18歳のなかにいる



三年なんていうものはあっという間だなんて月並みなことを思いながら、松下第三高校卒業式、と書かれた白い看板を通り過ぎ、見慣れた敷地に足を踏み入れる。

催事は嫌いじゃないが祝いの雰囲気に乗じて下らないことをする輩には虫唾が走る。例えばずっと好きでした、などと顔を真っ赤にさせて空き教室で告白をする女子。わりぃ、お前をそういう風に見たことはねぇ、と答える切長の目をした黒髪の男子は、たまに屋上に吸いに行ったときに顔を合わせたことがあったか。

イベント事に託けてでしか伝えられない想いなど高が知れている。そんなことを言えば、互いの欲を解消できるのならと寄ってくる女と名のない関係ばかりもっていた俺は、ヤリチンのくせになどとあの馬鹿に罵られるのだろうが。

何回目かも分からないくらい歩いた、朝日の差し込む三年の廊下に入ると、多くの生徒が立ち話していた。卒業のこの日に浮き足立っているのが分かる。特に女子の着飾りっぷりが目につく。水商売の女にもなれなさそうな巻き髪や盛り髪に、校則を無視した濃い化粧。教師に注意されようものなら、高校生活最後の日なのだからというテンプレート的免罪符を使うのだろう。

まあそんな風にはしゃぐのも若い証拠か、などとやけに達観している自分に気づく。こういう年寄りじみた考え方をするようになってしまったのは全て今の剣道の監督のせいだ。中学の時は監督とも親とも馬が合わず、お前にさせる稽古も部活に出す金もないと言われ退部したが、名将がいると聞きこの高校に入り彼と出会った。最初は掴みどころのない男だと思ったが、彼の掲げる武士道にやけに惹かれた。家のことを伝えると、入部手続きはしなくていいから好きな時に稽古に来いと言われたため、学校での書類上と親の認識では俺は部活には入っていないことになっている。何故か高校まで同じになってしまった、奨学金で暮らしている銀時や、親のいないヅラからも碌に金をとらずに剣道をさせているのだから大したお人好しである。

そんなことを考えていたら自然に足が剣道場に向かっていた。擦り切れたフローリングと独特の防具臭が広がる中には、たった今考えていた人がいた。竹刀の手入れをする大きな背中が、振り向きもせず声を発する。

「晋助ですか。お世話になった先生に卒業の挨拶に来るなんて相変わらず可愛いですね」
「勝手に気配読むのやめねェか、気味悪ィ」
「わざわざ気配を消して近づいてくる晋助ほどじゃありませんよ」

漸くこちらを見た女顔と目が合う。三年前ぐっと見上げなければいけなかった程だった背丈の差もだいぶ縮んだ。俺の胸ポケットについた白い造花を見て微笑む。

「…嬉しいものですね。三年前やさぐれた子狼のようだった貴方が、ちゃんと卒業できるまでになったなんて」
「アンタにあんだけ扱かれりゃあ誰だってちったぁまともにならァ」
「心外ですね。これでも優しくしたつもりなのですが」
「どこがだ。毎日毎日死ぬほど素振りさせやがって」
「おや、部員じゃないくせに毎日毎日通ってきていたのは誰ですか」
「…」
「それに貴方程才能のある子を放っておく訳にはいきませんよ。…愛情かけて育ててあげたのに、剣道をやめてしまうなんて拾う狼を間違えましたが」

卒業後は武道とは全く関係のない企業に就職することが決まっていた。時代の流れを汲み今までやってきたこととは別の道を歩むと決意できたのも誰でもないこの人のおかげだ。

「…アンタが俺たちに教えたのは剣術だけじゃねぇだろ」
「伝わっていたようで嬉しいです」

「晋助。…立派になんかならなくていいから、優しい大人になってくださいね」

自分が余計なことを言う前に背を向けた。背中に投げられた卒業おめでとう、という言葉が、開いた道場の窓から吹く春風に乗って消えた。



式が終わり教室に戻ると銀時と名字が窓際で寄り添うように話していた。名字といると気持ち悪いほど締まりの悪い顔になる奴と、奴といると驚くほど柔らかな表情になる名字が想い合っていることには二人が同じクラスになってからかなり早い段階で気づいた。くっつくまでとても時間がかかったが熱しにくかった分冷めにくいようで、卒業のこの日も相変わらず暑苦しい雰囲気を垂れ流している。

