甘い甘い香りの中に、あなたと溶けてしまえたらいいのに。




お砂糖の瓶の底







腕まくりをしたアランを横目で盗み見ながら、私は鍋の中のカスタードクリームを混ぜ続けた。

互いに伸ばした両手は忙殺される毎日に敢えなく引き離され、今日の久々の逢瀬は最後に会ってから2週間も経っていた。
レオの講義を終え、自室へ戻る途中、渡り廊下でばったり会ったのは本当に偶然のことだ。夜9時を過ぎ、お風呂に入ってベッドで横になりたいと疲れた顔で考えていたのに、アランの顔を見た瞬間、そんなことはどこかへ飛んでいってしまった。

キッチン集合な。頭にぽんと乗った大きくて温かい手に、私は両の足を地面に縫い付けるのにそれはそれは苦労したのだった。




「○○、焦がすなよ」
「うん、分かってるよ」

ともすれば自然に緩んでしまう口許を真一文字に結ぼうと、努めて真剣な顔を必死に作る。
そんな私のことなど露知らず、カシャカシャと音を立てながらアランは黙々とホイップクリームを泡立てていた。端正な顔立ちとは裏腹に、その腕は鍛えられて綺麗な筋肉が付いている。私だったら疲れてすぐに音を上げてしまうのにな。力あるんだなあ。普段剣を振るっているから泡立て器なんてどうってことないよね。やっぱりアランも男の人なんだなあ。


「…おい、何じろじろ見てんだよ」
「えっ…!あ、ううん、なんでも…」
知らずに凝視していたようで、アランは怪訝な目で私を見ていた。私は恥ずかしくて居心地が悪く、もごもごと口ごもりながら俯き鍋に目線を落とす。まるで私を笑うかのように温められたカスタードクリームがあぶくを作ってぱちんと弾けた。


「はー、疲れた。腕がだるい」
後ろでアランが伸びをしながら、くあ、とあくびを浮かべた。無防備なその姿に私はこっそり含み笑いをする。

「お疲れさま、ありがとう。こっちももうできたよ」
ふう、と息をつきながら火を止めると、ふいに後ろからふわりと抱きしめられた。

「わ…!アラン…」
「久しぶりだな、お前に触るの」
髪に顔を埋めながら、唇は首筋をなぞる。くすぐったい感覚に身をよじると、アランはさらに腕の力を強めた。
「こら、逃げるの禁止」
「だ、だって…」
「顔、よく見せろよ」
くるりと前を向かされ、視界全てが彼の藍色の服に埋め尽くされる。ゼロ距離が、アランの香りが、息をするのを忘れさせる。

言葉とは裏腹に頬に添えられた手は優しく温かい。ルビーのような赤い瞳には私の姿が映っていた。ああ、この瞳に映るのが私だけならいいのに。二人でお砂糖の瓶の底に落ちて、永遠に抱き合っていられたらいいのに。私たちの他には誰も辿り着けない底の底。酸素のない世界で溺れてしまえたらどんなに幸せだろう。
そんなおとぎ話のような空想の世界に漂っていた私の意識は、唇に触れる熱い指先で一気に現実に引き戻された。

「おい」
「え…?」
「そんな顔で見られたら我慢できなくなるだろ」

一体私はどんな顔で見ていたのだろう。そう確認する暇もなく、私の唇はアランのそれに塞がれてしまった。久しぶりに感じる柔らかい感触に目眩がしてしまいそうだった。すがるように彼の二の腕を掴むと、腰に回された手に一層力が込められたのを感じる。それが合図かのように、すかさず舌が滑り込み、口内を甘く蹂躙された。
「んっ…アラン…っ」

どれくらい経っただろう。どちらともなく名残惜しそうに顔を離すと、上気した彼の顔が目の前にあった。瞳は膜を張ったように潤んでいる。私もそんな顔をしているのだろうか。乱れた息を整えていると、アランは私の額に触れるだけのキスを落とし、再び優しく抱き締めてくれた。

「…アラン、ずっと会いたかった」
思いが溢れて素直にそう告げると、アランは一瞬驚いた表情をしつつもすぐに照れたような笑みを浮かべた。普段はぶっきらぼうで意地悪な笑い方をすることが多いくせに、こういうときだけ優しく笑うのは本当にずるい。悲しくもないのに泣きそうになってしまう。愛しくて愛しくて仕方がない。

「どこにいてもお前の姿を探してた」
そう言うと、大きな手が頭を撫でてくれた。まるで子供をあやすようなそのしぐさがくすぐったくて、けれどとても心地よくて私はうっとりと目を閉じた。

「そうだ」
「なあに?」
「まだ味見、してもらってなかったな」
そう言うと傍らのボウルを引き寄せ、指でホイップクリームを掬って私の前に差し出した。

「舐めて」
先程とは打って変わっていたずらな子供のような笑みを浮かべながら、ほら、と指を私の口許に近付けた。
「ちょっ…恥ずかしいよ…!」
酷く狼狽する私の姿を楽しむかのように、アランは腰に回した手を撫でるように動かした。

「きゃ!」
「久しぶりに会ったんだから、2週間分の埋め合わせ、してくれんだろ?」
「もう…」

私が断れないことを知っていて無理難題を押し付けてくるのも本当に本当にずるい。けれど熱に浮かされた私はアランをもっと近くに感じたくて、蝶が花に惹き寄せられるように目の前の指に顔を近付けた。頬の熱さを感じながらも、私は意を決してクリームをぺろりと舐めた。

「…これでいい?」
「まだ付いてる。綺麗に舐めて」
口角を上げながら容赦なく攻め立てる様に、私の心臓は煩いほど早鐘を打つ。
「アランのばか…」
やはり羞恥の方が遥かに上回ってしまい、私は泣きそうになりながらも従順に残りのクリームを舐め取った。それを見て満足げに「できんじゃねーか」と言うと、アランは私の体を事も無げにひょいと抱き上げ器用にキッチンの灯りを消した。


「ア、アラン!?」
「静かにしろって。他の奴らが起きてきたらどうすんだよ」
「どこに行くの?」
「俺の部屋に決まってんだろ」
「じゃ、じゃあシュークリームは!?」
「んなもん明日。もちろん片付けも明日」

有無を言わさずつかつかと歩くアランの足取りは驚くほど軽い。ばたばたと暴れてみてもびくともしない。
「暴れんなよ。落ちるぞ、プリンセス」
「だって…!」
「今は○○を食べたい」

艶を帯びた視線に射抜かれ、私は何も言えなくなってしまう。甘い匂いを漂わせたキッチンにこっそり別れを告げて私は遂におとなしく観念した。

アランの腕の中で上から降ってくるキスの雨にそっと目を閉じ、応えるように首に腕を回す。
二人分の微熱を夜風がそっとさらっていった。シュークリームは明日の朝のお楽しみだ。




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