※とある方からリクエストしていただいた轟×だめだよ主。切島×主前提で浮気?してます。ご注意ください。





きっかけなんてあって無いようなものだ。

轟がそれを見たのは、偶然だった。
置き忘れた筆箱を取りに教室へ戻ると、もう誰もいないと思っていたのに中から話し声が聞こえた。
ひっそりと誰にも気付かれないように話す声音と雰囲気に違和感を覚え、ドアを開けようとした手を止める。

(……? 切島と……苗字?)

姿を見なくても声だけで2人の級友の顔が浮かび、違和感が濃いものとなっていく。
苗字は静かに話すタイプだが、切島は声が大きくどこに居ても目立つ。彼らは仲が良いと知っているから一緒に居ることに疑問は湧かない。いつもは賑やかに話すのに、密やかに、隠れるように何やら言葉を交わしている様子が不思議だった。
なんとなく入りにくくて躊躇してしまうが筆箱は無いと困る。
轟は出来るだけ音を立てないようにしながら、ほんの少しドアを開いた。

「………っ」

驚きのあまり声が漏れそうになり慌てて息を飲み込む。
窓際にいる切島の背中にまわった、白い腕。ときどき聞こえる2人分の息遣いが熱くてやけに頭に響いた。風になびくカーテンが2人を一瞬だけ覆い隠し、そして、さらけ出す。
苗字の濡れた瞳と視線が交わった瞬間、カッと身体中が熱くなった。

「ぁ、」

思わず吐き出した息は呻き声のようでもあった。
苗字は目を見開いたあと困ったように眉を下げ、照れ笑いを轟に向けた。
くるくると変わる表情が色っぽくて無意識に唾をのむ。
人指し指を押し付けた唇が音を乗せずに囁いた。

「ひ み つ」

次の瞬間、地面に縫い付けられたかのように固まっていた足が急に動き、気付けばその場から逃げ出していた。

必死に走って辿り着いた踊り場で力なくしゃがみ込む。
ひんやりとした固い壁が背中にあたると徐々に落ち着いてきて、先ほどの光景がより鮮明に思い出された。
ゆっくりと勿体ぶるように動く唇。細められた瞳、上気した頬。切島の背を撫でる、手。
そのどれもが轟を揺さぶり、叩くように暴れる心臓が血液を循環させてどんどん体温を上昇させていく。

(かわい、かった)

ついさっきまでクラスメイトのうちの1人としか認識していなかったはずなのに、自分の知らない彼の《本当》を切島だけが知っているのだとしたら。そう思うとすごく切なくなって胸が締め付けられる。
しばらくここから動けそうになかった。



△▼△▼△▼△▼



(……お、笑った)

あの日みた光景をどんなに繰り返し思い出しても苗字との関係が変わるはずはなく、轟は以前と変わらず忙しい毎日を送っている。
変わった事と言えば轟が苗字を見る回数が増えたことくらいだろうか。おかげで切島と苗字が思っていたよりも多く行動を共にしていると知った。お互いの部屋を行き来しているとか、風呂に入るタイミングが同じだとか、そんな些細なことに気付いては少しだけ胸が痛くなる。
でもこの関係を変えたいとは思わなかった。
切島のおかげで幸せそうに微笑む苗字を見る度に「まあいいか」と現状に納得できた。苗字の隣には切島がいることが自然で、きっと良いことなのだと。
あの光景は苗字の言う通り《ひみつ》にして誰にも言わず仕舞っておこう。
そう、決めていたのに。

「轟、となり行っていい?」

湯に片足を入れながら苗字が窺うように尋ねてきた。
遅い時間だからか、大浴場には轟と苗字以外誰もいない。
初めは1人でのんびりと湯船に浸かっていたのにまさかこうなるとは思わなかった。轟は戸惑い、言われるがまま頷くことしかできない。
切島と一緒じゃないのか、とか、どうしてこんな時間に、とか。
聞きたいことは色々あるのに近くにある白い肌のせいでうまく声が出なかった。
しばらく無言が続いたが、気まずく思ったのか苗字が明るい調子で話し始めた。

「今日は遅いんだね」
「あ、ああ。トレーニングしてたら遅くなっちまった」
「そっか。俺は宿題に時間かかっちゃってさぁ、もう眠たいや」
「ん……寝るなよ」
「ふふ、寝ないよ」

苗字が笑ったことでお湯が揺れ、ちゃぷ、と音をたてる。
その際、少し距離が縮まった気がして轟は不自然に身をずらした。

「どうして逃げるの?」
「逃げてるつもりはねぇ」
「でもいま離れた」
「……お前は、何でそんなちけぇんだ」
「轟の声、ちゃんと聞きたいなぁと思って」

まるで挑発しているようだ。轟のなかにもやもやとした感情が広がる。
まさかこの前の事を忘れたわけではないだろう。切島と特別な関係にあるくせにこんな風に紛らわしい態度をとるのは良くないと思う。
それとも、わざとからかってこちらの反応を楽しんでいるのか。
――――切島には、頬を染めて恥じらうくせに。
轟は醜い感情に突き動かされるまま苗字との距離を一気に詰めた。

「とど……っ、」

視界いっぱいに苗字の驚きに染まった瞳が広がって少しだけ気が晴れる。
触れた唇が柔らかくてもっとしていたくなったが、すぐにやめた。肌が触れない一定の距離を保つことでこれ以上を求めないようにして、苗字から顔をそらす。

「……こういう事されたくなかったら離れとけ」

しかし苗字はその忠告を無視し再び轟に近づいた。
ちゃぷちゃぷと湯が跳ねる音がしたあと、轟の膝のあたりに苗字の手が優しく触れる。

「ひみつって言ったら、怒る?」
「…………怒れねぇ」

轟が困ったように眉を下げながら素直にそう告げると、苗字は心底おかしそうに笑った。

「く、ふふっ、あは、変なの」
「変なのはお前だろ」
「そうかな……そうだね。だって俺、今すごくドキドキしてる」

だめだよね、と言った声が少し揺れていたから、轟は我慢するのをやめた。
今更《ひみつ》が1つ増えるくらいどうってことないだろう。
目の前にいる苗字を喜ばせてあげて、安心させてあげられたら、それでいい。
刹那的だろうとなんだろうと今の轟にはそれが全てだ。

「苗字、キスしたら怒るか」
「…………怒れない」

吸い付くように奪った唇が震えた。