「高杉くん」

二人から目を逸らそうとしたところで、俺に気づいた名字が隣に座ってきた。化粧はしているようだがかなり薄めで、髪型も少し解した三つ編みという彼女らしい装いだ。銀時が窓際から般若のような形相で睨んできているが無視を決め込む。

「朝のホームルームいなかったでしょう。また煙草吸いに行ってた?」
「今日はまだ吸ってねェ」
「本当?」

チェックします、と言うと、俺の腕をとりブレザーの匂いを嗅いできた。突然の接触と、近づいてきた形のいい頭からするほのかな石鹸の香りに一瞬体が硬直する。名字は元々はこんな風に自然に男に関わることができる女ではなかった。少なくとも銀時と出会う前までは。

「…本当だったみたい」
「言っただろ。こういう日くらいヤニの匂いさせてねェよ」
「へえ、意外とこういう日とか気にするんだね」

意外とってなんだ、と言うとふふ、と目を細めた。柔らかな毛束に自然と手が伸びる。

「名字も意識してんじゃねェのか、卒業。髪型、いつもと違う」
「あ、分かる?ふわふわでしょ。友達にやってもらったの」
「…上手くできてんな」

きめ細かい髪の感触を右手に確かめていると、いつの間にか現れた銀髪にガシっと腕を掴まれた。

「オイ、触んじゃねぇチビ。離れろ名前、短小が感染るぞ」
「誰が短小だ早漏が」
「早漏じゃねーつってんだろ!!チビは否定しねーのかよ!!」
「チビと短小って別のことなの?」
「名字、こっちに来い。そういうことは気にしなくていい」

名字は言われるままヅラの方に歩いていき、二人で卒業アルバムに向かって何か書き始めた。銀時くんと高杉くんがずっと言ってるソーローも分からないんだ、という彼女をヅラが上手く躱してくれることを願いながら目の前の天然パーマの絞め技に反撃する。

...

大泣きの担任による最後のホームルームを終え、押し寄せてきた剣道部の後輩達に手紙を貰ったところまでは良かったのだが、見知らぬ女子達に写真をせがまれたりブレザーのボタンやネクタイ、シャツのボタンまで取られたりして疲労困憊した。ブリーチ髪の下級生らしき女にベルトを奪われそうになったときはさすがに抵抗した。

長い一日が終わり、やっとニコチンを摂取できると屋上に足を向ける。三年間ついぞ施錠されることのなかった鉄の扉を開けると、昼下がりの穏やかな風に前髪が揺れた。

フェンスに寄りかかり昇降口から出てくる卒業生達を見やる。友人とじゃれ合いながら正門の方へ歩いていく名字が目に入った。何もないところでつんのめっていて、思わずライターを持つ手に力が篭った。

彼女が、自分の顔や剣道の成績に寄ってくる香水の強い女達と何か違うかもしれないと思ったのはいつのことだったかだろうか。

分からねェ。分かりたくもねェ。ライターを持ち直し火を近づける。



「伝えるだけなら罪にはならんと思うが」



俺の周りは自分も含め気配を消すのが趣味の輩ばかりで腹が立つ。睨みを効かせ横を向くと、俺と同じくブレザーのボタンが減り珍しくシャツも肌蹴たヅラが校庭を見下ろしていた。

「…何の話だ」
「しらばくれっても無駄だぞ。ずっと貴様らの近くにいれば嫌でも分かる」
「…」

ようやく右手の煙草を吸い込み、ゆっくりと煙を吐き出す。

「てめェと違ってお下がりには興味ねェよ。どうしたそのナリは、例の教師に襲われでもしたか」
「ごっ、後藤先生とは何もないと言っているだろう!ただ俺が卒業するのが寂しいと言うから世間話に付き合ってやっただけで…」

世間話もとい音楽教師との逢瀬の弁明を耳に流しながら、今朝の空き教室での告白の光景を思い出す。ずっと好きでした、か。


やはり、祭りごとに乗じてでしか伝えられない想いなど高が知れている。誰よりも先に見つけておきながら一歩も踏み出せず、挙げ句の果てにこの世で一番腹の立つ男に譲れてしまう程度の想いと同じくらい、高が知れている。


吐いた煙が春の空にいつまでも溶け切らなかった。
優しい大人のなり方など、しばらく分かりそうもない。


2021.07.01 Twitter掲載
2021.07.06 加筆修正