晴れの火曜日



夢と現実の間、プールの底から空を見上げたときのようなふよふよとした景色の中に漂っている。優しく地上に引っ張りあげられるような感覚とともに、瞼がゆっくりと持ち上がった。

アラームもかけていなかったのに目が覚めてしまった。カーテンの隙間から差し込む朝日の色が白みきっているところを見ると、既に八時くらいにはなっているのかもしれない。

首を右に動かす。銀さんが大きな身体を胎児のように丸めてすーすーと寝息を立てている。そうだ、昨日は私の部屋に泊まっていったのだった、とぼんやりとした頭で少しずつ記憶を手繰り寄せる。肌の上を移動する彼のあたたかくて乾いた手の感触に体を捩らせた深夜一時。銀さんはひたすらに優しく私に触れる。けど、後半はいつもよりかなり強い刺激を感じたような。寝る前の記憶がおぼろげだが、帯が緩く結んである自分の浴衣を見て、後処理諸々全てやってくれたのだと分かった。申し訳なく思うと同時に、脳内で少しずつ鮮明になっていく昨夜の湿った情景に顔が熱くなる。

朝から何考えてるんだ私、起きよう。目を覚ましたらまた覆い被さってきそうな銀さんを横目にそろりと立ち上がる。部屋の角にある細長い鏡の前に立つ。肌の調子がすこぶる良い。彼と交わった翌日は所謂透明感のようなものが少し増すのは最近気づいた嬉しい変化だ。恋愛ってすごい。身も心も正真正銘「女」されているのをひしひしと感じる。

軽く身支度を済ませ台所に入る。保温モードの炊飯器を開け肺いっぱいにでんぷんの匂いを吸い込めば、ぎゅう、と音を立てて胃が活動し出す。前掛けを手に取る。

グリルの中の鰯を確認しもう数分置こうと決めたところで、銀さんを起こすため再び寝室に向かう。彼はシーツに四肢をめいっぱい放り投げ気持ちよさそうに寝ていた。ゆったり寝るのが好きなので奮発してセミダブルを買ったのあの時は、こんなに大きい人と一緒に使うことになるなんて想像もしていなかった。

「銀さん、おはよ」
「……名前、からが動いたせいだよな?そーだよな!?」
「なに?銀さん」
「う゛ん……」

割とはっきりとした声でよく分からない寝言を溢す彼をかわいいな、と思いながら、銀さん、起きてー、と何回か声をかける。

「……もーちょっと」
「朝ごはんできたよ」
「……おー……」
「銀さーん」
「……はァい……」

ようやく体を起こしても今だしぱしぱと瞬きを繰り返す銀さんの広い背中を押し、顔洗ってね、と洗面所に送り込む。しばらくして彼が台所に入ってきた。雪平鍋の中で味噌をといていると、後ろから腰に腕を回され、頸や耳裏にちゅ、ちゅ、と口付けられた。

「銀さん、くすぐったい」
「いー匂い」
「もうすぐできるよ。食べれる?」

白さが増した朝日の差し込む居間に座り、二人で朝食に箸をつける。銀さんはまだ少しぼんやりしながらも、うまい、うまい、と言って食べてくれた。

「朝から豪華だなァ。あんがとよ」
「どういたしまして。銀さん、からってなに?」
「なに、から?」
「うん、さっき銀さんが言ってたよ、『名前、からが動いたよな!?』って。結構はっきり」
「まじでか。全然覚えてねえ」

面白すぎる。思わず声を出して笑うと、銀さんも変な寝言だな、と小さく笑みを溢した。



名前の作る料理はなんていうか繊細な味がする。比較的薄味のそれは良い意味で癖がなく、気がつくと結構な量を食べてしまう。そして食材が何かに漬けてあることが多い。雪の多い名前の故郷は保存がきく食糧として定着した漬け物の文化が根強いらしく、何かと漬けて食べるのだと以前言っていた。今日用意してくれたのは小さく切られた大根で、多分砂糖とかで漬けてあった。実家からいつも大量に送られてくるという漬け物たちの中から、自分のために比較的甘いものを選んでくれたのかもしれない。

いちご牛乳は中々家に置いてくれないが、名前はいつも甘めに味付けされたものを何も言わずに出す。飾らない性格で飾らない笑顔がかわいい彼女は、人を気遣うのにそれを人に見せようとしない。だからこそ自分に向けられた見えにくい愛情にはしっかり気づいてやりたい。味噌汁に口をつけちょっと薄すぎたかな、と呟く彼女を見ながらそう思った。

昨夜は置いてけぼりをくらった。名前が早々に意識を飛ばして、そのまま眠りこけたから。体を拭いてやり、軽く服を着せ布団をかけ、横に寝そべった。名前にあげられた熱が引くのを待ちながら、焦茶の髪を撫でた。こりゃ朝お仕置きだな、なんて考えながら眠りについたのに、起こしてくれた名前は既に支度と朝飯の準備を終えていた。めちゃくちゃにしてやろうと意気込んでいたのに爽やかな笑顔に毒気を抜かれた。手のひらで転がされてんなー、と思う。終始ムラムラしつつも、美味い朝飯をかわいい彼女と食べることから始まったこの日を、柄にもなく幸せだな、なんて思った。



2021.8.21 Twitter掲載
2021.9.07 加筆修正