まるで暮れたばかりの藍色の空みたいだと思った。どこまでも深い色をたたえて、曇りのない瞳。けれどその双眸は憂いを帯びて揺れている。

晩餐会の開かれる伯爵邸へと向かう長閑な田舎道を行く豪奢な馬車は、○○と俺を乗せて時おり小石を跳ね上げながら淡々と進んでいた。窓の外は抜けるような青空だと言うのに、広大な葡萄畑と農夫たちをぼんやりと見つめる○○の表情はさながら曇り空だ。

こいつは城を後にしてから一言も口を開いていなかった。





羊の血で洗え





顔を壁に預けてもたれている○○の首筋は透けるように白く、青い血管がとくとくと脈打っていた。馬車の揺れに合わせて、耳に輝く大きなダイヤモンドが光を反射しながらちかちかと煌めく。その様に知らず喉を鳴らしていたことに気付き、俺は悟られまいと目線を自分の足元に落とした。


「気が重いのか」
「…うん」

重い沈黙を打ち破るように一言発してみたが、○○は目線を動かすこともせず短い返事を小さな声で寄越した。こんなときジルなら気の効いたフォローをしてやれるのだろうが、生憎奴はここ数日体調の思わしくない国王陛下の付き添いで不在。俺はこいつの視線一つ動かすこともできずに気を揉んでいるという何とも情けない体たらくだ。


ついこの間まで城下で平凡に、しかし幸せに暮らしていたお前が、今どれ程の重圧に耐えているかは想像に難くない。いや、本当は耐えきれずに身も心も押し潰されかけているのかもしれない。けれど気丈なこいつはいつも自分のためではなく周りの人間のために頑張ろうとする。芯があると城内では評価する人間も多い中、俺はこいつにある種の脆さのようなものを感じていた。

確かに心から支えてくれる人間は城にたくさんいる。しかし今日のように矢面に立つ時、○○は圧倒的な孤独の中にいるのが手に取るように分かるのだ。不安と緊張と心細さがない交ぜになった瞳を俺は何度も見ていた。その度に俺の心はどうしようもなくざわついた。なだらかな海面が波で模様を描くように、それは日に日に自分の心を大きく占めていったのだった。




この突き当たりの道を右に曲がればまもなく屋敷に着く。○○もそれを知って、気持ちを切り替えるように細く短く息を吐いた。

「アラン、今日はよろしくね」
薄く微笑みを浮かべた○○はそのまま淡く日向に溶けてしまいそうだった。ストールを纏った細い肩に窓から柔らかな光が差している。

「○○」
口からついて出たその名前。二人きりのこの空間に、まるで白い紙にインクが滲むようにじわりと響いた。

「お前の不安と孤独を全部俺に預けろ」
「え…?」

驚きで揺れる瞳を俺は真っ直ぐ見据えた。立場とか役割とか、そんなものはどうでも良かった。ただ目の前の女をただ一人の男として放っておくことができなかった。

「俺ができる限りフォローしてやるから。頑張れって言ってんじゃねえ。頑張りすぎずに肩の力を抜けって言ってんだ」
「アラン…」

気持ちのままに発した言葉が果たして正解だったのか誤りだったのか、この静まり返った空間では分からなかった。しかし、俯ききゅっと手を握りしめた○○の姿を見て、まずったか、と心の中で舌打ちをした。首を突っ込みすぎた。後悔が猛烈な勢いで心を侵食していく。俺は何をやってんだ。


「ありがとう、アラン」
目の前の瞳には光が差していた。

「怖かったの。揚げ足を取られて笑われるのが。焼き付け刃の知識や所作なんてすぐに暴かれてしまうんじゃないかって。でも…アランを信じる」
○○は背筋を伸ばし、傍らのバッグを手にすると身支度を整えた。俺は自分の言葉がプラスに働いたことに内心安堵しつつ、○○の気持ちの切り替えに密かに称賛を送った。


「行けるか?」
「うん、行ける」
その瞳には先程までの虚ろな色はなく、小さな、しかし確かな光が宿っていた。


馬車の扉を開け、先に降りて手を伸べる。
「心配すんな」
「頑張りすぎずに、だよね」
馬車の中の人物とは別人のような凛とした微笑みをたたえ、○○は俺の手を取った。屋敷の使用人に案内され、○○は一人で歩き出す。その背中は一国を背負うにはあまりに小さかったが、不思議と頼りなさは感じなかった。

前だけを見ろ、○○。倒れそうになったら俺に体を預ければいい。荊の道の案内なら俺がしてやるから決してこの手を離すな。




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