君により思ひならひぬ世の中の



「やや、銀太郎。お前の拾った小鬼、暫く見ぬ内に随分と垢抜けたな。最早そこらの人間の女子より眉目良しではないか」

昼下がり、掘立小屋の上がり框に我が物顔で座り込み、無駄話に花を咲かせる男三人衆。彼らの話題の種は、先日家主が裏の森で伐採したカラマツの生木を、戸口まで小さな体でせっせと運ぶ少女である。医生のカラマツ、否、桂の言う通り、彼女はれっきとした鬼だ。しかし丹色の小袖に包まれた細身の体も、桂に褒められた見目も、人間の女そのものであり血筋らしいおどろおどろしさは皆無である。ちなみに口を開けば小さな二つの牙が顔を出すが、彼女はあまり喋りもしなければ笑いもしないため、なかなか人目に晒されることはなかった。
 
◇◇◇
 
約十七年前、応和三年皐月のこと。信濃国の戸隠山にて、紅葉伝説で名高い鬼の更科姫と、清和源氏の初代である源経基つねもととの間に小鬼が生まれ、名前と名付けられた。程なくして父親が死に、母親も平維茂これもちによって討伐された。

一人残された名前は半妖として平安の民に忌み嫌われ、食にありつけず山中で死にかけていた。

『オイオイ』

ある日、力試しに邪鬼退治をしようと信濃まで来ていた怪力わんぱく坊主、銀太郎が名前を見つけた。力の抜けた声が名前に降りかかる。

『また随分と痩せっぽちの鬼がいたもんだ』

名前は邪鬼ではなかったが、齢七、八にして母から譲り受けた立派な角が頭に生えていたため、彼に殺されるのではと震え上がった。しかし、銀太郎は痩せこけた彼女を抱きかかえると、彼の住処のある駿河国に連れて帰った。

銀太郎は名前に自分の分のアワの粥や菜葉の漬け物を食べさせたり、仲間が持ってきた川魚を全部くれてやったりした。そのお陰で、名前は次第にふっくらして血色が良くなっていった。また銀太郎は、彼女が山隠れ生活で知り得なかった箸の持ち方だとか、彼すら危うい読み書きだとか、女なのだからちゃんとした服を着ないといけないとか、そういうことも名前に教えた。

名前はどこに行くにも銀太郎の後を着いて回るようになった。銀太郎は口が悪く何においても適当で、おまけに年中素寒貧のしがない農民であったが、親の記憶がほとんどない名前にとって、初めて出会う心優しい人間だった。

そして数年前、彼女たっての希望で頭の角を切り落とし、名前は一層人間らしくなっていった。
 
◇◇◇
 
時を戻す。桂の言葉に、長身の男がアッハッハ、と肩を揺すって笑った。

「金太郎も先見の明があったっちゅーこっちゃ。ま、ワシは最初からこりゃ別嬪になる思っちょったけんどぉ」

彼は振り売りをしている坂本で、家主である銀太郎のことは頑なに金太郎と呼んでいる。

この男三人衆は、銀太郎が物の怪の一種である名前とたった二人で暮らしていても、村の人々のように好奇の視線を向けたり、住み着いている白い野良犬に石を投げつけたりしない。物好きな男よ、と呆れながらもこうして偶に訪ねてきては、二人が中々食べられない川魚や白米を寄越したりして何かと世話を焼くのだ。しかし、名前が女らしく成長するにつれ二人の微妙な関係を揶揄ってくるようになり、銀太郎にとってはいろんな意味で気に障るといったものだった。

「ど、どこがだよ。ただのクソガキだろ、鬼だけに!! …大体人んちの女、変な目で見てんじゃねーよ」
「人んちの女ねェ…。ただのクソ餓鬼に随分と入れ込んでるみてえだなァ」

特にこの三人目、武官である高杉という男が銀太郎にとって厄介だった。何かにつけていちゃもんをつけてくるのに、人見知りの激しい名前がそれなりに懐いているため気に食わないのである。

「うるせぇ!! 男か女かっつったら女だって意味で、俺らについてないもんがついてて、ついてるもんがついてないっていうただそ」
「銀さん」
「ふぁい!?」 

家に名前が来てから銀太郎がちゃんと着るようになった平民用の直垂。その筒袖をブンブンとはためかせながら必死に高杉に言い返している彼の目の前に、いつの間にか名前が立っていた。朝ぼらけの頃から長時間働かされたため、色白の肌に赤みが差し、額には汗が滲んでいる。

