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その日のことは、偶然だった。

沢山の店やビルが立ち並ぶ雑多な電気街。
家電量販店で買い物を終えた爆豪は人ごみに紛れて歩いていた。
元来さわがしい所が苦手な彼はこういった場所を避ける傾向にあるが、気の強い母親におつかいを命じられ、強制的に街へ行かされる羽目になったのだ。短気な性格も相俟ってどうしても苛立ちを抑えられない。
歩きながら石ころを蹴飛ばし、舌を鳴らす。蹴飛ばした小さな石は地面を跳ねながらあらぬ方向へと進み、とあるビルの出入り口の前で止まった。
何となく石ころから視線をあげてビルを仰ぎ見るとまず大きな垂れ幕が目に入り、ド派手な配色の文字がチカチカと視界を照らした。目が痛むような感じがして眉間に皺を寄せる。
垂れ幕には『毎週土曜日ライブ開催!RIOT劇場B1F』と書かれていた。よくあるアイドルのライブ会場が地下にあるのだろう。そのビルの中には所謂オタク向けの店が入っているようだった。出入りする人間たちは見るからにアイドル好き、といった風貌の者が多い。
嫌いな類の集合体だ。ウルサイしキモイ。
爆豪は嫌悪感を隠しもせずビルから視線を外した。ただでさえ苛々しているというのに不快なものを見てしまいますます気分が下がる。一刻も早く家に帰りたくなり、止まっていた足を一歩踏み出した。その時。

「……っく……ぅ……ッ、ふ………っ」

小さく小さく、精一杯声を抑えたような嗚咽が鼓膜を揺らした。
街の喧騒で消えてしまいそうなそれに気付く者などいないだろう。そう思うほどか細いが確実に泣き声は近くに存在する。五感が鋭い爆豪は、喧騒を嫌う彼だけはその声を拾い上げることが出来た。
ざわざわと耳障りなこの街に似合わないそれがやたらと心に引っかかる。一度気になってしまえばその衝動はおさまらず、方向を変え、爆豪は声の方へと歩き出した。
ビルとビルの間にある、じめじめとしていて陰鬱な狭い路地は、街から切り取られたように静かな異空間だ。あっちよりマシだな、と胸中で呟く。喧しい街よりずっと居心地が良い。
奥に人影が見えた。

「っ、誰……?」

泣き声の正体が顔をあげ、こちらを見る。
瞬間、爆豪は一気に脳が覚醒したような、ハッとさせられるような感覚に支配された。急激に渇いた喉に言葉が張り付いて出て来ない。
声の主は同い年くらいの少年だった。
思わず爆豪が閉口してしまうほど彼はとても綺麗な顔立ちをしている。
涙のせいでキラキラと輝くつぶらな瞳。程よく健康的な色をした頬は泣いたせいで紅潮し、涙でしっとりと濡れた髪が色気を感じさせた。

じっと見つめる爆豪の視線に気づいたのか、泣き腫らした目を隠すように慌てて顔を俯かせた少年は、突然現れた爆豪に驚き戸惑っている様子だ。
それもそうだろう。誰だって泣いている姿は見られたくないものだ。それが男なら尚更。
何か言わなければ。
そんな使命感のようなものに突き動かされ、爆豪は彼が泣いていた事にまるで気付いていないかのように何食わぬ顔で口を開いた。

―――後になって思えば、この時なぜこんな事を言ったのか、なんて至極簡単な問いかけだった。
だが今の爆豪には分からない。自分が何を思ってそうしたのかも、するりと滑り落ちた言葉の意味も、まったく、これっぽっちも理解できなかった。否、理解することを拒否したと言うべきか。なんにせよ、自分で自分にここまで驚いたのは後にも先にもこの時だけだろう。

「あんたのファンだ」

気付けば、勝手に唇が言葉を紡いでいた。
少年は爆豪の台詞に虚をつかれたように目を見張り、そして破顔した。まるで向日葵が咲いたようだ、とらしくない事を思った。眩しさに瞳を細める。

