35億分の1のビーナス



男とは馬鹿である。夏の海に行けば水着の女をチラ見せずにはいられない。水に濡れた肌、見せつけるように揺れる膨らみ、何かが見えてしまいそうな際どいビキニライン。それらを全く視界にも入れずビーチで過ごせる男がこの世にどれだけいるだろうか。

無論そんな男などいない、というのが、坂田銀時の主張である。それは男にかわいい彼女がいようが愛する妻がいようが関係ない。出ている肌は見る、見えるパンツは見る。どれだけ馬鹿と言われようと、それが男というものであり不変の真理である、と。

「銀さん、海っていいですね…」
「オイオイ大漁だな…これが本当の入れ食い状態ってか…」

ハーフパンツに揃いのアロハシャツを着た万事屋の男衆は、今回は長谷川から回された仕事をしているわけではない。ただただこの茹だる暑さを楽しみに変えようと海水浴場を訪れ、飲み物を買いに行った名前を待つ間、砂浜の上、目の前を駆け回る裸に近い格好をした女たちに鼻の下を伸ばしているだけだった。双眼鏡こそ使っていないものの、不躾な視線を誤魔化すためのサングラスをかけて。

「オイ」
「あ?今俺はこの光景を目に焼き付けるのに忙しいんだ、話しかけんな」

日傘をさした神楽が銀時の横にやってきたが、彼は顔も上げずに返事をする。

「何鼻血出してるアルか。名前という彼女がいるのに最低アル」
「男はな、見れるおっぱいは見るんだよ。ガキにはわかるめーよ」
「はあ…。聞いたか名前、お前の男はこういう奴ネ」
「えっ、名前!?」

サングラスによって狭まった視界の外には名前もいた。柔らかい砂浜に足音が吸収されたのか、近づいて来ていたことさえ気づかなかった。

銀時は目を見張った。行きは麻のワンピースを着ていた名前が水着になっていたからである。ギャザーバンドゥのトップと、サイドに細いリボンのついたビキニボトム。露出は激しくないものの、シャーリング地がボディラインを拾っており、黒の小花柄が彼女の白い肌を引き立てている。しなやかな手足と引き締まった腰回りが白日にさらされていて、銀時、ついでに新八をときめかせるには十分すぎる出立ちだった。

かっ、かわいい…。銀時の喉がごくりと鳴った。だが見惚れている場合ではない。何故かと言うと先程の台詞をバッチリ聞かれているからだ。

「あの、名前ちゃん…」
「最低アルな。発情期の猿どもは置いて、早く行くネ」
「…ま、待て待て待て待て!!違うの!名前!神楽!オイ待て!!!」

名前は鼻血を垂らしたままの銀時と新八を一瞥し一瞬困ったような顔をしたが、神楽に引っ張られて向こうへ言ってしまった。

・・・

銀時の愛する恋人はその後ずっと神楽と一緒にいる。強い日差しの中傘を手放せない神楽を気遣っているのだろう、海には入らず浜辺でボール遊びをしたり、たまたま来ていたお妙と九兵衛と合流し、九兵衛を砂に埋めたりして遊んでいる。銀時が懸念していたナンパは名前の周りを固める屈強な女たちのおかげか今のところ発生していない。

銀時は海の家の中、日差しから隠れて畳に寝転がり、背中を丸めていた。

「…なあ新八、ひどいと思わねえ?名前が今度泳ぎに行こーね、って言ったから楽しみにしてたのにさ、全然俺んとこ来てくんねえじゃん……干からびそうだぜ……」

ぐすん、と鼻を鳴らした。彼女に水着姿で離れたところをうろちょろされ、しかも自分は近寄れないというこの状況は銀時を大層弱らせた。

「楽しみって、アンタ泳げないでしょ。ていうか銀さんが悪いんじゃないですか、他の女の人の体見てデレデレするから」
「てめーも鼻血垂らしてただろうが童貞!!」
「童貞関係ねーだろォォォ!!」

・・・

半刻程した後、銀時がずっと視線を送っていた名前が、神楽たちが一瞬離れたことで一人になった。護衛バトンタッチも兼ねて謝りに行こうと近づく。

「おねーさん、一人?」
「!?……あ、銀さん」

彼女の横にしゃがみこみ、話しかける。いつしかのナンパ師と同じ話しかけ方に一瞬肩を揺らした名前だったが、銀時だと気づくとすぐにいつもの落ち着きを取り戻した。

「…一人です。彼氏が他の女の子のおっぱいに夢中なので」

う、と銀時が硬直する。

「……あの……スンマセンでした……」
「あーあ、新しい水着買ったから驚かせようと思ったのになあ」
「ご、ごめんって!!アレはアレだから、本能的なアレだから、あのねーちゃんたちとどうこうなろうとか全く思ってねーし…ほ、本気でかわいいと思うのは名前だけだから!!水着かわいい!!宇宙一かわいいです!!」
「わ、わかったから…。銀さん、声大きい!」

実際のところ名前は、銀時が本気で目移りなどしていないと知りつつ、新しい水着の披露に失敗したので少し拗ねてみただけだった。

年下にも関わらず余裕のある様子の彼女といつまで経っても心が少年のままの自分を比べ少し落ち込んだが、名前の機嫌が悪くないことに銀時は安心した。彼女をさっと横抱きにし、胡座をかいた足の上に乗せると、頭の上から爪先まで舐めるように見る。

「…」
「銀さん、見過ぎ…」
「まだちゃんと見てねえ」
「も、もう十分見たでしょ」
「いや、足りねえ。…あー、可愛い。あんまその格好でウロつくなよ、ハラハラすっから」
「どのお口が言ってるんですか」
「…」

名前が銀時の唇に人差し指で触れ、銀時は安直にドキリとした。触れ合っている腕や足や腰から直に肌の温度や柔らかさを感じ、胸が高鳴るのはだが彼だけではない。名前の上目遣いと、二人を包む甘い空気に背中を押され、顔を寄せる。唇が触れ合うまであと数ミリ、といったところで。

「あ!イチャイチャしてるネ!」

背後から快活な声が響いた。明らかな声の主に銀時は真っ赤になって振り向く。

「うるさい!!大人の時間を邪魔するんじゃありません!!」
「いつもは隠れて乳繰り合ってるのに珍しいアルな。発情期カ?」
「神聖な海でそんなこと言うんじゃありません!!誰だそんな汚い言葉教えたのは!!」
「銀ちゃんアル。あ、待てヨ!」
「誰だ銀ちゃんって!!」
「名前をお姫様だっこして私から逃げ回ってる男アル!ねえ、チューしようとしてたアルか?この後ホテルになだれ込むアルか?」
「うるさい、こっち来んな!!おい新八、このバカ娘どーにかしろォォォ!!!」

神楽のしつこい追及は恐らく銀時が名前桃を離さない限り続くだろうが、彼は頑なに名前を抱えたまま砂浜の上を走り続ける。

名指しされた新八は少し離れた場所でそんな三人を見ながら、ため息をついた。男って馬鹿だなあ、と。



2021.07.17 Twitter掲載
2021.07.20 加筆修正