勝ち逃げの美学



「休戦した思うたらアイツらはまぁた遊郭か。この土佐生まれのソフィスティケート坂本辰馬を見習って、暇やったらちっとは名前のお手伝いせないかんがやき」
「まあ、適当なこと言って。あの三人にそういう遊び教えたの、辰馬さんでしょ」
「うお、バレた?」

坂本が至近距離で間抜けな顔をするので名前は噴き出しそうになった。仰々しい二つ名は置いておいて、攘夷浪士たちの身の回りの世話をしている彼女を、戦や仕事のない日、彼がよく手伝っているのは事実である。ヘラヘラと笑いながら、そして名前のことも笑わせながら。今回のねぐらである廃寺の庭で、西日に暖かく照らされながら、二人は冷たい水の張った桶に手を突っ込んで男衆の襦袢やら褌やらをバシャバシャと洗う。横の男のふわふわの髪の毛先を滴っているのが水なのか汗なのか分からないな、と名前は思った。

「バレます。あの人たちがそんな大層なこと思いつくわけないもの。豪遊してる暇も金子の余裕も無いんじゃないかと思いますがね」
「だあって、アイツら色んな意味で殺気立っとっるんじゃもん!童貞達に息抜きの仕方ば教えただけぜよ!」
「そんなに必要なことなんですか?わたしには分かりません」
「名前、女子一人でワシらと生活しとるおまんの身を守るためでもあるんじゃ。分かっちょくれ」
「どういうことですか?」
「男のそれとは違って、女子の貞操はげに大事やっちゅー話ぜよ」

・・・

汚れを落とした大量の衣服を竿に干し、ざっくりと皺伸ばしし終える頃には暮色が迫り、あたりは薄暗さに包まれていた。

帰ったか金時ぃ、の大音声に名前が振り向くと、前回洗濯してから何日経ったかも分からない薄汚れた着流しに身を包んだ銀時が戻っていた。

「今日こそあの子の座敷に上がれたがか?」
「ばっ...余計なこと言うんじゃねぇ!」

にやにやと口角をあげてがしりと銀時の肩に腕を回した坂本。銀時は目に見えて狼狽えた。

「名前!違うから!俺はアイツらに無理やり連れて行かれただけだから!」
「へえ」
「今日は本当に何もしてない!信じて!!」
「別にどうでもいいです。それ、洗いますよね。早く脱いでください」

まさに先日遊女に艶やかな声で言われたそれとは似ても似つかないくらい冷徹で色のない「脱いで」。ついでに自分の性事情を「どうでもいい」とさえ言われてしまえば、ただでさえ連日の戦で疲労していた心と体が完膚無きまでにズタボロにやられてしまい、銀時は涙目になるしかなかった。

・・・

雑魚寝部屋の隅で、名前は布団を被り眠る振りをしながらしていた縫い物の手を止め、起き上がる。ぼろの障子を通して月明かりの差し込む広めの和室には、ぐうぐう寝息を立てる男たちが十数人。名前の隣には銀時ががすやすやと寝ていて、彼女側に向けた大きな背中が上下に規則正しく動いている。彼は大人数で寝る時はいつも名前の横に陣取る。お前なんかにも万が一男共が盛るかもしれねェから親切に壁になってやってんだろ、ということであった。その言い方さえ名前にとっては癪であったが、なんやかんや守ろうとしてくれているのは彼女には伝わっていた。夕方は何故か落ち込んだような顔をしていたのだが、変わらず優しさを見せてくれるところが嫌いじゃない、と名前は思った。

明るいうちには行えない湯浴みをしようと、名前は足元に準備していた替えの服を持ち立ち上がった。すると、少し遠くで床柱に寄りかかり座ったままの姿勢で寝ていた高杉が、ぱちりと目を覚ました。

「…川に行くのか」
「はい。起こしちゃってごめんなさい。…あ、今日は急いでするので、お構いなく」
「早いか遅いかの問題じゃねェだろ。俺も行く」
「え…」

いつも言葉数の少ない彼だが、俺も行くという言葉が一緒に水浴びをするという意味ではなく、危ないから見張ってやるという意味だと名前がすぐに理解できるくらいには二人は仲が良かった。蛍と鈴虫の鳴き声を山奥に感じながら、近くの川へと歩く。道中は無言だが彼とだと苦ではなかった。ありがとうございます、に対して小さく頷くだけの彼を、名前はカワイイな、と思った。

名前は、自分に背を向けて木にもたれかかる高杉に感謝しながら宣言通りちゃっちゃと汚れを流して、帰路についた。

廃寺の鳥居をくぐると、本堂のきざはしに桂が仁王立ちしていた。二人に気づくと顔をしかめてズンズンと近づいてくる。

「こんな夜更けに二人でどこへ行っていたのだ」
「ごめんなさい。川で湯浴みしてきたんです。晋助さんは見張りについてきてくれました」
「はあ…。尿意で目が覚めたら二人がいないから心配したのだぞ。高杉、こういう時は誰かに一言言って行け」

返事はせず、ぷいとそっぽを向いた高杉に、桂ははあ、とまた一つため息をついた。

「名字がせめて器量良しでなかったらここまで案じないのだがな」
「まあ珍しい。明日は雪ですかね」
「言っておくが俺はお前のような小娘に興味はないぞ。ただお前に何かあったら奴らが殺気立って面倒なんだ。パンツは履いているか?」
「おい、俺を何だと思ってやがる」

ここまで黙っていた高杉が、青筋を立てて反撃を始めた。

やんややんやと喧嘩しつつも寝ている仲間を起こさないようにと声を顰める二人は優しいな、と名前は思った。多分辰馬さんや銀時さんだったら、大声で口論していただろうな、とも。


と、いうのが戦局が平和な時分においては大して珍しくもない、国家逆賊もとい攘夷軍の若者たちの半日である。ひとたび戦にでればなんの躊躇もなく幾百の天人たちの喉笛をかっさばいているというのに、女一人の貞操を守ろうとする様子は少し俯瞰すれば非常に滑稽であった。

否、躊躇まではいかずとも戦争の大義解釈に少し苦しんでいた男が一人いた。彼は戦場でも失われない生粋の優しさが仇となり、後に剣を握れない体になってしまった。そんな彼に、飯炊き女名前は初めて会った時から惚れていた。彼女の平坦な態度に、当時は誰も気づいていなかったが。なので彼らがあれだけ必死に守っていた彼女の貞操も、数年後、陽気な彼にサクッと貰われることなんて、知る由もない。


2023.01.29 加筆修正
2021.07.08