少年は黄色を基調にした衣装を身にまとっていた。派手な装飾が施されたジャケットと短パン。男ならまず履かないであろうブーツがやけに似合っていて違和感はないが、どう見ても普通の恰好ではない。先ほど見た垂れ幕を思い出してすぐに彼がアイドルだという事が分かった。今日は土曜日だ。何より少年の綺麗で可愛らしい顔立ちが《特別な存在》であると訴える。

爆豪は思いもよらぬ自分の発言に内心で驚き、今すぐ否定しろと叫んだが、少年の反応を見てそんな気は失せてしまった。
どうやら言葉の選択は正しかったようだ。少年の涙はすっかり止まり、先ほどまでの様子が嘘のように明るい表情でこちらに近づいて来た。

「そうだったんだ!ごめんね、びっくりしちゃって。ライブ観に来てくれたの?」
「……まあ」

何となく少年の話し方や空気が変わった事に気が付いて違和感を覚える。にこにこと愛想よく笑う彼に嘘は無さそうだが何かが違う、ずれている。そう思ったが口には出さず、少年の言葉に短く相槌を打った。
初めて会う人間に対して何を考えてんだか。
爆豪はらしくない自分の思考を鼻で笑った。

「えへへ、嬉しいなあ〜〜!ますますやる気でちゃうよ、ありがとう!ぼく頑張るね!」

ぐっと両手で力拳を作る彼に適当に頷いて返した。愛想の無い自覚はあるが、彼に気にする様子は一切ない。
あ、そうだ!と何かを閃いたあとポケットを漁る少年。黒いペンと黄色いバンドを取り出すと、慣れた手つきでバンドにペンを走らせた。

「はいっ、出会えた記念にぼくからのプレゼント!受け取ってくれるかな……?」
「天真、典真」
「?うん」

バンドには少年のサインが書かれていた。可愛らしい見た目とは裏腹に角ばった男らしい文字からフルネームを知る。名前の周りに散りばめられた泡のイラストが何となく似合っていると感じた。

「それぼくの応援バンドなんだ〜、暗いとこで光るんだよぉ。ちょーべんりでしょ!」

アイドルグッズなんて普段の爆豪ならばキレて突き返すかその辺にぶん投げるだろう。
しかしそれをしなかったのは気まぐれか、にっと白い歯を見せて笑う顔に見惚れたからか。
爆豪はその質問に当然前者と答えるだろうが心の片隅には確かに揺らぎがあった。バンドをパーカーのポケットに仕舞い込む。

「ふふ!受け取ってくれた!」
「……これからライブなんじゃねえのか」
「はっ……!やっべ!」

少年、もとい天真が焦りながら腕時計で時間を確認する。少し荒くなった口調に彼の素を見た気がした。

「ごめん、ぼくもう行かなきゃ!ありがとね、バンド、良かったら付けてね!」

そう言ったあと、すぐ傍にあるビルのドアを開ける天真。職員の出入り口なのだろう、ドアには《STAFF ONLY》と書かれている。
そのまま行ってしまうかと思ったが天真は爆豪の方へと振り向き、ひら、と軽く右手を振りながら「またあとでね」とはにかんだ。無意識のうちに頷く。この後の予定が変更された瞬間だった。

「チッ、意味わかんね」

爆豪がライブに行かなくても観客は他にも沢山いるのだろうから全く問題はない。行ったところで人ごみの中から彼が自分を見つけ出す可能性はとても低いのだ。しかし足は自然とビルの正面口へ向かっている。あの笑顔がステージ上でどんな風に輝くのか知りたくなった。
毛嫌いしているオタクの集団に紛れ、アイドルのライブを観ようとしている自分が信じられない。

(……ただの暇つぶしだ。一瞬観たらすぐ帰ってやる)

胸中で呟いた台詞は言い訳か否か。