「瀬呂……お願い……」

放課後、苗字が俺の腕を両手で掴みながら懇願してきた。八の字になった眉と上目遣いがえげつない。そういうつもりはないと分かっていても期待しちまう。
ドキドキと高鳴る心臓を隠すのには慣れているから、俺はすぐに呆れた表情を作って苗字の手を振りほどいた。

「どーせあれだろ、勉強教えて〜ついでにヤマはって〜、だろ」
「仰る通りで……お願いします瀬呂様、ジュース奢るから!」

苗字がこうして俺に教えを乞うのはもはや恒例行事となっている。テスト前になると慌てて俺に頼ってくるコイツは学習能力がないバカだ。毎日コツコツやってりゃ困らなくて済むものを。
なんて、呆れたふりをしながら本当は喜んでいる俺も救いようのないバカだった。
ジュースなんてどうでもいい。テスト勉強という名の放課後デートが出来るし、苗字が頼る相手が自分だけっていう優越感もあって俺は一度も断った事がなかった。
今回も例に漏れず頷くと、苗字は嬉しそうに「ありがとう」と笑った。

「部活は?」
「テスト前だから休み! 図書室でやろーぜ」

サッカー部に入っている苗字は放課後になるといつも忙しそうにしているのだが、テスト前の期間だけは違う。だから皆にとっては憂鬱なテストが俺は嫌いじゃない。


図書室はそれなりに席が埋まっていたが勉強のために利用する真面目な生徒しか居ないからとても静かだった。
適当な席を選んで椅子を引く。隣の席に苗字が腰掛けた。図書室の机はやたらとでかいから向かい合って座ると少し教えにくく、いつも隣に座って勉強している。この時だけは図書室が大好きになるから俺ってやつはまったく単純である。

「今回も数学を中心にお願いしマス」
「うむ。図形だな」
「よくわかっていらっしゃる……」

苗字の得意不得意はとっくに把握している。数学の教科書を広げ、苦手そうな範囲にマーカーを引いた。

「ここの問題やっとけば間違いねえと思うけど。シマ先生のテスト単純だろ、ぜってー教科書の問題出すし」
「うう〜すでにやりたくなさマックス! でも頑張る」
「ハイハイえらいえらい」

ぽんぽん、とちゃっかり軽く頭を叩いたが特に気にすることなく勉強を始める苗字。当然っちゃ当然だが俺の地味なアピールを少しも意識してくれない。俺はこれだけで胸いっぱいだってのに。
仕方なく俺もノートと参考書を開いて古文の勉強を始めた。テスト勉強はとっくに済ませてるから受験対策だ。雄英の入試は並じゃない。勉強はあまり好きじゃないが夢のためなら努力できた。

そうしてしばらく無言で集中していると、隣からシャツの腕の部分をくいくい、と控えめに引っ張られた。反射的に顔をあげて隣を見た俺の顎を、茶色がかった黒髪が撫でる。色素の薄い苗字の前髪だと分かったのはアーモンドの形をした瞳と目があった時だった。

「ここ、わかんねーんだけ、ど……」

身長差のせいで自然と上目遣いになった苗字の瞳が大きく見開かれていて零れ落ちそうだと思った。
額に俺の唇がくっ付く。苗字が「あっ」と大きな声をあげた。

「……!!」

声をあげたあと、はっとして辺りを見回した苗字は周囲の厳しい視線を受けて申し訳なさそうに縮こまる。俺はすぐに正気を取り戻して、ばか、と言いながら苗字にデコピンした。

「声でかすぎ」
「う……だ、だって」

やめろよ、と声に出そうになって口を噤んだ。
俺から気まずそうに視線をそらすのも赤く染まった顔を隠すように自分の前髪を撫でつけるのも。
まるで、意識してるみてえじゃねーか。



△▼△▼△▼△▼



スマホが震える音で目が覚めた。
随分懐かしい夢をみていた気がする。いや、そんなに昔の出来事ではないが今となっては絶対に起こり得ない、アイツとの思い出。
どんだけ未練がましいんだよ。ちょっと写真を見たくらいで、こんな。
雄英に入学して以来ずっとバタバタしていたおかげで想いに蓋をする事が出来ていたのに、先日教室で苗字の笑顔を見てからというもの、またあの時の感情が顔を出し始めていた。ことあるごとに中学時代を思い出しては、胸に広がる苦さを噛み締めている。
無意識に眉間に皺を寄せながらスマホを見ると懐かしい名前が表示されていた。ラインのグループへの招待のようだ。特に拒否する理由もないから承認すると、すぐに中学時代のクラスメイトから《久々に集まろーぜ!》というメッセージが送られてきた。グループ名の横に書かれた数字を見て結構な人数に声をかけている事を知る。
ぎくりとして、グループ名の部分に触れた。
ずらりと並んだアイコンの中にはやはりアイツのものもある。中学時代から変えていないらしい、見慣れた、でも少し懐かしい画像。

苗字も来るのだろうか。

会いたくない。けれど本音を言えば会いたかった。
話せなくてもいいから顔が見たい。いや、話せたらそりゃうれしーけど、でもなぁ。高校デビューとかして髪染めてたらどうしよう。ウケる。
――――アイツのことだから、変わんねーんだろうなあ。

するすると指が動いて、勝手に文字を入力していく。

《久しぶりに会いてーな》

本当は誰に宛てたものかなんて俺にしか分かんねえだろうけど。