あと僅かで接触します!」
「なんだって!?」

 こうした特殊な任務に何かがつきものなのは今に始まったことではない。ただここは上空。自力で飛べない私達人間に逃げ場は無い。このまま戦闘になれば、こちらが圧倒的に不利になるのは明らかだった。
 幸い脱出ポッドの数はある。私とスタンが乗る一つを除いても、どうにか全員を逃がすことが出来そうだ。

『例のものは私に任せて皆さんは逃げてください』
「しかしっ」
『大群とまで来たら、全員を守りきれる自信はありません。貴方達の命を預かるものとして、ここで死なせるわけにはいかない』

 しっかりと見つめて言うと乗組員は渋々ながら頷き中に戻って行った。非戦闘員の彼等の生命は私が握っているも同然。今この瞬間も、誰かを待っている人がいる。ならば私はその責任を果たさなければならない。
 その背を見届け、私はいつでも戦えるように身構える。彼はあと僅かと言っていた。飛行竜の速度を考えると、多分五分以内には激突すると考えた方がいい。
 スタンを見ると、この緊迫した状況に真っ青になっていた。彼はセインガルドの兵士になるためにここにいた。ならば我流であれ多少なりとも戦える筈だ。ただ問題なのは武器。持っていたとしても、多分私が来る前に没収されてしまっている。モップじゃ戦えないし、こんな呑気に掃除なんてさせてる場合じゃない。

『スタン、倉庫の奥に安置されてる武器がある。見れば分かると思うから急いで取ってきて』
「え、でも」
『緊急事態よ、臨機応変に対応する! こんな所で夢半ばで死ぬのは嫌でしょ』

 スタンは一瞬戸惑うも、死ぬの単語を聞くと表情が一変した。そして力強く頷いて走り出した。そう、それでいい。戦力確保も目的だが、何よりあれは死守しなくてはならない。誰の目にも触れないところで放置されるより、誰かの手にあった方がこの場合余程安全だ。
 そうこうしてる間に、モンスターは目前まで迫っていた。百どころか二百は優に超している。これは骨が折れそうだ。
 正面から来る嫌な風を一身に受け、紺のマントがはためく。降り立ったモンスター達が、私を中心に円を描いた。
 あれを守り抜くこと、そして、生き延びること。今はそれだけを考えて、全力で叩くまで。
 握った拳に力を込め床を蹴った。
 まずは飛んでるやつを撃ち落としますか。

『崩蹴脚!』

 ワイバーンを蹴り落とし、下にいるウルフにぶつける。着地した勢いで間合いを詰め、掌底破で更に吹き飛ばした。
 雑魚ばかりでも多勢に無勢。一対多で何処までやれるか。
 くそっ、この様子だと中にも侵入されているのは確実だ。乗組員達は無事に逃げただろうか。確認してる余裕はない。それにスタンが無事にここまで帰って来たとしても、次々現れるこの全てを倒しきることは限りなく不可能に近い。

『はっ!!』

 間をとってダガーを投げる。しかし殴っても蹴ってもキリが無い。確実に数は減っている筈なのに、変わっているようには見えないのだ。全く、精神的ダメージを与えるには充分過ぎる。
 大体、モンスターがこんなに大量に群れを成すなんておかしい。しかも自分達より遥かに大きい飛行竜を相手に、だ。一体何が起きて――?
 そう余所見をしていたのがいけなかった。その刹那に飛び掛ってきたウルフに反応が遅れ、咄嗟に出した左腕に思い切り噛み付かれた。牙がズブリと刺さり、噛みちぎらんばかりの力で引っ張られる。

『このっ……!!』

 振り落とそうとしたとき、突然飛んできた衝撃波によって、ウルフは呆気なく飛んでいった。
 来た方向を向くと、大振りの剣をしっかり握ったスタンがいた。無傷とまではいかなかったようだが、良かった、無事だったんだ。