「えっ、名前、おまっ、ど、どっから聞いてた!?」
「何も聞いてない。…木、運んだよ」
「……な、なら、割ってみろ。手斧、土間にあるから」
「うん」

絶対聞いてたよね、と肩を震わせる男たちに銀太郎は一発ずつ拳骨を入れた。その勢いで、烏帽子が銀色の蓬髪から滑り落ちたが、普段からあまり着用していないので気にも留めなかった。

「痛いぜよ!! 暴力反対!!」
「銀太郎、すぐ手が出るのをどうにかしろと言っただろう!」
「うるせぇ!! 変なこと聞かせるお前らが悪い!! 名前はお年頃なんだからやめてくれる!?」
「口滑らせたのはてめェだろうが」

庭の白い犬が四人を嘲笑うかのように、ワンッ! と吠えた。

「…ときに、いったい何故薪割りのような力仕事までやらせるのだ。どう見ても小鬼の体力が追いついていないだろう」
「ヅラ、そういうプレイなんじゃ」
「自分がおっ死んでも、手前で生きていけるようにってこったろ。たかだか外道丸にビビってやがる」
「ビビってねーし!! あんなの一瞬で仕留めてやるよ!! あと辰馬は黙ってろ!!」

銀太郎は友人達の自由奔放な会話に振り回されつつ、数年前の出来事を一人思い出した。
 
銀太郎が齢二十の頃、駿河のとある山間にて。元気に鹿狩りをする彼を見、へー、いいじゃん、と零したのは、清和源氏の三代目であった源頼光だった。彼は銀太郎にぜひ家来になってくれないかと声をかけたが、銀太郎は家にいる子を置いて都になど行けないと断った。無礼も甚だしかったが、頼光公はむべなるかな、と癇癪も起こさなかった。以後、悪さをする妖怪が出るたびに銀太郎が退治に駆けつけるようになった。家来でもない彼にこっそり褒美をくれる頼光公のことが嫌いじゃないからだ。
 
そんな人の良い頼光公に、先日銀太郎は丹波国の大妖怪、酒呑童子の退治を頼まれていた。その鬼は「外道丸」の幼名よろしく、若い女を誘拐し刀で切って生きたまま喰っているらしい。その強さ、恐ろしさは、今まで銀太郎が捕らえてきた三下の物の怪たちとは訳が違った。

しかし行かなければならない、と銀太郎は話を聞いた途端歯を食いしばった。奴の手が大事な名前に伸びる前に、自分が成敗しなければと思ったからだった。迷うことなく、頼みを受けた。

いつの時代も、自分の大切な人が平和に生きていける世にするために、男は外に出て戦う。例え自分が側にいれなくても、それが己に出来る唯一の愛情表現だと信じて疑わないのだ。
 
◇◇
 
「…んだよ、また無視ですかー」

その日二人は珍しく二度目の食事にありつけた。銀太郎の友人達が置いていった食糧のおかげであった。

「ネズミばっかでやんなるなー」とか、「ウチも猫とか飼う? んな金ねーかー」とか。銀太郎の独り言ともとれる微妙な話しかけに、名前は今日も黙りこくる。

「……オイ、無視されんの慣れたけどまあまあ傷つくんだからなー。ったく、女なんだからもっと愛想良くしろっつの」
「……何で女だと、愛想良くしないといけないの?」

珍しく返答した名前は顔をあげていなかった。

「…言ったろ。可愛くしてりゃ、その、…婿が貰えるかもしれないからって。お前だってもう良い年なんだぞー」

銀太郎は、手塩にかけて育てた名前にどこぞの馬の骨とも知れぬ男が通いをするかもしれないと考えるだけではらわたが煮えくりかえり、酒呑童子より先に殺してしまいたいといったところだったが、名前だけでもこのひもじい生活から抜け出すために、そして自分がいなくなった後の生活のために、婚姻をさせたいと思っていた。

「…」
「…」

このような会話は名前が遅い初潮を迎えてから幾度となく繰り返されてきたが、二人とも胸に抱えた何かを吐露しきることなく微妙な雰囲気になってしまいいつも終着点を見失う。だが、今回の沈黙を破ったのは名前だった。

「わたし、知らない人と結婚するのいやだ」
「…結婚してからお互いを知っていくんだろ。…いや、知らんけど!」
「銀さんだってしてないのに、何で私はしなきゃいけないの?」
「お、俺はいーんだよ…」
「…」
「…」

