文芸部


言葉を覚えた少女


教室は、留学生の話題で持ち切りだった。
いつどこからそんな情報が入ったのかは知らないが、
アメリカ人で、1か月の短期留学らしい。背が高く美少年で成績優秀だと、そんな会話がチラチラ耳に入った。だが生粋のイタリア男であるローダにとっては至極どうでも良い話題であった。

クラス中がソワソワしているホームルームの時間。担任と一緒に入って来たのはブロンドヘアの美しい少年だった。青い瞳は澄んでいて、雪のように白い肌をしている。名前はエル=ファニングと言うらしい。
女子の黄色い声が飛び交う中、担任は俺の隣の席を指差してエルを座らせた。

「よろしくな、エル」
のめり込むようにして本を読んでいた留学生に、一応挨拶をしておく。しかしエルは一瞥しただけですぐに視線を本に戻した。愛想の無いやつだ。挨拶ぐらいしろよな、と脳内で文句を呟いていると、エルは本に視線を向けたまま、
「よろしく」
男にしては高い声だ。声変わり前というわけでは無さそうだ。中性的なハスキーボイス。
女?まさかなと思いつつ体全体を横目で、見える限り見てみる。
「!?!?…??…、え、女ァ?………え?」
「静かに」
間違えられるのも無理はない。好きで男のような格好をしているのだから。しかしこの男、自分が女だと分かった途端舐めるような目つきで見やがって。
「何で男のカッコしてんだよ?」
「生まれる性別を間違えたからな。GIDだかXジェンダーだか、自分でもよく分かってないがきっとあれだ。幼児教育の問題だな。僕は幼い頃から男であると教えられて生きてきた。でも、これでいいんだ。……ああ、別に隠してるつもりは無いから言いたかったら好きに言いふらして、どうぞ」
ローダの頭は混乱で渦巻いていた。やっと声を出したと思ったら妙に高く、女かと聞けば急に饒舌になる。どうやらとんでもない変人なようだ。
「………ふーん、そっか。……よく見たら可愛いな。まあいいや、でさ、エルってどんなスペルだ?ジャポネの…なんだ、デスノートだっけ?アレのLの一文字だったりすんの?」
「ちがう。E-L-L-Eでエル」
「成程ねー。名前まで可愛いな」
「…………」
イタリアの血が発動しているんだろうな。きっと。
エルは急に態度が変わったローダを、そう結論付けた。


エルが女だと分かってから、ローダはずっとエルを口説き落とそうと奮闘していた。
「何でお前、イタリアに留学しようと思ったんだよ?運命の人という名の俺にわざわざ会いに来てくれたの?」
「……どこでも良かった」
「ん?」
「どこか遠くに行ければ、それで良かった」
「何だよそれ〜〜〜」
「…ショタコンの父子家庭は大変なんだよ」
「えっ、マジ!?」
「マジマジ。でもあんまり言いたくないから、これ以上は入り込むなよ」
エルは小さく溜息を吐くと、arrivederciと流暢なイタリア語であっさりと別れを告げた。



「俺とデートしませんか」
「何故でしょうか」
留学1週間目にして既にこれだ。学校に来ると毎回開口一番そう言い寄ってくる。でもきっと僕が何を言おうとずっと付きまとうつもりなんだろうな。1回だけならまあいいかな。
「1回だけね」
「!!っしぇーい!!!!!!!」
馬鹿丸出しの反応。エルは子供っぽ過ぎるそのリアクションに、小さく笑った。
「ふふっ」
「そーそ、そうやって笑えよな。澄まし顔も綺麗だし可愛いけどよ、笑った方が可愛さ倍増だぜ」
ローダが楽しそうにそう言うと、エルは目を見開いた。それから数秒見つめ、イタリアーノの常套句だと呟きまたすぐに俯いてしまった。
「何で俺じゃダメなんだよ」
「生理的に無理。ホモか、君は」
「理論上は可能だぜ。女だろーがよ、お前は」
沈黙。どう対応したらいいのか分からないから、こんなに避けようとしているのに。こういうのは徹底的に無視した方が良いのか。
エルは無視を決め込むと、ふと目に付いたストライプのシャツを手に取った。
「おっ、その服いいじゃん。……でもお前に着られんのは可哀想だな」
「可哀想」
「エルの美しさで霞んでしまうからなァ」
「霞んでしまう…………すごい口説き文句だな」
全力で口説いてくるそのゴキブリの如くしぶとい精神に参ってしまう。
流石のイタリア人とでも言うべきか。
「しっかしお前本当に女っ気ねぇよな。このシャツもエグいレベルでダサい」
「エッ、さっき仰っていたことと真逆の発言」
「俺が選んでやる」

「ローダ、これ…」
そっと試着室から出て来た彼女は、熟れたスレンダーなトマトが服を着ているように見えた。ミラニーズブルーのタイトスカートとゴールドのアンクルストラップは、彼女にはハードルが高かったらしい。


「ね、ローダ。今日はありがとう。久し振りに楽しいって思えた」

「………人生の3分の1が睡眠、探し物が5か月。笑っているのは平均22時間3分で泣いているのが1年と4か月らしい。出会う人の数は、何らかの接点を持つ人が3万人。 そのうち学校や職場など、近い関係が3000人。さらにそのうち親しく会話を持つのが300人。友人と呼べるのが30人。親友と呼べるのが3人。あぁ、でも天文学的な確率で言っても、こうやってお前と出会ったのは心理学的に言えば必然って説もあんだぜ」
そんな無駄知識、一体どこで覚えたのだろうか。
その前に今の私には会話の意図は理解出来ない。







「…、もう行くのかよ」
「うん……ありがとう。…ねぇ、恋って素敵だねぇ」
「んだよ急に」




「せっかく"言葉"を覚えたから……、何か女の子らしく可愛いこと、言いたいけど、…これしか思い付かなかった」

まだ拙いその言葉。
ローダは静かに微笑んだ。

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