「ノア! 大丈夫か!?」
『今のはスタンが?』
「ああ、この喋る剣が力を貸してくれるって」

 喋る剣? まさか、ソーディアンが目覚めている?
 スタンがマスターとなって力を振るう必要などない。敵を切り裂く剣として、こちらが守るべき対象として今ここにあればいい。そう思っていたのに。
 誤算だった。まさか、スタンにソーディアンマスターの資質があっただなんて。
 二発目の魔神剣を放ちながら切り込んでいくその背中が、にわかに信じられないそれが事実であると物語っていた。
 実に、思わぬ縁だ。
 だがこの状況を打破するには持って来い。ソーディアンならば晶術が使える。
 戦いながら船内の様子を訊ねると、彼は苦い表情を浮かべた。そんな、どうして。逃げてって伝えたのに。全身から血の気が引いていく。
 ポッドがある方を見ると、殆どがモンスターに壊された状態で残っている。それは誰一人としてこの飛行竜から脱出していないことを示していた。そしてスタンの表情が、彼等の悲惨な状況を物語っていた。
(なんで)
 力任せにウルフを蹴り飛ばす。逃げるだけの時間はあった。なのに何故。
 奥歯を噛み締める。その瞬間、中へと続く出入口から出てきた人がドサリと甲板に倒れ込んだ。伝令を伝えた筈のあの乗組員だった。

「ノ、ノア、様、ご無事で」
『っ貴方、逃げてくださいと言いましたよね!? 何故……!?』
「易々と、自分達の誇りを捨てて、逃げれるわけがないでしょう」

 血にまみれ、息も絶え絶えに言う彼の瞳には確固とした意思があった。
 誇り。

そして機関室も既にやられているだろうから、直にこの飛行竜は墜落する。
 任務遂行の為に力を尽くしてくれた皆を置いていくのは忍びない。けれど、この剣をセインガルドに届けることが、彼等への弔いになれば。その為にも。

『ッスタン、向こうに脱出ポッドがある! 晶術を使って道を切り開いて!』
「分かった!」

 詠唱に時間がかかるのが多少ネックではあるが、威力は普通の術技よりも格段に上だ。その時間を私が稼げばいいだけの話。
 転泡でウルフ達を蹴散らし、清潤で近付くワイバーンを撃つ。動く度に傷がじくりと痛んだが、利き腕が使える状態なのは不幸中の幸いだった。……でも早く止血しないとまずいかもしれない。そろそろ表情を隠せそうにないぞ。
 また一体蹴り飛ばしたとき、背後から、よけろ!! とスタンが叫んだ。どうやら詠唱が終わったようだ。スタンはソーディアンを構えると、高らかに叫んだ。

「ファイアボール!!」

 コアクリスタルが輝き、何処からともなく現れた火の玉が勢い良く飛んでいく。その一線は敵の群れを一掃し、綺麗に道を作った。

『よし、走って!』

 私の声を合図に、ポッド目掛けて全力疾走する。辛くも道が塞がれる前に辿り着き、雪崩込むように乗り込んだ。元々複数が乗ることを想定して作られたものではない為窮屈ではあるが、命と比べたら何てことはない。
 なんて息を吐いたのも束の間で、ポッドが閉まる直前、モンスター達が攻撃を仕掛けているのが見えた。やばい。そう思った時には手遅れで、ズシンとポッドに強い衝撃が走った。押し出されるように飛行竜から発射されたが、そこかしこから嫌な音がする。
 あーあーもう何てことを!
 急いで操縦レバーを右に左に、前に後ろに動かす。反応無し。さっきので完全にいかれてしまったみたいだ。これはマジでやばい。冷や汗が一気に出る。

『スタン。見たらわかると思うけど、悪いお知らせがあるわ』
「嘘だろ!?」
『無事に着陸出来るよう祈っててえええええ!!』
「そんなっ、うわああああああ!!!」

 重量に従ってぐんぐん落下していくポッド。
 こんな所でむざむざと死んでたまるか。何処に落ちたら助かるんだろう。死という絶望的観測を回避するには、どうすればいい。
 落ち着け、焦るな。さっきまで飛んでいたのは丁度どの辺りだった? 思い出せ。思い出せ。ええと……そうだ、雪だ。確認したのはスタンが見つかったとき。あれからさほど時間は経っていない。恐らくここはまだファンダリア上空の筈。
 運が良ければ、降り積もった雪がクッションになってくれる。何かあればソーディアンの炎で溶かせば何とかなる。
 その瞬間、ドパーン!! と音が響き、ポッドの動きが緩やかになった。


 
 

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