名前が高杉の持ち込んだ白米の粥の最後の一掬いを、ごくりと飲み下した。空になった茶碗を板の間に置き、地床炉ぢしょうろを挟んで正面の銀太郎を見上げる。

「わたし、銀さんのお嫁さんになりたい」

銀太郎は目を見開いた。名前と会話のキャッチボールができていることにも驚いていたが、これといって何かしたい、と言うこともほとんどなかった彼女が口にした衝撃的な願望。茶碗を持つ手に力が入る。

「…名前、」
「丹波国、行かないで。酒呑童子なんて怖い鬼、銀さんが殺されちゃう」

世を知らない名前が遠い国の大妖怪、酒呑童子の恐ろしさを語るのも、彼女が鬼の子だということを思えば鼻で笑うことはできない。本能で感じるものがあるのだろう、と銀太郎は察した。死ぬ気で退治しに行こうとしている心中がバレていそうことに歯痒さも感じながら。

「……勝手に殺してんじゃねーよ。ちっと時間はかかるかもだけど、帰ってくるから。俺がいない間はヅラ達も来るから、寂しくねーよ」

その日、眦に涙の線を残しながら眠る名前の頭を、銀太郎は一晩中撫でていた。
 
翌朝。名前の心情とは裏腹に、お天道様は空高くさんさんと輝いていた。それは銀太郎の旅出を祝うようでもあり、また名前にとっての彼そのもののようでもあった。

気をつけて、の言葉も喉につっかえ、満足に送り出せない名前。銀太郎が近寄り、彼女の小さな頭を撫でる。そのまま彼女を胸元に引き寄せ、昔角が生えていたあたりにそっと口づけた。

「いい子で待ってろ。帰ったら銀さんの嫁にしてやる」

俺がいない間に名前に男を近づけるな、もちろんお前らも絶対手出すなよ、と口煩く桂達に言い残し、銀太郎はまさかりを担いで都への道を駆けて行った。
 
歴史に残る伝説が作られたのはまさにこの時であった。銀太郎は山伏に姿を変えて、大江山にて三ヶ月かけて酒呑童子をたった一人で成敗した。だが戦いの最中に全身に負った深傷に加え、当時西の国で流行していた重い熱病に罹り、頼光らの必死の看病の甲斐なくこの世を去った。二十四才だった。

眉を下げた頼光公からたんと褒美を受け取っても、一人になってしまった鬼の子の顔は晴れなかった。自分が死んだら名前の婿になってくれ、と銀太郎に土下座されていた高杉にも、一切付け入る隙を与えないような喪失具合だった。

平安の人々は銀太郎を想い、剛勇という意味の「倶利伽羅」をもじって、甘い木の実が好きだった彼のために「栗柄」とし、神社の名前にして祀った。しかし坂本が祠に「心優しい武将『金太郎』の墓」と彫ってしまったために、銀太郎ではなく金太郎伝説として伝わってしまったのは、かの有名な日本昔話の裏話である。
 

○○○
 

「へえ、そういう話だったんだ。熊さん倒して終わり、の絵本しか見たことなかった。見て見て、金太郎がお侍さんに貰った名前! 銀さんにそっくりだよ」

南足柄市の名物、足柄金太郎祭り。大型ねぶたのパレードをしっかり知識をつけて楽しもうと、女は片手で器用にスマホを操作し、『日本昔話』と題されたウィキペディアを吟味している。

「もー、銀さんってば」
「…ん? わり、聞いてなかった。熊田曜子が何だって?」
「あっ、射的! 一等の景品、あきたこまちだって!」
「オイ、聞いてないのどっちだよ」
「久しぶりに白いご飯食べたいな。銀さん、とって」
「お前がダイエットするっつって買った寝かせ玄米ごはんの段ボールがキッチンを占領してるんですけど」
「お願い」

浴衣美人も我儘となると考えものである。ぶつぶつ言いつつも最上段の「一」と書かれた小さな札をサクッと撃ち落とし、屋台のおっちゃんを驚かせた。カランカランと鳴る勝利の鈴を背に、二人はまた歩き出す。男の右腕には東北のお米二十キロ分と、左手には愛しいぬくもり。

「あっ、ベビーカステラあるよ! 銀さん好きだよね。待ってて、買ってきてあげる」
「待て。一人でうろちょろすんな、また変なのが沸くだろ」

離れそうになった小さな手を引き留め、先程よりしっかりと指を絡める。

「はは。心配してるの?」
「してねーよ!」

眉間に皺を寄せた顔で怒られても、女は小さな八重歯を見せて笑うばかりだった。



2021.08.06.
2022.05.01. 加筆修正
2023.01.29. 加筆修正